Ⅷ/奈落の底
「あなたは、美しい」
まったく同じ言葉が繰り返され、マテロフは目を見開き、その顔を上げる。
その口元には、穏やかな笑みが湛えられていた。
思わず、見惚れてしまうほどの。
「私は……」
「貴女がどう捉えようが、そして自身をどう評価しようが、そんな事は構わない。私は貴女のことを、美しいと思う。それは誰にも覆せないし、否定させもしない。それは貴方自身をも含めてだ。もう一度言おう」
「え……いや、もう……」
「マテロフ、貴女は、美しい」
真っ白になった。
「――――」
それはとても透き通った気持ちだった。
計算や、卑屈や、驕りも一切ない。
ただ受け取った気持ちを、そのままに相手に渡す。
元来人間が、そう在るべき姿。
そう、だから、自分は――
「……クォン殿」
「なんですか?」
「その……こういう場合なんといえばいいかわかりませんが……」
「なんといえばいいなんて、そんなものはないですよ」
その笑顔が清々しくて、なんだか眩しく感じられて、だからマテロフは導かれるように呟いていた。
「――ありがとう、ございます」
「いえいえ」
気負いに気負いを重ねた言葉にも、クォンには気にした様子は感じられない。
だからマテロフは野盗に襲われて以来初めて、呟いた言葉の意味を噛み締めていた。
ありがとう。
相手の行動に、言葉に、存在に――感謝する。
感謝。
「クォン殿……」
「どうしました?」
「その……今まで色々と便宜を払っていただき、本当に……ありがとう、ございます」
「いえいえ、お気になさらず」
「それに自分のために、わざわざこのような街まで導いていただき、本当に……感謝の言葉もございません」
「そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ」
しかしそういうクォンの表情は、にこやかだった。
それを目にして、マテロフもまた、思わず――
「…………ハハ」
「お。マテロフ、笑いましたね」
まさかと思った。
「え、や、いや……す、すみません。修行中の身で、こんな……」
「いい笑顔ですね。惚れてしまいそうです」
そんな風に言われるだなんて、思ってもみなかった。
「あ──りがとう……ございます……」
「素敵ですよ」
ただただマテロフは、無意識に――顔を真っ赤にすることしか、出来なかった。
その場所は、地下にあった。
地面に穿たれた穴。
それはひと一人がようやく通れる程度の狭い階段だった。
少し、戸惑ってしまう。
それはどこか、墓を連想させるものだったから。
「…………」
「ん? どうしたんですか、マテロフ。行きますよ?」
「は、はい……」
奈落の底への道があるのなら、きっとこうなのだろうと思っていた。
しばらく階段を下っていくと、途中からカンカン、という無機質な音が聞こえ始めた。
それにクォンが、
「今日も熱心ですね。感心します。そして頭が下がります。彼がいるからこそ、こういう人殺し稼業で我々も生きていくことが出来ます」
笑顔で、十字を切る。
クォンの底の知れなさの一端を垣間見た気がした。
その間、なぜ地下で鍛冶屋などやっているのだろうとマテロフは想いを馳せていた。
「やあ、ゼヒンタ」
気軽な口調で、クォンは片手を上げた。
その途端、ガンッと一際強い金属音が響いた。
男が一人、炎の部屋で鋼と向き合っていた。
「――――」
一言も発しない。
ただ一心不乱、鋼に金槌を叩き付ける。
赤く燃え滾る鋼は、炎の化身のようだった。
それに立ち向かう彼は、さしずめ騎士かはたまた悪魔か。
それほどまでに、その部屋は幻想的だった。
それほどまでに、その男の後ろ姿は鬼気迫るものだった。
ガンッ、と一際強く金槌が叩きつけられた。
そして一息つき――初めてその視線が、こちらに向けられる。
「ふぅ……で、なんだい"剣聖"の弟子よ」
「非公認ですから、少々気が引けますがね」
気心が知れているだろうやり取りにやや気が引けながら、マテロフは深々と頭を下げた。
