第三十三話
ついに、朝が訪れる。その国に最後に訪れた朝。エリスは持っていく物をまとめて店に別れを告げていた。
結局、自分が店主になってから売れた物と言えばリュカとケセラ・セラ。そしてクラクに作った服や下着と言った物だけ。それ以外に作った服は全て売れ残り、そして逃げるにはかさばるためにそのすべてをお店に残して行かなければならない。
持っていくのは、数日分の服や裁縫道具に布。それから服作りの参考にしていた本や、父と母から譲り受けた戦闘道具一式。ただ、それだけ。
本音を言えば、全部の服を持っていきたい。だって、自分の作った服は、全部が全部愛着を持って作った大切な思い出の残る服なのだから。でも、そんなわがままが通ることは無いだろうという事は分かり切っていたこと。だから彼女は、せめてもの償いとして服全てを店先に並べた。あまりにも多いから時間はかかり、最後には店の中は服だらけで全く前が見えなくなってしまった物の、しかし結果的にすべての服を並べ終えることが出来た。
もう誰にも着てもらうことが出来ない服で、二度と日の目を見ないであろう服たち。でも、自分にとっては子供も同然で、一緒に暮らしてきた仲間ともいえる存在。
自分はそんな子供達と別れて旅に出る。二度と戻ることのない旅へと。
エリスは、最後に深々と自分の店に頭を下げると向かう。集合場所となっている城の方へ。
≪ありがとう≫
そんな言葉が、後ろから聞こえてきたような気がした。エリスは、振り返ることは無かった。
城にたどり着いたエリスが目の当たりにしたのは、予想外の光景だった。
最初、自分はこの国の国民全てが国外へと逃げる物と考えていた。皆、命が惜しい物であると考えていたから。
何より、王様がモルノア大臣の策略によってその信用を大きく失ってしまってて、そんな王様と心中してくれる人間なんてもの好きしかいない物だと、そう考えていたからだ。
けど、それは違っていたらしい。
エリスは見た。城の前で、戦う準備をする多くの兵士、そして多くの非戦闘員であるはずの国民の姿を。
だが、もちろん皆が皆戦いに向かおうとしているわけじゃない。その横にいる多くの国民の姿。荷物の量からして彼らが自分と同じ国外への逃亡を選んだ者なのだろう。見ると、武装している者たちと逃走しようとしている国民とで最後の別れを交わしている者がたくさんいる。
ある男性は、恐らく妻であるのだろう女性を抱きしめている。
ある女性は母であろう老婆に自分の息子の事を託している。
ある子供は、離れようとしている父の背中を追おうとして、母であろう女性に涙ながらに止められている。
皆が皆、今生の別れにいそしんでいる様子から見て、戦いに向かおうとしている人たちは、その戦いで自分が死ぬことになるという事も承知で向かおうとしているという事が分かる。
よく見ると、この二組にはある傾向があるようだ。
戦い位に赴こうとしている兵士たち。みると、男性が多いように感じる。女性であっても四十代や五十代。見ると六十代と思わしき老兵まで参加しているようだ。平均年齢は高く、性別も男性の方がはるかに多い、簡単に言えばそういうことだ。
一方、自分と同じように逃亡する人間たち。子供は全員そちらにいるのは分かり切っていることだが、二十代、三十代くらいの女性たち、老人は十数人ほど。男性は若い人間が多いように見受けられる。つまり、平均年齢はとてつもなく低く、女性の数が多い。ここに、一週間前にこの国に来たばかりの騎士団の人間が入り、女性の数はますます多くなるのだろう。
だが、なるほど。この分かれ方になるのはよくわかる。戦争に負けた国の女性の末路という物を知っている身からしてみれば、国外への逃亡を女性達が選択するのは当然の事であろう。そして、その女性達が逃げる時間を少しでも稼ぐためにも男たちが戦場に行く。この世界では、よく見る光景だ。
だが、だからと言ってここまで残る物なのか。それにすでに引退した身と思わしき老兵たち、彼らもまた市井の人間として逃亡しても誰も文句は言わないはずなのに、何故そこまでして死に向かおうというのだ。
何故。
そんな疑問をエリスが抱えるなか、一人の女性が近づいてきた。
「エリスちゃん」
「クラク姉さん……」
クラクである。当然、彼女も自分と一緒に逃亡する方に入っている兵士、いやこのまえ騎士団の入団を許可されたらしいから、団員である。
ともかく、エリスはクラクに自分が疑問に思っていたことを聞いてみた。
「皆さん、どうして……」
いや、正確に言えば聞こうとした。というところだろう。最初は、何故戦おうとするのかと聞こうとした。
しかし、それじゃ戦うことが悪いことなのかと捉えられかねないし、間違っていることとは自分自身も思っていない。
だから、別の言い回しでこの異様な光景の事を聞こうとしたのだが、いい言葉が見つからないのだ。こうなった時に、自分の語彙力のなさが恨めしくなる。
きっと、そんな自分の考えを察してくれたのだろう。クラクは、悲し気に微笑むと言った。
「皆さん、この国のために……王様のために戦いたいんだそうです」
