言いにくいこと
「着いたぞ」
室内の明るさに、私は思わず顔を顰める。
頭から被されていた羽織りを取られると、そこはやはり蒼蓮様の宮だった。ここは、一階にある蒼蓮様の私室に見える。
「思っていたより早かったな」
「そうですね……?」
どこをどう通ってきたのか、壁をよじ登ったわけでもないのにここへ到着した。以前、蒼蓮様が言っていたようにどこか秘密の通路があるらしい。
「その昔、皇后の目を盗んで皇妃の元へ向かおうとした皇帝がおったそうだ。その抜け道を使っている」
皇帝なのに、皇后が怖かったということか。抜け道を作るほどに……。色々な先代様たちがいたものである。
「今宵は何用でございましょうか?」
私は叔父のことで何か進展があったのか、と身構えた。
ところが蒼蓮様はクッと笑うと、私の隣に腰を下ろして言った。
「許嫁に会うのに理由が必要か?」
「そうですね、このような時間ですので」
「……そなたは冷静だな」
そんなこと言われても、と私は目で訴える。
蒼蓮様は私の髪をするりと指に絡ませると、柔らかく微笑んだ。
「秀英から聞いた。朱哉嵐が口を滑らせたと」
私は視線を落とし、小さな声で言った。
「……叔父はどうなるのでしょう?」
「証拠が揃えば、極刑は免れぬ。柳家の内部で起きたこと、として処理するには難しい」
「それは、私が陛下の世話係であるからですか?それとも、皇族の許嫁だから?」
蒼蓮様は黙ったまま、答えることはなかった。
私が後宮に来たことで、色々なことが変わってしまったのだとそう思った。
もやもやした気持ちでいると、蒼蓮様が真剣な声音で尋ねた。
「後悔しているか?後宮へ来たことを」
私は即座に否定する。
「いいえ」
悔しい気持ちや虚しさはある。けれど、悪いのは叔父なのだ。
柳家の調査が間違っているとは到底思えないし、兄があのように告げたということはやはり以前から叔父に怪しい動きがあったのだろう。
それこそ、私が知らぬだけで余罪がある可能性すらある。
「残念ですが、すべては叔父がしでかしたこと。柳家に害なす存在であれば、父が許すはずありません。私は私にできることをしてきただけで、己が間違っていたとは思えないのです」
私は紫釉様のお世話係になったことを、間違っていたとは思わない。
蒼蓮様の許嫁になったことも。
きっぱりと告げると、蒼蓮様は少しだけ笑みを漏らした。
「ならば、よい。私の出番はないな」
「出番?」
「秀英が、『妹は叔父が好きであったから落ち込んでいると思う』と申すのでな。もし嘆き悲しんでいるのであれば、そなたのそばにおってやりたいと思うたのだ。だが、杞憂であったな」
その言葉に、私はくすりと笑う。
「いつまでも泣いておるわけにはまいりません。強くならねば、ここでは生きていけぬでしょう?」
本当はやりきれない気持ちでいっぱいで、あんなふうに窓辺で過ごしてしまっていたのに、蒼蓮様が会いに来てくれただけで心が軽くなったように思えた。
突然強くなれるわけもないけれど、それでも強くあろうとしなくてはいけない気がした。
「頼もしいことだな」
「そうあれればよいと、思うております。……私はいつか、紫釉様だけでなく蒼蓮様のこともお支えできるようになりたいのです」
そうそう頻繁に泣いて、立ち止まってなどいられない。すでに起きてしまったことならば、腹を括るしかない。
私はここにいたいから、前を向くしかないのだ。
「あまり強くなられては、私の役目がなくなるな」
蒼蓮様は冗談交じりにそんなことを言う。
「そんなことはありませんよ?いきなり現れて驚きましたが、今宵は蒼蓮様が会いに来てくださってうれしかったです」
気にかけてくださるのだと、それがわかるだけで十分幸せだ。
ところが蒼蓮様は、私の言葉に驚いた顔つきに変わる。
「うれしい?」
「はい、気が滅入っていたのは本当ですから、うれしかったのです」
「それではまるで、凜風が私のことを想うておるように聞こえるが?」
「は?」
このお方は一体何をおっしゃっているのだろう?
私はそのおきれいな顔を凝視して、目を瞬かせる。
「凜風。そなたは私のことが好きなのか?」
「!?」
面と向かって問われると、どうにも認めがたい。
だが、ここでふと気づいた。
そういえば、私は求婚されたときも自分の気持ちを伝えていない……?
え?蒼蓮様は、今の今まで私に好かれていると思っていなかったの?
じっと見つめられると、次第に自分が赤面していくのがわかる。どう見ても、私が「好きだ」と言うのを期待されている。いつも以上に目がものを言っている……!
耐え兼ねて目を逸らせば、逃げられないように肩を抱かれて捕まってしまった。
「凜風」
「あの、すみません。私の気持ちはとっくに伝わっていると思っておりましたが」
「伝わっておらぬ。わからぬ。言え」
「怖いです!」
好きだとかそういうことを口にするのは、はしたないというか何と言うか、柳家の娘として恋に現を抜かすのはよくないと理性が叫ぶ。
かといって、目の前のお方は私が白状するまで逃がしてくれそうにない。
「こちらから告げれば、凜風も言いやすくなるのか?ならばいくらでも言おう。私は凜風を愛おしいと思うておる、気の強いところも繊細なところも、己に恥じぬ生き方をしようとするところもすべてを好ましいと……」
「わーーーーーーー!!!!」
柳家の娘が、とか、世話係が、許嫁が、とかそういうことがすべて吹き飛んでしまった私は、大声を上げて蒼蓮様の言葉を遮った。
「交渉事ではないのですよ!?そちらが言うならばこちらも、というわけにはまいりませぬ!」
涙目で訴えかけると、蒼蓮様はまったく理解できないというような顔で首を傾げた。
この方には、好きだと伝えるのが恥ずかしいという感覚はないらしい。
けれど、私があまりに抵抗するものだからそこは価値観の違いという風に受け止めてくれたらしく「気長に待つことにしよう」と言って蒼蓮様は引いてくれた。
しかし、二人きりでいられたのもこれまでで、廊下をバタバタと走る音が聞こえてくる。
──ガンガンガンガンガン!!
壁を小刀の柄で激しく叩く音がして、兄がやってきたのだとすぐにわかった。
「蒼蓮様!凜風を今すぐお返しください!二人は許嫁であっても納徴も請期もまだですよ!?」
兄がとんでもない誤解をしている。私が宮に連れ込まれたみたいに思ってる?
蒼蓮様が「うるさいのが来た」と呟けば、血相を変えた兄が扉を勝手に開けて押し入ってきた。
私は慌てて蒼蓮様から離れようとするが、彼の腕はいっこうに放してはくれなかった。
「あああ、もう、何を本当に連れ込もうとなさっているので!?朱家の間者に二人がここへ入るのを見せるまでが約束でしょう!?」
予定と違う、と憤る兄の言葉に私は驚く。
「兄上?どういうことですか!?」
二人で何かを企んでいたようにしか聞こえない。
私が睨むと兄は「うっ」と怯んだ。
「秀英、どうせなら嘘を真にしてしまうのも」
「絶対にダメです」
即座に否定され、蒼蓮様はじとりとした目で兄を見る。「そんな顔してもダメですよ……」と呟いた兄は、長いため息の後ですべてを話してくれた。




