3話 わたしもスピカが好き!(2)
菜々子がにっこりと笑った。隼はあわてた。
「そうなんだよ、掃除の途中で気分転換に」
「20分も?」
また菜々子がにっこりと笑った。
菜々子は20分もここで大声を出し続けて待っていたのか。まさか怒っているのか?と隼はぎくりとした。確かに『スピカ』は4分20秒だから、5回聞けば20分は超える。
「まあ、入れよ、部員は今、俺の他には誰もいないけど」
隼は菜々子が座るためのパイプ椅子を用意した。
「うん、じゃあ失礼します」
菜々子は小学生の砂場遊びの跡のような放送室に入ってきた。歩く仕草も人形のようだった。隼は菜々子に座るように促し、自分も椅子に座った。隼は床に目をやって、ヘッドフォンが落っこちたままだったことに気づいた。菜々子もその目線に気づき、ヘッドフォンを見て言った。
「何聞いてたの?」
静かに澄んだ菜々子の声に、隼はこれが菜々子が怒っているのか、いつもどおりなのか分からなくなったが、ありのままを答えた。
「スピッツ」
その瞬間、菜々子は隼をじっと見た。きれいな瞳だった。隼は吸い込まれそうになった。しばらく菜々子は無言になった。隼はやはり、菜々子は怒っているのではないかと思った。
「わたしもスピッツが好き」
菜々子が笑った。さっきまでのにっこりや、教室での人形のような笑顔とはちがった。
「そうか、気が合うな」
少し雰囲気が変わった菜々子に戸惑いながら、隼は答えた。
「ね、スピッツの曲の中で、何が一番好き?」
少し首をかしげるようにして菜々子は隼に尋ねた。あざといくらいの可愛さだった。
隼は考えるふりをしたが、答えはすでに出ていた。
「スピカ」
菜々子は目を点にして、隼を見つめた。そして、動かなくなった。
しばらくして菜々子は目をぱちくりさせたが、何も言わなかった。
驚いたような菜々子の瞳は、たぶん隼が見てきた中で一番美しかった。
星空の中でもひときわ明るく地球に届く、一等星の光のようだった。宇宙がなぜ暗闇なのかを聞かれたら、それは菜々子の瞳の輝きがいっそう目立つように作られたからだと隼は思った。
まばたきを忘れたかのようにして黙っている菜々子を見ながら、隼は放送室の蛍光灯の光を浴びた菜々子の黒髪のつややかさに感心した。
丸みを帯びた輪郭にも、凛とした印象を受ける。全体的に柔らかい顔立ちが、まだ着始めてから間もないであろう桜本高校の女子生徒用のセーラー服とよく調和していた。
この桜本高校の校庭のすぐ脇には、JR神戸線が走っていた。時折通過する電車の音が、よく校舎の中まで小さく届いていた。
ちょうど、JRの走る音が聞こえた。菜々子は、はっと正気を取り戻したようだった。
そのあと少し頬を赤くして、うつむいた。
隼はこの一瞬の間に菜々子に何が起きたのかがよく分からなかったが、菜々子の好きにさせることにした。隼は、菜々子がうつむいて顔を赤くさせていても、変わらず可愛いことに気づいた。おそらくどの角度から見てもそうなのだろうと考えた。
桜本高校の女子が制服に付ける、何角形かの鏡をイメージした校章が、菜々子の胸元に輝いていた。前の学校にもあったのだろうか。身に付ける校章が変わるというのは、どういう気持ちなのだろうかと、隼は思った。
そして、この春まで菜々子のいた長崎とはどういう町なのだろうと隼は考えた。神戸と同じ港町というイメージはあったが、長崎という町を語るには、隼にはまだ知識が足りていなかった。
ふと気づくと、菜々子が何か言おうとしていた。転校生の挨拶をしたときのイメージとはまったく違って、もじもじとした様子だった。菜々子が言った。
「わ」
わ?と隼は思った。隼はそのまま菜々子の言葉の続きを待つことにした。
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