「え?」
聞くところによると、国民たちの間に今回の戦争の発端がトナガ国から来たモルノア、そして自分たちを苦しめたあの法律はトナガの国の工作によって公布された物だったという事が広まっていたらしい。
一体誰が最初に広めたのかは定かではないが、一説によると兵士の誰か、噂好きの人間がポロッとしゃべってしまったことが原因なのだとか。
とかく、その真実が明るみになった瞬間に国民の意志は一つとなった。いや、最後まで揺れていた決意が定まったと言ってもいいだろう。
二年前まで、この国はとてもいい国であった。食べ物も水も豊富で、誰もが笑いあい、春になるとあたり一面で花が咲き、とても居心地の良い国だった。それもこれも、今の王、ロプロスがいてくれたから。優しくて、どんな人間にも分け隔てなく接してくれるあの王がいたからこそだった。
王様のおかげで貧困から脱却した国民は数知れず。王様のおかげで今の生活があるのだと断言する人間は数知れず。皆が皆、王に感謝をしていたのだ。それがあの大戦、そしてあの法律のせいで狂わされてしまった。
許せない。自分たちにこんな苦行をもたらしたトナガが。
そして、王様が自分たちのために犠牲になろうとしているということが。そんなこと、あってなる物か。
そういう事で、この国で長く暮らし、そして愛着を持った者たちを筆頭として、二千人以上が残ることになったらしい。
兵士として残るのは約千人近く。合計三千人がこの国に残ることになった。これに騎士団の人たちも合わせれば、トナガの国の六千~七千の軍勢に対抗できるのでは、とエリスは思っていたのだが、クラク曰くそう簡単にはいかないらしい。
トナガの国の王の使用する魔法はとても強く、特に籠城戦となる場合では不利になるから、と説明されたそうだ。
実際には、多少の犠牲覚悟でも勝つことは可能だとセイナは言っていたらしいが、その犠牲の数が想定できないし、もし国が守れても、その後の運営をできる者がいなければ話にならない。下手をすれば、二年前以上の混迷が起こる可能性がある。
早い話が、確実に国民の多くを生存させるためにはこの方法が一番の一手であるのだ。
「そうだ。エリスちゃん。リュカさんが城の方で話があるそうです」
「話ですか?」
「はい」
クラクが、まるで思い出したかのようにそう言った。
話とは一体何なのか。とりあえず自分の荷物をクラクに預けたエリスは、早足で城の方へと向かった。
そして向かった先には、騎士団が数名いた。リュカが言うには、彼女たちは自分が所属している部隊の人間であるそうだ。これから昨晩に行われた戦闘、そして話し合いで決まったことについての説明をするのだそうだ。
他の部隊の人間たちは一か所に集められてセイナ団長直々の説明があるそうなのだが、自分の所属している部隊に関しては、自分の口から話がしたいという事で彼女たちは集められたのだそうだ。
では、何故自分もとエリスは疑問に思ったが、どうやら今回の話には自分もまた係わりがあるからだそうだ。
そして、聞かされた話は、自分が思ってもみなかった。想像もしてもいなかった驚くような話だった。
「そう……あの子も、立派に戦おうとしていたのね……」
「リコちゃん……」
なるほど、彼女たちが部屋に入った早々から暗い表情だったのはそういうわけだったのか。
そして、まさか昨晩見たあの翠の光。あれが、リュカの発した魔力であったなんて予想だにしていなかった。
それにしても、ヴァルキリー、久々に聞いた名称だ。
確か、自分が産まれてからはそう言った子はあらわることは無かったと聞いている。いや、もしかしたら産まれてはいた者の黙殺されていただけなのかもしれない。とにかく、古い迷信のおかげで死んでいく子供が多かったそうだが。自分はそう言った迷信なんて信じない質、真実しか見ない人間である。
けど、他の人たちはどうだろう。
「黙ってて、ごめんなさい。それに……リコも守り切れなかった……」
リュカは、とても痛ましい顔をしていた。当然だろう。自分とケセラ・セラは生き残ることはできた。けど、一緒についていったリコ、そして分隊長であるカナリアをむざむざと殺してしまったのだから。
エリスにとっては、比較的明るい顔ばかりをしてきたリュカの、そんな無力感を感じている顔を見るのは初めてで、新鮮で、そして空しそう。
そんなリュカに対して、分隊の仲間の一人、タリンが言う。
「リコの事はいいわよ」
「え?」
「彼女も、私たちもいつかは戦死するかもしれない。それは考えていたから、覚悟はできてたさ」
「で、でも実際にそうなったら……とっても悲しいですけど……」
そう。彼女たちも命が惜しくないわけじゃない。だが騎士団に入団したからにはいつ何時、戦死することを考えて生きてきたつもりのはずだ。まさか、こんなにも早くその内の一人が脱落するなんて思ってもみなかったと思う、しかしそれ以上にもっと気にするべきことがあった。いや、命よりも大切な物なんてないのは彼女たちも知っているはずだ。だが、今は死んだ人間よりも生きている人間の問題を上げよう。
