夜半の訪問者
夜になり、紫釉様の寝所で二胡を弾いた私は、安らかな寝顔を見て癒された後で自室へと戻った。
後宮はとても静かで、窓から見える月が今日は殊の外美しく見える。薄雲がかかり、それが通り過ぎてまた黄金色が輝きを増す。
襲撃事件以来、こうしてのんびりと月を眺めることなどなかったなと気づいた。
美しい月も、見る側の気分によってその印象が変わる。心地よい風や静けさの中でも、虚しい気持ちが拭えずにいた。
「愚かなこと……」
血縁関係というだけで叔父を信じていた自分も、そして柳家を敵に回した叔父も。
兄は一体、どのような心地で叔父と接してきたのか。
跡取りだから大丈夫、というわけでもないだろう。それでも、大丈夫にしてしまわなければならない。
まさかこんな風に物憂げな気分になる日が来るとは、つい半年前には思いもしなかった。
窓辺に座り、頬杖をついた私は満月を見て物思いに耽る。
するとそのとき、木々の陰に誰かがいるような気がした。
窓から身を乗り出して目を眇めれば、その人はゆっくりと姿を現す。
「蒼……!」
名を呼びそうになり、慌てて口を閉ざす。
蒼蓮様は謁見用の衣や羽織り姿で、どこかへ出かけていてそのままここを訪れたのだとわかった。
狼狽える私を見て少し笑った蒼蓮様は、周囲を窺いながらこちらへと駆け寄ってくる。
そして、窓辺にいた私に両手を伸ばして言った。
「来い」
「え?」
彼は、私がその手を取ることを疑わない。
けれど、「来い」と言われても……。
「夜です。それに、窓ですよ?」
「そうだが?」
窓から出て、どこへ行こうと言うの?
説明はないのかと顔を引き攣らせるも、これはもう従うしかないと早くも悟った私は、恐る恐る手を伸ばす。
しかしその手が届くより前に、蒼蓮様が動いた。
「わっ……!」
脇の下に手を入れられ、強引に持ち上げられて外へ出される。地面にふわりと下ろされたのも束の間、木々が生い茂る方へと手を引かれて走る羽目になった。
このまま木々を突っ切っていけば、食堂の裏へ出て、突き当りの壁を超えると蒼蓮様の宮がある。
行き先は予想がつくけれど、「壁はどうやって超えるのだろう」と疑問に思ったところで考えるのをやめた。
いけない。
誰かに見られたらとんでもないことになる。
「こんなところを誰かに見られたら……」
夜着の女官と女好きだと噂の執政官。どう見ても人知れず逢瀬を楽しむような雰囲気に見えてしまう。顔と名前がわかってしまえば、とんでもない醜聞になる。
蒼蓮様は、慌てる私をちらりと振り返ると、その場で立ち止まって羽織りを脱いだ。
「これを」
「!?」
バサッと頭から紺色の羽織りをかけられ、視界が真っ暗になる。
そしてほぼ同時に、その腕に担ぎ上げられてしまった。「これはもう拉致ではないの?」と気が遠くなる。
「しばし我慢せよ」
まさか、再び蒼蓮様に担ぎ運ばれることになるとは。
今回ばかりは抵抗しても無駄だろうと予想がつき、私は諦めておとなしく連れ去られるのだった。




