第11話:配属辞令
規格外迷宮の一件は、王都を変えた。
英雄が一人も死なず、住民が一人も死なず、二万人が生き延びた。だが、その事実は、当初、誰の話題にもならなかった。被害ゼロの災害は、ニュースにならない。何も起きなかったように見えるからだ。
ザイデルの言葉が、アキラの耳に蘇った。「被害ゼロは、感謝されない」と。
潮目を変えたのは、クロウだった。
冒険者ギルド総帥は、王都中央広場に立った。いつものように観衆が集まった。だが、彼は剣を抜かなかった。
「諸君に、伝えたいことがある」クロウの声は、広場の隅々まで届いた。「先日の規格外迷宮。あれを止めたのは、英雄ではない。災害対策局の、名もない者たちだ。彼らは剣を一度も抜かず、誰一人死なせなかった。私は——彼らに、完敗した」
観衆がざわめいた。
「英雄譚は、華やかだ。だが、本当に街を守るのは、地味で、報われない仕事だ」クロウは続けた。「明日から、私のギルドは、討伐ショーをやめる。代わりに、災対局の避難訓練に、英雄を派遣する。倒す英雄から、守る英雄へ。それが、本物の希望だ」
その演説が、王都を駆け巡った。
国は、災害対策局の権限拡大を決定した。等級判定は、ギルドの興行から独立した国家機関の専権事項となった。現場観測班には、正式な指揮権が与えられた。
辞令の交付式。本部長ヴェルナーが、アキラに新しい辞令を手渡した。
「現場観測班、班長。宮野アキラ」ヴェルナーは、温厚な、だが今度は奥まで読める目で言った。「君は、災対局を潰さなかった。むしろ——国に必要な役所にした。ザイデルは、被害ゼロは感謝されないと言った。だが、君は、感謝される前に、人を救い続けた。それが、答えだ」
「俺一人じゃ、何もできませんでした」アキラは辞令を受け取った。「読む奴、計画する奴、止める奴、勘定を合わせる奴。四つが、揃っていたから」
式のあと、地下二層の作戦室に、四人が集まった。
ガイは相変わらず油まみれで、鉄扉の図面を広げていた。「次の隔壁の補強案だ。規格外が、また来るかもしれん。今度は、二人がかりにならんで済むようにな」
セシルは査定書の山に埋もれていた。「災対局の予算が増えました。これで、観測端末を増やせます。それと——」彼女は声を落とした。「三年前の崩落事故の、塗り潰された署名。少しずつ、解析が進んでいます。あと、もう少しで」
アキラの右手が、わずかに動いた。だが、震えはしなかった。
「焦らなくていい」彼は言った。「俺は、もう逃げない。あいつの——相棒の遺した観測眼で、握り潰された警報を、一つずつ、暴いていく。あいつの死の真相も、必ず」
ユイが、計算尺を置いて、アキラの隣に立った。
「あなたの読みを、私が数字に変える」彼女は前を向いたまま言った。「あなたの勘を、誰にも握り潰させない。……バディとして」
「バディじゃない、って言ってなかったか」
「言ったわ」ユイは、ほんの少しだけ、口元を緩めた。「でも、撤回する。指揮系統の、信頼できる相棒よ」
地下二層の壁一面に、巨大な王都迷宮地図が広がっていた。いくつもの迷宮が、静かに点滅している。読むべき前兆が、止めるべき災害が、まだ無数に眠っている。
アキラは、無線機を腰に差した。剣はない。手は、震えていなかった。
「さあ」彼は仲間たちを振り返った。「次の災害を、止めに行こう。——誰も、瓦礫の下に、置かないために」
王都災害対策局ダンジョン本部。英雄なき、公共機関。
その地味で、報われない、けれど誰よりも多くの命を救う物語は、ここから、本当に始まる。
〈第一部・完結〉
第一部、完結です。最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
倒す英雄ではなく、止める者たちの物語を書きたくて始めました。被害ゼロは、感謝されない。地味で、報われない。でも、誰よりも多くの命を救う。その尊さを、剣を一度も抜かないクライマックスで描けていたら、嬉しいです。
アキラの震える手が、最後には滑車を回し、相棒を握り返し、そして震えなくなる。「克服」ではなく、「守る道を選ぶと、震えは消える」——彼の本質は、はじめから守る側にあった、という話でした。
第一部はここで完結としますが、塗り潰された署名——三年前の崩落事故=握り潰された警報の真相は、まだ解かれていません。アキラの相棒の死の謎、そして災対局のさらなる戦いは、続きの物語でいつか描けたらと思っています(本編はこの第一部で一つの完結を迎えています)。
ここまで読んでくださった全ての方へ。ブックマーク、評価、感想——一つひとつが、地味な物語を書き切る燃料でした。心から、ありがとうございました。




