17.リュクラシアの影の裏で
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「…姫 」
厩舎から戻っている最中、アレスタントが低く秘めやかに声を漏らした。
「…どうかしたの、アレス? 」
ラーレシアはすぐに足を止めて、振り返る。エーレンフェスト式の襞を作ったドレスが優雅に足元を揺らした。
「 …足を止めずに、そのままで」
「 ……」
神妙な表情に、ただならぬ雰囲気を感じて、止まった足を元の位置へ戻すと歩きはじめる。わずかな距離を残して、アレスタントが続く。
「 ……故第七王女殿下の母君、ルヴェラ男爵夫人が幽閉先の修道院から脱走したとの連絡が入りました」
「…ミュリエルの? 」
気がつけば、そう零していた。
第七王女ーーミュリエル。
記憶の底に沈んでいたーーーいや、沈めていた彼女の面影が、不意に蘇る。
「…はい。リュクラシアの方に用意していた《耳》が伝えてくれました」
「……抜かりないのね 」
疲れたように息を吐いた。
「…姫の為ですから 」
アレスタントは少しだけ声を低めてそう言った。誠実な声音に、思わず瞳を伏せてしまう。
「ルヴェラ男爵夫人の足取りは依然として掴めておらず、第二王子のルシアン殿下が探索に当たる手筈となっているということです。なんでも、修道院の方が醜聞を隠そうと、ルヴェラ男爵夫人の失踪をしばらくの間王宮に隠蔽したために、初動が遅れたと…」
「 …そう……」
「万一、ですが。ルシアン殿下がわざわざエーレンフェストまで探索の手を広げるかもしれません。ですので、お伝えを。 」
「エーレンフェストまで?ルヴェラ男爵夫人は一体何をしたというの? 」
わざわざエーレンフェストまで探索の手を広げなければならないのだろうか。そもそも娘であるミュリエルの毒殺容疑のために、謹慎処分となっていただけであるのに、そこまで手をかけるものなのか。
「 …そこまでのことは……申し訳ありません。こちらでも調べておきます」
申し訳なさそうなアレスタントの声が聞こえてきて、ラーレシアは慌てて声を上げる。
「 いえ、その…ごめんなさい、あまり無理はしないで……本当にその、気になっただけだから…」
「…お気になさらないでください。姫の力となることが、私の喜びですので 」
「 ……貴方は恥ずかしげもなくそういう事を言うから……」
あまりにも真っ直ぐで、真摯な言葉に頬に熱が溜まるのがわかる。
「 …姫?」
「 いえ、ごめんなさい。なんでもないわ」
自室の前にたどり着いたその時。
「 …ラーレシア?」
柔らかく小首を傾げて微笑んだアデルナハトが丁度向こう側から歩いてくるところだった。
「 アデル殿下」
その場ですぐに膝を折って跪礼すれば、アレスタントも背後で深々と腰を折ったようだった。
「 楽にして…後ろの君もね」
アデルナハトは興味津々と銀河色の瞳を輝かせ、ラーレシアとそれからアレスタントを交互に見つめた。
「 彼が噂の〈月の守護者〉様なの、ラーレシア?」
「…ええ、そうです。アレスタントと申しますの 」
ラーレシアは場を譲るように一歩下がり、アレスタントを見上げる。彼は少しだけ驚いたように淡い青の瞳を瞬いて、すぐに生真面目にくちびるを引き詰めた。
「 アレスタントと申します、殿下」
「よろしくね、アレスタント」
小柄で華奢なアデルナハトと、長身でがっしりとしたアレスタントが並ぶと、まるで年の近い親子のように見える。アデルナハトはにこにこと小首を傾げると、楽しそうに笑った。
「 兄上たちが、君に興味津々だったんだよ」
「…兄上、と仰いますと、第一王子殿下と第二王子殿下でございますか? 」
「そう。兄上たちがね、君が優秀な騎士ということを聞いて、是非手合わせしてみたいって。アレスタントが良ければ、どう? 」
「…もちろん、光栄なことでございます。 」
「それじゃあ、今すぐ行こう!兄上たちは訓練場にいらっしゃるから 」
笑みを浮かべてその会話を見守っていれば、急にアデルナハトに手を引かれて思わず目を見開く。
「 で、殿下?」
「 ラーレシアも、ほら、行こう!」
アデルナハトの手のひらは、温かくて大きい。繋がれた手を振りほどけなかったのは、きっとそのせいだ。
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がきぃん、と剣と剣がぶつかって、高い金属音を立てた。
「……ふふ、見て。兄上、とっても真剣だよ 」
訓練場に用意された木製の長椅子に隣に腰掛けたアデルナハトが、兄であるヴォルフガングを見つめたまま楽しそうにころころと笑った。
木目の上にあるラーレシアの手のひらは、アデルナハトの手のひらに包むように繋がれている。身じろぐように動かせば、そのまま優しく握り返されて困惑する。
「 右…左…左……!」
ヴォルフガングの獰猛で、獣のように気まぐれな剣筋を、アレスタントは実直にただ受け流していく。
アデルナハトは目を輝かせてそれを見つめ、それから何かに気がついたようにはっと息を呑む。
「 ……後ろ……!!」
いつの間にかアレスタントの背後にいた第二王子、レオナードが大きく剣を振りかぶって下ろすーーーその瞬間、激しい金属音が鳴った。
きぃん、と一際高い音とともに、アレスタントがどこか冷静にレオナードの剣をいなしたところだった。
「 …すごい…!!兄上たち二人相手に一人でここまで……!!」
興奮気味に頬を紅潮させ、アデルナハトはそう言ってラーレシアの手をぎゅっと握った。
「…すごい!すごいよ、アレスタントは…!! 」
「…っ…ふふ…! 」
思わず堪えきれなくなって、笑いが零れ落ちてしまった。無邪気な子どもみたいに、素直に人を褒めるこの人が、どうしようもなく愛おしく感じて。
「……?なんで笑うの、ラーレシア? 」
「 …ふふ…いえ、その…申し訳ありません。殿下がとても、可愛らしく見えて…」
「 …可愛らしい?僕が?」
きょとん、とアデルナハトが目を丸くして、それからすぐに不服そうに頬を膨らませた。
「酷いよ、ラーレシア!僕は可愛いんじゃなくて、格好いいんだよ? 」
「…はい…もちろん、格好いいです 」
慌ててそう言えば、アデルナハトは拗ねたように視線をそらした。
「 …嘘つきだよ、ラーレシア……」
繋がれたままの指先が、びっくりするくらい熱くて。そむけた頬から見える耳朶が真っ赤に染まっているせいで、ラーレシアは小さく笑みをこぼしてしまう。
どうしてだろうか。
幸せだと思ってしまう。
このひとの、隣にあれることが。