しかし反応がないので相手を伺うように顔を上げると、男はこちらを見てもいなかった。
クォン殿に甘えていたからか、この感覚も久しかった。
「名前は」
最初独り言かと勘違いしてしまった。
「ま……マテロフ、マテロフ=アルケルノといいますっ」
「何しにきた」
端的な問いかけに、戸惑う。
思わずクォンの方を向いてしまう。
目が合いそうになって、ギリギリで俯く方向に変化。
なにも決められない子どもじゃない。
連れられてきたわけじゃない。
これは私が、選んだ道だ。
「け、剣を……剣を作って、頂きたいと――」
「なにを斬る」
男は淡々と作業を続けていた。
奥に見えるは信じがたいほどに超巨大な煙突。
それにより圧倒的な換気と排煙と室温調整をこなし、こんな地下でも窒息せず、中毒に、蒸し焼きにならず済んでいるということだろうか。
器具を微調整し、手に持つ金槌であちこち叩いたりしている。
その気遣いのなさはまるで自分が透明人間にでもなった気にさせる。
「…………ふぅ」
息を整え、自分にウソをつかないことだけを心掛ける。
自分をありのままぶつけてダメなら、それまでの道だ。
心にアレの姿を思い浮かべた。
「……時代を、」
「具体的には」
たとい途中で遮られても、動揺しないと自分に言い聞かせる。
「敵国……いえ、悪を」
敵国というのは、あくまで自分を――自分の国を基準にした場合だ。
自分が変えたいのは、世界そのもの。
そのような小さな枠に囚われていても仕方がない。
「悪を斬るか」
初めて男が、こちらを向いた。
無精ひげに白鉢巻きという無骨な職人気質の人間。
その視線の奥には熱い──青い炎が揺らめいているようだった。
「はい……その、実に大仰ということは重々承知しておりますが……」
クォンに会ってから、自分は恐縮してばかりだなとマテロフは自嘲気味する。
「ほれ」
突然、
「え……」
一振りの剣を、投げられた。
口では、頭では驚きながら、マテロフはそれを難なく受け止めることが出来た。
この辺りがここ最近で鍛えられたせいだろうかとぼんやり思いつつ、
「これは……?」
「振ってみろ」
「は、はい」
唐突な展開にも、慣れたものだ。
ふと、いつでも胆が据わっていたアレを思い出す。
彼女の軌跡を辿る。
そしていつか追い越し――彼女を、支えるんだ。
そう考えると、いつでも勇気が湧いてきた。
握り締める。
鍔もついていない、柄に飾りも無い。
作りかけの印象すらする、シンプルな一振り。
ただ、やや大きい。
そして無骨で、重かった。
黒っぽい。
振った。
「――、くっ」
一瞬、肩を持っていかれそうになる。
咄嗟に重心を移動させ、堪える。
独特な剣だった。
どこか――生き物のようにさえ、感じられた。
「なるほど」
男は腕を組み、何か得心したようだった。
「あの……これが、」
「いやいい。わかった」
一切の説明なく、マテロフは剣を取り上げられる。
だんだん傍若無人と感じなくなっていた。
こういう人種はワガママとは少し違い、ただ自分のやることに集中しきっていて、対人対処にキャパを振っていないだけかもしれないと。
「これを持て」
「はい」
次は、弓だった。
やはり大きめで、無骨で、番え辛かったがとりあえず引く。
「次はこれだ」
槍。
初めて触ったが、これはなかなか興味深い素体だった。
とりあえず定番で突いてみたり、回転させた。
すぐに取り上げられる。
「これ」
見たことも無い刃。
「ほれ」
見たことも無いナニカ。
「…………」
最後には、言葉もなくなった。
途中から何本振ったかも考えなく、気にしなくなった。
この二ヶ月の経験で得たもの。
考えることなど余裕があるときにすればいい。
重要なことは、感じること。
生と死の、境目を。
「――――ふむ」
そしてそれは、唐突に終わりを迎えた。
手に渡されなくなって、マテロフはそれを悟った。
いったい何処からそれだけの得物を取り出したのか、少しだけ疑問に思ったりして。




