16.不気味なお願い
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雪が溶け始めていた。
窓枠に黙った雪が、雫となって窓を濡らしていく。それを見つめて、すぐにそらす。
「 …ルシアン」
マリユスは自室の長椅子にどさりと腰掛けた自身の義弟を見やった。
ルシアン=ヴィクト=サシェ=リュクラシアーーーリュクラシアの第二王子であり、故タチアナ側妃の息子である。タチアナは王の寵愛する踊り子だったからか、その息子であるルシアンも王に甘やかされている部類であると言える。
「 …なんです?」
宝石のように澄んだ赤の瞳が、どこか挑戦的にマリユスに向けられる。
それを受けて柔らかく微笑む。
「明後日には狩猟に遠方まで出向くと聞いてね 」
「…その通りです 」
「 何を狩るんだい?」
マリユスが柔らかく問えば、ルシアンは怪訝そうに眉を寄せた。少し癖のある栗毛を掻くと、獅子のような雄々しい美貌に苛立ちが混ざる。
「 なぜ、そんなことを?」
「 ただの世間話だよ?兄と、弟の」
「兄、ねぇ? 」
ルシアンは鼻で笑うと、マリユスが用意させていたエーレンフェストの紅茶が入ったティーカップをそのままひっくり返した。
赤茶色の液体がびしゃ、と床に落ちて染みを作っていく。
思わず眉を寄せて、ルシアンを見つめた。
顎に手を添えて諭すように微笑む。
「作ってくれた方に失礼だ、ルシアン」
「…… 」
ルシアンが無言なのを見て、諦めて小さく頷く。仕方なく笑みを浮かべた。女神のような、完璧な笑み。
「 …零してしまったものは仕方ないね。後で片付けさせよう」
「 ーー腹割って話しましょうよ、義兄さん」
低く、唸るような声にマリユスは笑みを深める。
「 嬉しいな、兄さんって呼んでくれるなんて」
「…チッ… 吐き気がする」
ルシアンは舌を打つと、マリユスから視線をずらした。
「 …んで、何なんです?あんたが俺を呼ぶなんて、滅多にないでしょう」
「 そうかな?ふふ、お願いがあってね」
「お願い? あんたが?」
紅玉のような瞳が、不審そうにマリユスを見上げた。
「 そう」
マリユスはただ微笑む。紫水晶に慈愛を乗せて。
「 殺してほしい人がいるんだ」
「 …は?」
ルシアンの顔色が変わるのを、どこか冷静に眺めながら。
*****
一人の青年が重厚な木の机の上で、深く息をついた。漆黒の黒髪は艷やかで、几帳面に纏められている。紺青の瞳には、どこか疲れたような光が宿っていて、燭台の灯りを受けて引き寄せられるように瞬いた。
「 ……」
青年が手を伸ばす。机の上にひっそりと置かれていた小さな画板を手のひらの中に落とすと、そっと引き寄せた。
美しい女性が描かれていた。腰まである長い黒髪は、まるで女神のように神々しい。その白い指先には小さな男の子。それから反対の腕には桃色の頬の赤子を抱いている。
「 …母上…」
疲れのせいで滲んだ視界に、鼻の付け根を摘むようにして圧迫した。
深く息を吐いた。
夜闇に青年の黒髪が溶けていく。
深く、深く。




