第14話 あおいの休日、レンズの向こう
第14話 あおいの休日、レンズの向こう
夏休みも後半に入った、ある日の午後。 あかりは、二学期用の参考書を買うために、駅前の大きな書店へ来ていた。
重たい紙袋を抱え、強い日差しから逃げるように裏通りの路地を歩いていると、見覚えのある背中を見つけた。 錆びついたトタン塀の前でしゃがみ込み、真剣な様子でカメラを構えている人物。
「、、、あおい先輩?」
あかりが恐る恐る声をかけると、その人物──深月あおいは、シャッターを切ってからゆっくりと振り向いた。いつもの制服ではない、私服姿だ。黒のスキニーパンツに、大きめの白いTシャツ。首からは愛用のゴツイ一眼レフを下げている。
「、、、あかりか。奇遇」
「こ、こんにちは。こんなところで何をしてるんですか?」
「、、、猫」
あおいの視線の先には、室外機の上で昼寝をする薄汚れた三毛猫がいた。あおいは再びファインダーを覗き、息を止めるようにしてシャッターを切る。カシャッ、という硬質な音がセミの鳴き声に混じって響いた。
「へぇ、、、あおい先輩って、星以外も撮るんですね」
あかりが素朴な感想を漏らすと、あおいはモニターを確認しながら小さく鼻を鳴らした。
「別に。カメラの練習。動く被写体は星より難しいから」
「なるほど。あの、もしお邪魔じゃなければ少しだけ、ご一緒してもいいですか?」
あおいは少し面倒くさそうな顔をしたが、拒絶はしなかった。
「、、、勝手にすれば。私はあちこち歩き回るけど」
「はい!ついていきます!」
それから三十分ほど。あかりは、あおいの「撮影散歩」に付き合うことになった。
あおいの被写体選びは独特だった。観光名所や、『映える』パンケーキ屋には目もくれず、錆びついた看板や道路の複雑な白線、ショーウィンドウに映り込んだ雲などを淡々と撮っていく。
「、、、先輩の写真って、なんだか静かですね」
歩道橋の上で、あかりは言った。あおいは手すりにカメラを置き、眼下の交差点を流れる車を撮っている。
「静か?」
「はい。キキちゃんが撮るスマホの写真みたいに『イエーイ!』って感じじゃなくて、、、時間が止まってるみたいです」
「、、、当たり前。写真は時間を止める道具だから」
あおいはファインダーから目を離し、遠くのビル群を肉眼で見つめた。夕日がビルの窓に反射して、街全体がオレンジ色に染まり始めている。
「世界はうるさいから」
「、、、え?」
「音も、情報も、人間関係も。・・・生きてるとノイズが多すぎる。でも、ファインダーの中だけは私が切り取ったものしか存在しない」
あおいは珍しく、自分の内面を言葉にした。普段、耳栓をして本を読んでいる彼女らしい理由だった。
「私は、その『静寂』が好き。星も、街も、同じ」
あかりは、その横顔に見入ってしまった。いつも不愛想で、言葉足らずな先輩。でも、そのレンズの向こう側には、誰よりも繊細で美しい世界が広がっている。あかりは持っていた紙袋を抱きしめ直した。
「、、、私、あおい先輩が見てる世界、好きです」
「、、、はぁ!?」
あおいは驚いたように振り向いた。
「合宿の時の星空も今の街の景色も。先輩が切り取ると、すごく綺麗に見えます。、、、だから、その、これからも先輩の写真、たくさん見せてくださいね」
あかりが照れくさそうに笑うと、あおいはバツが悪そうに帽子を目深にかぶり直した。夕日のせいかもしれないが、耳が少し赤い。
「、、、物好き。、、、それにまだ未熟だし」
あおいはボソボソと言い訳をしながら、カメラを持ち直した。そして不意にレンズをあかりの方へ向けた。
「えっ? わ、私!?」
「動かないで。光、いい感じだから」
カシャッ。抗議する間もなくシャッターが切られた。
「ちょ、ちょっと先輩!今絶対変な顔してましたよね!?消してください!」
「無理。現像するまで見せないフィルムじゃないけど」
「そんなぁ~!お願いです、確認させてください!」
あおいは、ほんの少しだけ口元を緩めてモニターの中の画像を見ていた。そこには、夏の西日を浴びて慌てる後輩の姿が驚くほど鮮やかに、そして優しく切り取られていた。
「、、、悪くない」
「あ、自分だけ見てずるいです!」
「、、、さて、次行くよ。日が暮れる」
「あ、待ってくださいよぉ!」
あおいは足早に歩道橋を降りていく。その背中は、最初に見かけた時よりも少しだけ柔らかく見えた。ファインダー越しではない。生身の距離が、ほんの少しだけ縮まった夏休みの午後だった。




