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森の中の館・3

 そんなリリアの様子に、男はわずかばかり口の端を上げる。


「考えられるのは二つだ。一つは。ブローカーが無許可で森へ侵入した」


 リリアの反応を確かめるように言葉を切り、そしてゆっくりと継いだ。


「もう一つは。お前が虚偽の申し立てをしているということだ」

「あたし。嘘なんてついていません。本当のことです」

「妖獣に襲われて、森の往来に精通した屈強な男が死に、お前のような小娘一人だけが助かったなどと誰が信用する?」

「でも本当なんです」

「どちらにしても、税も払わず無断で私の領地に踏み込んだことに違いはないだろう?」

「そんな……」


 リリアにとって、この屋敷はやっと見つけた希望だった。たった一晩だけ。疲れきった身体を休ませて貰えさえすれば、それ以上の迷惑をかけるつもりなど毛頭なかったのだ。


(それなのに……)


 おそらく最初から疑われていたのだろう。

 身に着けているのは薄っぺらなコートに、継ぎ接ぎだらけの古いドレス。お下げに結っていた髪もみすぼらしく解け、頭の天辺からつま先まで泥だらけの濡れねずみだ。


 誰が信用するだろうか?

 これほど立派な屋敷であれば、高価な調度品など家中に溢れているだろう。そんな宝箱のような家の中に、易々と怪しげな者を招き入れるはずがない。


 きっと何を言っても、信用してはもらえないのだろう――


 リリアは、もはや泥の塊にしか見えない靴の先に視線を落とした。


「……夜分に……失礼しました」


 気を抜いたら込み上げてくるものを、奥歯を噛み締めて堪えながら頭を下げる。

 身も心も凍てつきそうなあの森に、再び一人きりで放り出されてしまうのだ。

 けれどそれよりも今は、自分が信じるに値しない人間だと判断れたことの方が辛かった。

 たとえどんなに貧乏暮らしをしていても、人としての道を外れるようなことは一度だってしていない。後ろめたいことなど一つもない。

 生活は貧しくても皆に好かれる一家だったし、そもそもソフィエルでは村人同士協力し合うのはあたりまえのことだった。

 両親や村の大人たちに、心の豊かさは抱えきれないほど教えられたと思っている。

 リリアにとって自分が疑われるということは、大切な両親を非難されるのと同じだ。

 少々大きめのコートの袖をきゅっと握り締めて踵を返そうとした。


 その時――


「……!? 今まで何をしていた?」


 唐突に男から詰問を浴びせられ、リリアはきょとんと顔を上げた。


「は? ……あの? あの……今何と……?」


 しかし、首を傾げて問い掛けるリリアには眼もくれずに、男はじっと宙を見据えている。

 リリアは顎を上げて、男が見ている空間に眼を凝らした。


 けれど、吹き抜けの高い天井に、見るからに高級そうな照明が、煌々と明かりを放ちながらぶら下がっているのが見えるばかり。


「あのーう……」

「何だと?」


 ひたすらにリリアを無視しつつ、どことも分からない所を見据えていた男は、再び意味不明な言葉を発して、何事か思案するように顎に拳を当てた。


「どうしたんですか?」


 睫を瞬かせながらそう訊ねると、不意に男はリリアに視線を戻した。


「私の部下がお前に助けられたと言っているが、本当か?」

「助けた? いいえ。あたしは誰も助けてなど……っていうか誰と話してるんですか?」


 しばらく忙しなく辺りを見回していたリリアは「あっ!」と声をあげて、自分の様子をじっと観察している男の顔を見上げた。


「もしかして、あの声! ……ですか? 頭の中に直接話しかけてくる。あれ? ……でもおかしいわね。あたしには聞こえないわ」


 嬉しそうに微笑んで、不思議そうに首を傾げ、怪訝そうに眉をひそめる。ころころと変貌するリリアの表情を、男は眼を眇めて注視していたが、ややあって、それまでの素っ気無い態度を改め、僅かばかり表情を和らげた。


「部下の恩人となれば話は別だ。遠慮することはない。ゆっくり休んで行けば良い」

「本当ですか?」

「もちろんだ。リリア・キャラベルと言ったな。私はここズルファウス地方の領主、ゼルラーデル・ヴェイセル・グレヴィリウスだ。……アンナ! アンナは居るか?」


 リリアの問いに、ゼルラーデル・ヴェイセル・グレヴィリウスという舌を噛んでしまいそうな名を持つ男はあっさりと頷いて、奥に居るらしいアンナという人物を呼びつける。


 もちろん。もちろん。嬉しいし助かるのだが――


(ええっと……正確にはあたし、あの時、途中で引き返してしまって、あの声の人、たぶん助けていないのだけど……)


「腹は減っていないか?」


 そう訊かれた途端、安堵したのも手伝って腹の虫が騒ぎ出す。


「え? ええ。少しだけ……」


 単純なリリアは、あれほど打ちのめされていたにもかかわらず、既にもう恩人になりすまし、ゼルラーデルの言葉に甘える方に気持ちが傾いてしまっているようだ。


「アンナ! まだか!」

「はいはい。只今参りますよ」


 ゼルラーデルが再び声を張り上げると、どこからかやけにのんびりとした声が返ってきた。


「アンナ。客人だ。何が食べる物を用意してくれ」

「あら? お客様だなんて珍しいですこと」


 広間の奥の緩やかに弧を描く階段の上に、非常にふくよかな中年女性が姿を現した。

 灰色がかった銀髪をシニョンに纏めて、あまりに豊かな胸囲をしているため、押し上げられたエプロンの下で、黒いドレスの胸周りがはち切れそうになっている。


 風体からしてメイドなのだろう。

 足許が見えにくいのか、アンナはつま先に視線を向けたまま、手すりをしっかりと握り締めながら、一歩一歩慎重に足を進めている。やっとのことで階段を降り、拳で腰を二・三度叩いた後、ようやく丸い顔がこちらへ向けられた。


「あらあら。まあまあ。可愛らしいお嬢様ですこと」


 アンナはおっとりと言いながら、彼女なりの早足で歩み寄ってきた。


「リリア・キャラベルです。このような夜分に申し訳ありません」

「いいえ。宜しいんですのよ? お気になさらずに。さぁさ、どうぞこちらへ」


 アンナはそう言って、まん丸の顔をくしゃくしゃにして微笑んだ。主と違って随分人の良さそうなアンナの笑顔に、リリアの身体から余分な力が抜けていく。


「食事が終ったら私の部屋へ連れて来るように。ではアンナ。後は任せたぞ?」

「はい。承知いたしました。ゼルラーデル様」


「うむ」と頷いたゼルラーデルに視線を向けられて、リリアはぴしりと背筋を伸ばした。


「分かっているとは思うが。食事の前に、その泥だらけの服を何とかしてくれ。そのような格好で屋敷の中を歩き回られては堪らない」

「はいはい。分かっておりますよ」


 リリアを指差して眉をひそめるゼルラーデルに、拍子抜けするくらいのんびりとアンナが対応する。


「さぁ。リリアさん。お食事の前にお風呂にいたしましょうね。自慢の温泉なんですよ」


 うふふ。と笑って歩き出したアンナに続き、リリアは毛足の長い深紅の絨毯に、出来るだけ泥を落とさないように気をつけながら浴場へと向った。



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