第20話:告発
二つの戦いが、同時に始まった。
現場——第二十九迷宮。残り六時間。一万五千人の避難。
審議会——国の議事堂。災対局解体の、強行採決。
ユイは、現場の指揮を、ガイとセシルに託した。そして、ハルのノートと、グレーヴェの署名と、第七迷宮の観測記録を抱えて、議事堂へ向かった。アキラは、現場に残った。観測は、彼にしか、できないから。
「アキラ」別れ際、ユイは言った。「現場は、あなたに任せる。審議会は、私が引き受ける。……二つとも、勝ちましょう」
「ああ」アキラは頷いた。「グレーヴェの嘘を、暴いてくれ。俺は——ここで、一人も死なせない」
◇ ◇ ◇
議事堂。
筆頭顧問官グレーヴェが、解体動議を読み上げていた。「災害対策局は、予算を肥大化させ、現場が独断専行を繰り返している。現に今、第二十九迷宮で、C判定の迷宮を、勝手に避難させている。一万五千人を、無駄に混乱させる、無責任な暴走だ。よって——」
「異議があります」
ユイが、議場に踏み込んだ。審議委員たちが、どよめいた。
「避難計画官、花村ユイです」彼女は、証拠の束を、議場の中央に置いた。「災害対策局解体の前に、筆頭顧問官グレーヴェ氏の、人災の証拠を、提出します」
「無礼な」グレーヴェが、冷ややかに言った。「一観測官の私怨を、この神聖な議場に——」
「私怨ではありません」ユイは、グレーヴェの署名を掲げた。「三年前。観測官・立花ハルが、第七迷宮の崩落を予測し、封鎖を要請しました。グレーヴェ氏は、これを却下。立花ハルは、住民を逃がす最中に、死亡。公式記録は『不可抗力の事故』。ですが——」
彼女は、第七迷宮の観測記録を掲げた。
「立花ハルは、却下された後も、観測を続け、グレーヴェ氏に、再三、データを届けようとしました。グレーヴェ氏は、その受領を、明確に拒否した。記録に、こうあります。『観測データの受領を拒否。英雄が討つので不要、と』。——これは、情報がなかったのではない。情報を、突き返したのです。立花ハルの死は、事故ではなく、人災です」
議場が、静まり返った。
「さらに」ユイは続けた。「グレーヴェ氏は、今この瞬間も、同じことを繰り返しています。第二十九迷宮の封鎖要請を握り潰し、審議会前に大災害を起こさせ、災対局の『失敗』を演出するために。隣接する第三十迷宮で、非公式の冒険者に討伐を強行させ、噴出を、意図的に早めた。——これは、一万五千人を賭け金にした、殺人未遂です」
「証拠もなく——」
「証拠は、ここにあります」ユイは、署名の窪みを、ランプにかざした。「三年前の却下印。焼かれた名前。羽ペンの筆圧から、復元しました。ローレンツ・グレーヴェ。あなたの、自筆です」
議場の全員が、その名を、見た。
◇ ◇ ◇
同時刻——第二十九迷宮。
残り、十分。避難は、九割九分。残るは、最後の数十人。封鎖区画を避難路に転用し、ガイが扉を開けて、人を通していた。
「最後尾、確認!」セシルが叫んだ。「あと、五人!」
「瘴気、臨界」アキラが読み上げた。「噴出まで、二分。ガイさん、最後の五人が通ったら、即、閉じろ!」
四人が、通った。最後の一人——足の不自由な、老人。ゆっくり、ゆっくり、誘導灯に沿って歩く。三年前、ハルが、最後まで逃がそうとした、そういう一人。
「来い!」ガイが、扉の取っ手を握った。「お前を、瓦礫の下に、置かない!」
老人が、扉を、くぐった。
その一秒後。
第二十九迷宮が、吼えた。スタンピード。規格外に近い、濁流。ガイが、全体重で扉を閉じる。アキラが、駆け寄って、滑車を、一緒に回す。震える右手で。
鉄扉が、谷を、塞いだ。濁流が、激突した。耐えた。逸れた。無人の荒野へ、向きを変えた。
静寂。
「……全区画、避難完了」アキラは、無線機に向かって、掠れた声で言った。一万五千人。最後の一人まで。「死者——ゼロ」
三年前、ハルが残せなかった「最後の一人」を、今度こそ、通した。
◇ ◇ ◇
議事堂に、その報せが届いた。
「第二十九迷宮、スタンピード発生。災害対策局の避難により、住民一万五千人、全員退避。死者ゼロ」
議場が、どよめいた。
グレーヴェのC判定が、規格外のスタンピードを「注意喚起のみ」と握り潰していたこと。そして、それを災対局が、被害ゼロで止めたこと。すべてが、同時に、証明された。
ユイは、静かに言った。
「グレーヴェ氏は言いました。『全員は救えない、どこかで線を引くのが政策だ』と。ですが、今日、災対局は、一万五千人を、一人残らず救いました。線を引いたのは、誰のためですか。住民のためですか。それとも——あなたの、保身のためですか」
グレーヴェは、何も、言えなかった。
審議委員の一人が、立ち上がった。「……解体動議を、取り下げる。代わりに、筆頭顧問官グレーヴェの、職務上の犯罪について、調査委員会を設置する」
議場が、それに、続いた。
ローレンツ・グレーヴェは、その日、すべての職を、失った。三年前の人災と、現在の殺人未遂。立花ハルの死は、公式に、人災と認定された。机の王は、机の上で、敗れた。
去り際、グレーヴェは、ユイに、一言だけ言った。
「……被害ゼロは、感謝されない。私は、そう信じていた」彼の声は、初めて、人間のものだった。「だが、君たちは——感謝される前に、人を、救い続けた。それを、私は、恐れていたのかもしれん」
◇ ◇ ◇
その夜。第二十九迷宮の、避難所。
アキラは、無線機を握りしめて、一人、立っていた。剣はない。手は、震えていなかった。
無線の向こうで、ユイの声がした。涙の滲んだ、それでも、晴れやかな声。
「アキラ。——勝ったわ。両方、勝った。ハルさんの死は、人災と、認められた」
アキラは、空を見上げた。星が、出ていた。
「……聞いたか、ハル」彼は、右手の包帯に触れた。「お前の死を、事故になんて、させなかった。お前の理論が、一万五千人を、救ったんだ」
涙が、頬を伝った。だが、それは、三年前の涙とは、違っていた。
第二十話、第二部クライマックス「告発」。現場の被害ゼロと、議事堂でのグレーヴェ失脚を、同時進行で書きました。
三年前、ハルが残せなかった「最後の一人」——足の不自由な老人を、今度こそ鉄扉を通して救う。その一秒後にスタンピードが噴く。その報せが議事堂に届き、グレーヴェのC判定が規格外を握り潰していたことと、災対局が被害ゼロで止めたことが、同時に証明される。
グレーヴェの最後の言葉。「被害ゼロは感謝されない、と信じていた。だが君たちは、感謝される前に人を救い続けた。それを、私は恐れていた」。彼もまた、ザイデルと同じ呪いに囚われた人間だった、という決着です。
立花ハルの死が、公式に人災と認定される。次話、終章。包帯の、その後の話を。第二部、完結します。




