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『朱里ちゃんの微笑み』短編小説集   作者: 健野屋文乃
14 かなうの章

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122/124

初恋の人を見つめる少女の絵

悲劇が降り注いだのは、とても寒い夜だった。



「どうしよう」



わたしは、あてもなく呟くしかなかった。



凍える公園で、涙が零れ落ちそうになるのを、雪空を見上げて防いだ。




『絵を』



と、ふと聞こえた様な気がした。



それは初雪の様に冷たく美しい声だった。




幻想かも知れないけど、初恋の人の声に似ていた。




わたしは、その言葉に甘えた。



わたしは、多額の借金を背負わされ、絵を売ってしまった。




生前は、何の芽を出なかった天才画家の絵だ。



わたしの初めての恋人が、わたしを描いてくれた絵だ。



わたしへの愛が、狂おしい程ジンジンと伝わってくる絵だった。




芸術家の死後、絵の価格は高騰した。



多額の借金をちょうど返済できる額だった。



心に僅かの罪悪感が残った。




「ごめんね」



オークション後、寒空に向かって呟いた。




『さよなら』



と、ふと聞こえた様な気がした。



その言葉が幻想だとしても、わたしの心を強く貫いた。



  



  



☆*・:。〇。:・*☆*・:。〇。:・*☆*・:。〇。:・*☆*・:。〇。:・*☆






「見て見て、これ穂香に似てない?」



と言って、見せられたのは、あの絵だ。



わたしへの愛が、苦しい程ジンジン伝わってくるあの絵。




そして、そう言ったのは、婚約中の彼だ。



「借金の担保だったんだけど、持ち主は夜逃げしちゃったみたいなんだ」




こちらも狂おしい程、わたしを愛してくれるタイプの彼だ。



狂おしさが暴走してしまうかも知れない。



純粋な男ゆえの暴走を。




だから言えない。




この絵のモデルがわたしで、初恋の相手が描いたなんて絶対言えない。



さらに今でも、わたしへの愛が、狂おしい程ジンジンと伝わってくる絵だなんて、絶対言えない。




「似てると言えば、似てるね。でもどこにでもいる顔でしょう」




このモデルがわたしだと知る人は、もうこの世ではわたしだけだ。



真実を伝えたら、きっとこの絵とはお別れになるかもしれない。




世界で一番好きな人が描いてくれた絵。



それを守るためには、真実を告げる訳には行かない。




わたしは彼が外出中に、キャンバスの裏を確認した。




『一緒にいてくれて、ありがとう』



と手書きで書かれていた。



芸術家独特の個性的な文字だ。



わたしは、心が締め付けられた。




わたしはキャンバスを額縁に戻した。



額縁に戻したとき、愛しい芸術家の想いも、わたしの心に仕舞われた気がした。




『一緒にいてくれて、ありがとう』



と、ふと聞こえた気がした。




その言葉が幻想だとしても、わたしの心は満たされた。



でも、それは決して他言しては行けない気持ちだった。





      



         完



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