「それよりも許せないのは、貴方達よ」
「……」
「どうして黙ってたの?」
「え?」
怒られる。軽蔑される。そんなことを考えていたリュカはしかし、ある意味予想もしていなかった言葉に驚いた。さらにレラは続ける。
「ヴァルキリーだなんて大事なこと、仲間に黙っているなんて……」
「でも、私……」
「いれば、不幸をまき散らすから? 髪の色が少し他の人間と違うから? そんなの、どうってことないわよ」
「え……」
「元々この騎士団は寄せ集めでできた集団だからね、そんな人間の一人や二人いてもおかしくないでしょ」
「そ、それに私は二人と一緒にいれて楽しかった。リコちゃんも同じだと思います……そんな人たちを怖いなんて……」
「誰がなんて言おうと、あなたたちはあたしたちの分隊の……仲間、よ」
「皆……」
リュカは、少しだけ感動を覚えた。まさか、ここまで簡単に自分の事を受け入れてくれるなんて。もしかしてヴァルキリー、厄子という存在は地域によって危険度というか畏怖を感じている度合いが違いのかもしれない。
この騎士団は、タリンの言う通りいたるところから集まった寄せ集めの集団だ。だからこそ、自分の事を簡単に受け入れ、いやもしかしたらこれが信頼を勝ち取ったという事なのかもしれない。
一週間の集団生活。訓練で一緒に汗を流して、一緒のご飯を食べて、一緒に寝て。そんな生活が、彼女たちの中から自分たちへの恐怖心を無くしてくれたのかもしれない。
きっと、リコも自分たちの事を知ったとしても笑って仲間だと言ってくれたのかもしれない。きっと、そう思う。
「リュカさん、ケセラ・セラさん……お二人がいなければ、私は処刑されていました。お二人が来たから、私は助かったんです。だから……私も、怖くありません」
そしてエリスもまた同じ。もし彼女たちが来てくれなかった、自分はあの暗い暗い地下でその短い生涯を終えていたのだ。そんな恩人たちに恐怖を抱く必要なんてない。自分にとって彼女たちは、最初のお客様であり、そして最高の友達なのだ。
「エリス……ありがとう。みんな……」
今、この時。ようやく自分たちはこの分隊の仲間になった。そんな気がしたリュカであった。
なんだか、それがとても嬉しくて、ほんのり暖かくて、そして心が満たされていく。仲間って、こんなにいい物だったのだなと、改めて認識した。
と、ここでサレナが言う。
「そういえば、この分隊……隊長がいなくなってどうするの?」
「あ、セイナさんからは分隊の中で次の隊長を決めてって」
昨晩の事件で、カナリアを失ったこの分隊。分隊自体はクラクをリコの補充要因として入れるという形にして継続して残すという事で一応は決まった物の、隊長は自分たちで決めてもらいたいという事だった。
自分としては、残ったこの分隊員の中でソレに最も適しているのは、博識であり、いつも冷静沈着であると言えるレラだと思うのだが。
「そ、それなら私はリュカさんが良いと思います」
「え?」
「そうね。私も貴方が隊長なら文句ないわ」
ミコに続いてレラが言った。いや、しかし自分にはまだ誰かを率いて戦う力なんて持ち合わせていないというのに、そう謙遜をしているとタリンが言った。
「この騎士団の名前が≪ヴァルキリー騎士団≫になったんでしょ?」
「そこの分隊の隊長がヴァルキリーだなんて、ピッタリじゃない」
「私も、お姉ちゃんが隊長だったら嬉しい!」
誰もが、自分の事を隊長に押してくれる。確かにありがたいことだ。そもそも将来的には自分の欲望のためにさらに多くの人間を率いて戦わなければならないのだから、今のうちにそう言った人心掌握術に慣れていたほうが良いのかもしれない。
それに、こんなにも支持してくれているというのに、それを断るのも悪い気がする。
「皆……分かった。皆の命、私が預かる!」
「お願い、リュカ隊長」
「その代わり……」
「え?」
サレナがそういいながら自分の肩に手を置いた。その手は、彼女の身長が自分よりも多いからかとても大きく、頼もしく思えてくる。そして言った。
「もう隠し事は無しだからね」
隠し事。隠し事か。
確かにある。自分にはとても大きな隠し事が二つも。でも、一方はともかくとして、もう一方はきっと彼女たちは理解できないだろう。だから、だから彼女は言わなかった。いや、言えなかった。
もしかしたら、ヴァルキリー以上に軽蔑されるかもしれない自分自身の素性について、彼女は口を紡いだのである。
「……うん、分かった」
リュカは、セイナに隊長が自分に決まったことを報告するために部屋から出ようとした。
刹那、リュカは振り向くと言った。
「タリン」
「え?」
「サレナ」
「なにかしら?」
「レラ」
「何?」
「ミコ」
「は、はい」
「ケセラ・セラ」
「?」
「エリス」
「なんですか?」
「……私は、皆の事……信じてるからね」
そして、ドアは再び閉じられた。
そして彼女がドアを開き出て行った後。立ち尽くしていた≪私≫は思い出すに、あの時どんな顔をしていたのであろうか。




