Ⅶ/鍛冶屋街
一晩、眠ろうと努めた。
しかしその想いが適うことはなかった。
「…………」
その間、マテロフはずっと考えていた。
自分が生きてきた、意味を。
「――――」
そんなもの、考えたことなど無かった。
あの日、襲われて以来、一切考えたことなどない。
否、考える余裕などなかった。
むしろ、考えることは罪だとさえ考えてきた。
自分は今、こうして生きている。
肉を食べ、水を飲んで、洞穴で眠ることが出来ている。
身体を売らず、プライドを、ヒトとしての尊厳を捨てずにやってこられている。
それでさらに生きている意味など、考えられるはずも無い。
父や母や、村人たちに――
「……ベト」
ふと、呟いていた。
自分は、あの男が嫌いだった。
見ていると、どうしようもなくイラついた。
あの、なんでもわかったようなスカした態度。
絶望をよしとする醒めた瞳。
その癖自分にはない力――
結局、どうこう言っても。
自分と似ていて、同族嫌悪で、その上自分とは違い力を持っていることが、どうしようなく──疎ましかったのだろう。
「……子供か、私は」
ふと呟き、悲しくなった。
そうだ。
自分は、子どもだ。
あの日。
野盗に襲われた日から、一歩も前に進めてはいなかった。
進みたい、と強く思った。
「強く、なりたい……」
"剣聖"に、そしてアレの力に。
その想いが変遷したわけではない。
だが、それとは別の欲求が生まれていた。
強くなりたい。
それは心が、人として成長したいと願っていた。
このまま子どものままでいるのは、イヤだった。
今まではそれにすら気づかなかった。
だがここでの常軌を逸した修行を積むことで、想いが芽生えていた。
「…………」
眠ろうと、寝返りを打つ。
休息も、重要な行いだ。
否、生きるうえで無駄な行為などないかもしれない。
そんなことにも、今さら気づいた。
無駄を排除してきたつもりが、単なる傲慢だった。
恥ずかしさに悶えそう。
今までの自分を蹴飛ばしたくなる。
そのように過去を無駄に思うことさえ間違っていると、意識が落ちる直前に気づくことは出来た。
次の日、山を降りた。
身体を酷使、もしくは休息させる以外の行動を取ったのがあまりに久しぶりだったから、最初戸惑った。
次に襲ったのが、罪悪感。
こんなことをしていてののか?
「…………」
しかしクォンは、なにも語らない。
こちらから先に声を掛けることを、マテロフは躊躇した。
さりげなく、両剣をさする。
もうしばらくで別れかと想うと、胸が痛んだ。
こんな想いを抱えたことは、今までなかった。
クォンの元に辿り着いて以来、初めて経験することばかりだった。
街へと降り立ち、マテロフはきょろきょろした。
僅か二ヶ月のことだったが、体感的には一年くらいに感じていた。
クォンやイリプス、そして自分を殺そうと襲い掛かってくる男たち以外の人間を見て、泣きそうなくらい愛おしく感じられた。
「────」
ひとは金属の塊をぶつけ合うために、存在するわけではない。
「どうしたんですか、マテロフ? いきますよ?」
「は、はい」
慌てて我に返り、クォンの背を追う。
そこで気づいた。
クォンの口調が、元の敬語に戻っている。
クォンの真意がつかめない。
しかしマテロフはそれ以上構わなかった。
考えようが、理解しようが、"剣聖"に近づけるわけでもない。
そして修行の途上で街に寄った事も、新たな剣を手に入れるため。
そのために訪れただけだ。
マテロフは気持ちを引き締め直しす。
まだまだ道半ばどころか、入ったばかり。
自分など、クォン殿の足元にさえ近づかせてもらっていない。
その街は、今までマテロフが見てきた街とは、様子が違っていた。
男女比は普通なのだが、その誰もがどこか──なんというか、目が据わっている。
だが剣士や傭兵のような、殺気や殺伐とした様子はない。
どちらかというと、求道者や――
