黒兎②
采和殿に運び込まれた、山のような贈り物たち。
「これはすべて泉国からですか?」
近隣国からも紫釉様へのお祝いにと数々の贈り物が届いていたが、泉国からのその量は群を抜いて多かった。
美しい織物に御仏の像、龍を模した金銀の飾り細工に希少な楽器、それに虎や鷲の剥製までもがずらりと並んでいる。
兄によれば、このほかにも魚の塩漬けや乾燥果実、それに家畜や馬車なども届いているらしい。
「これは純粋な母心か、それとも雪梅様を国元に戻させた迷惑料か……?」
呆れ交じりにそう言う兄だったが、おそらく両方だろう。
私と静蕾様が贈り物の運ばれた部屋にやってきたとき、すでに兄がここにいて、贈り物の中に文が紛れていないか探してくれていた。
兄もずっと気になっていたのだと言う。
「それで、文は見つかったのでしょうか?」
様子から察するに、まだだろう。
私の予想通り、兄は苦笑いで首を横に振る。
「泉からだけでもこのように多くの贈り物がある。まだしばらくかかりそうだ」
「泉国は、雪梅様と紫釉様が連絡を取るのはよしとしないのでしょうか?」
「それは当然そうだろうな。だからこそ、こちらも密かに文を運んだのだ」
唯一の直系皇族として、その血筋を繋ぐことが求められている雪梅様は、あちらに戻ってお従弟とご再婚され、そして昨年御子をお産みになった。
国を継げる待望の男児誕生。光燕にまで一報が届いたくらいだ、泉国に希望がもたらされたとさぞ沸いたことだろう。
ただし、政治の都合で母上と引き離されてしまった紫釉様にとっては朗報かどうか……。雪梅様より文が戻ってこぬままでは、異父弟様の誕生をお耳に入れるのは躊躇われる。
だから、未だ紫釉様は何もご存知なかった。
「では、皆で手分けして探しましょうか」
静蕾様の言葉に、私は頷いた。
そして、日暮れ前。
「どうして文がないのですか……!」
嘆く私を見て、兄も途方に暮れていた。その後も、官吏や武官によってそれらしき物が忍ばされていないか、懸命に探し物は続いていた頃、麗孝様が、黒い兎の玩具を持って采和殿に現れた。
紫檀の机の上にコトリと音を立てて置かれたそれは、一見すると普通の贈り物だ。
私たちはそれを囲み、まじまじと観察する。
「六歳の祝いにしては、やけに幼い玩具ですね……」
静蕾様が不思議そうな顔をして言った。
麗孝様もそれが気になったらしく中に何か入っていないかどうか確認したものの、おかしなところは見当たらなかったと話した。
「黒兎に何か意味があるのでしょうか? 幼い頃の紫釉様が特別に好きだったとか?」
私の疑問に、静蕾は眉根を寄せて首を傾げる。
「幼い頃は、牛や馬などの木彫りの玩具をお気に召しておられましたが、兎は……」
考え込む静蕾様の隣で、麗孝様がスッと短刀を腰から外してその手に構える。
「割るか」
「えっ!?」
贈り物を壊してもいいの!?
ぎょっと目を瞠る私。
ところがここで、静蕾様がいきなり贈り物の山に向かって駆け出し、中から文箱や筆が入った一式を取り出した。
特別に誂えたであろうその豪奢な文箱は、梅の花の絵が描かれている。
皆が注目する中、筆を一本手に取った静蕾様は勢いよくそれを割った。筆は軸先と筆管の間でポキッと折れ、二つに分かれる。
「静蕾!?」
「静蕾様!?」
筆管の中を確認すると、中には丸い紙が詰められていた。
呆気に取られる私たちに、静蕾様は事情を説明してくれる。
「紫釉様が歩き始めたばかりの頃、一つに結んだ御髪を見た雪梅様がおっしゃったのです。まるで黒兎の筆のようだ、と……。以来、筆を持つと紫釉様のことを思い出すと」
雪梅様は、静蕾様なら気づいてくれると思ったのだろう。そして、それは正しかった。
筆の中からは、紫釉様に宛てた文が三通出てきた。静蕾様は「雪梅様の字です」と感極まったように呟く。
「紫釉様をお連れいたします!」
私は気づいたら部屋を飛び出していた。
紫釉様は今、書閣にいらっしゃる。すぐにでもお知らせしてあげたかった。
追いかけてきた護衛と共に、夕陽に照らされる廊下を懸命に走る。
「紫釉様!」
書閣に着くと、椅子に座る紫釉様の後頭部が見えた。一つに結んだ艶やかな黒髪がふわりと揺れ、こちらに振り返って不思議そうな顔をなさった。
「凜風? どうしたのだ?」
「文が……! 雪梅様から」
栄先生に許可を取り、すぐさま紫釉様をお連れする。
喜びと少しの緊張感に包まれた私たちは、トタトタと軽い足音を立てて急いだ。
「紫釉様、母君からの文でございます」
静蕾様がそっと文を差し出す。十枚に分けられたそれは、いつかの文と同じ香りがした。それに、間違いなく雪梅様の文字だった。
「母上が、我に?」
瞬く間に笑顔を浮かべた紫釉様は、文を受け取りすぐに目を通していく。
『六歳になった紫釉へ』
今も変わらず愛していると、健やかな成長を祈っていると綴られていた。
『嬉しいとき、楽しいとき、淋しいとき、そばにいてあげられたらといつも思います。あなたが笑っていてくれれば、それだけで母は幸せです』
いつか必ず会える日が来るから、それまで元気でいて欲しい。そうも書かれていた。
紫釉様は目に涙を滲ませ、大切な文を抱き締める。
「母上……」
このやりとりをするために、どれほどの想いを募らせたことか。
紫釉様の喜びは相当なもので、何度も文を読み返しては嬉しそうにそれを持って移動する。
食事の際も、寝るときも、ずっと傍らに文を置き続けて数日が経過した。
「紫釉様、お気持ちはわかりますがこのままでは破れてしまいます」
「うん、我もそう思う」
しゅんと肩を落とした紫釉様は、大切そうに文を撫でる。たった数日で、文には折り皺がくっきりつき、端の方は丸くなってしまっていた。
「こちらに入れておきませんか?」
静蕾様に提案され、紫釉様はようやく文を香袋の中に入れてくれた。
「これなら、大事に持って歩けますね」
紐をつけて首から下げられるようにすると、紫釉様は嬉しそうに笑ってくれる。上衣の中に隠してしまえば外からは見えないけれど、いつも一緒にいるという安心感があるのかもしれない。
「母上は、我が立派な皇帝になったら喜んでくださるだろうか?」
「はい、もちろんです」
小さな手が、服の上からそっと文に添えられる。母と子を繋ぐのは文だけで、紫釉様にとってはかけがえのない物だった。
離れていても、愛おしいという気持ちは変わらない。
紫釉様は、母上のためにがんばろうと決意を新たになさった。
「我は蒼蓮のように偉くなって、麗孝のように強うなりたい」
「はい、楽しみにしております」
小さな手をそっと包み込めば、はにかんだお顔でぎゅっと握り返してくれる。そんな紫釉様が、かわいらしくて愛おしい。
私は母に離れないけれど、ずっとおそばでお支えしていきたいと思った。
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