ふと、思いついた。
「……クォン殿、この街は」
「えぇ、名のある剣士や領主御用達の、鍛冶屋街です」
世界は広い。
各地を練り歩き、ある程度知ったつもりでいたが、未だこんな街が存在していたとは。
少しだけ、ベトを思った。
あのギオゾルデも悪くはないだろうが、ひょっとするとそれ以上にやつにあった、片手で扱える武器が存在するのではないか――
「なにか思うところでもあるのですか?」
お見通しだった。
マテロフは、隠すことを諦めた。
現状すべてを彼に委ねている。
だとするなら関係構築の意味も込め、相談するのも手かも知れない。
「――実は、」
マテロフは昨晩から考えていたことを、すべてクォンに打ち明けた。
「なるほど……」
その一言のあと、しばらく沈黙が続いた。
マテロフの心臓は、ドクドクと脈打っていた。
思えば村が野盗に襲われて以来、このように自身の考えを語ったことは初めての経験かもしれない。
――いや、アレにぶち撒けたことが、唯一の例外か。
酷い経験だが、思えばあれが自身の枠を破るきっかけだったかもしれない。
クォンはゆっくりと、こちらに振り返った。
「よい傾向ですね」
そしてむこうを向き、スタスタと歩いていってしまう。
「え……あの、クォン殿!?」
「なんですか?」
再度、振り返る。
それにマテロフは、言葉を失う。
笑われるかもしれないと思っていた。
叱咤されるかもしれないと考えていた。
呆れられるかもしれないと、慄いていた。
侮蔑の視線を向けられるかもしれないと、覚悟していた。
しかしまさか、あっさり流されるなんて――
「や、いや、その……」
それらの想いをうまく言葉に出来ない。
「あなたらしい、美しい葛藤ですね」
別の意味で、言葉を失った。
「う、美しい……ですか?」
「えぇ、貴女は美しいですよ」
眩暈がした。
「――――」
一瞬、なにもかもがわからなくなった。
ここがどこで、自分が誰で、喋っている相手が何者なのか。
美しいというのは、自分のことを言っているのか?
それは剣技が?
いやそれはありえないだろう。
クォン殿のそれに比べれば児戯にも等しい拙さだ。
ならば弓?
それも所詮は誤差の範疇。
だとすればなにが――
「あなたは、女性だ」
「――それはそう、ですが」
「それも見目麗しい、白金の髪持つ令嬢だ」
この男はなにを言っているんだろうと思ってしまった。
「…………」
自身が白金の髪――プラチナブロンドだということを、久しぶりに自覚させられた。
思わず手を。
連日の修行で、雨以外では水浴びするような機会もなく、汗に塗れて風に晒され石の上で眠りに着くようになったというのに、さらさらと指の間を流れていく。
まるで細い糸のようだと、他人事のように思った。
――令嬢。
「……令嬢、とは如何なる意味なのでしょうか?」
「あなたは何者にも、汚されても染められてもいない」
「なにもしらないくせに」
ほとんど条件反射。
意図しての言葉ではない。
だが逆に言えば、だからこそ裸のマテロフの想いが込められていた。
顔を伏せ、拳を握り締める。
「私はとっくに、汚されている。男どもに……」
言いたくない、とどうしようもなく思ってしまう。
以前の自分ならなんの恥じらいもなくぶち撒けていただろう。
なにが変えたのかと考えたら、きっと――
「それに、染められている……この、世の中に。戦いたくなんてない。殺し合いなんて、したくもないのに……生きるために、私はこの手を、染め――」
「マテロフ、」
おそろしく冷然とした言葉だったからだろうか。
マテロフは自身の言葉を、止めることが出来た。
と同時に心も平静を取り戻す。
不思議と後悔や、羞恥心は芽生えなかった。
クォンの器の広さを知っているためだろうか?
よく、わからなかった。
そしてクォンの次の言葉を、待った。
ただ真っ白で、なにが来ようが受け止めようと覚悟だけは決めて。




