視察と聞いていましたが?
食事と休憩を挟み、次なる視察の場所へ──。
本日の予定を順調に行っていると思っていた矢先、私は思わぬ場所へやってくることになった。
黒を基調にした大きな邸は、つい半年ほど前まで私が暮らしていた生家である。
「ようこそお越しくださいました。当主・柳暁明に代わり、妻である柳美鈴がご案内いたします」
何も聞かされていなかった私は、見慣れた邸と笑顔の母、そして使用人一同の姿を見て愕然とする。
長い黒髪を薄紫色の紐で編みこみ、華やかな衣を纏った母は四十代には到底見えないくらい美しさを放っていて、五大家の妻としての風格を感じさせた。
性格はともかくとして、久しぶりに見る母は、皇族を出迎えるために相当準備に手をかけたのだとわかった。
「どうぞ中へ。ごゆるりとお過ごしください」
「出迎え、感謝する」
蒼蓮様は皇族らしい堂々とした態度で臨み、紫釉様と共に中へと入っていった。
母は颯爽と衣を翻し、二人を案内するために先導する。
だが背を向ける直前、私を一瞥してにこりと微笑む。
──何から聞こうかしら?
含み笑いにも見えるその笑みは、蒼蓮様とのことをおもしろがっているのが伝わってくる。
あぁ、私に今日のことを教えなかったのは、きっと母の指示だろう。
私が蒼蓮様とのことを「模範解答」を用意できないように……!
紫釉様が「秘密」とおっしゃっていたのは、このことだったのね!?
あぁ、母から何を聞かれるのだろう。
いや、紫釉様らもいる場でいきなり本題に入ることはない。母だって右丞相の妻だ、空気は読めるし場を弁えるのも当然だわ。
大丈夫、困ったことにはならないはず。
そう思って私も後に続くと、邸の廊下で予想外の出来事に見舞われた。
「飛龍様っ!いけませんっ!!」
バタバタと走る足音と乳母の声。
庭に面した廊下を歩いていると、泥だらけの弟が何やら長いものをずるずるとその手に引きずって現れた。
「飛龍!?」
「姉上!おかえりなさいませ!」
紫釉様と同じ五歳の弟は、黒い衣に水色の羽織り、髪は頭頂部で丸く結って簪で飾り付けるという来客を出迎えるための装いにも拘わらず、自分の身長よりも長いツルビャクブの茎を持って、泥だらけになっている。
二男や娘は、邸の中で客を待つのが常識だが、待ちきれなくて庭で遊んでこうなったというのが容易に想像できた。
飛龍の乳母や護衛たちは、皇族がやって来るというのにこんなことになってしまい、今にも気絶しそうなくらい顔面蒼白だった。
とはいえ、母はいつものことと冷静な対応をする。
「これは我が子が失礼を。すぐ下がらせますのでご容赦ください」
おほほ、と笑顔でそう言って、予定通り奥の離れへ紫釉様らを案内した。蒼蓮様はこの場に残り、飛龍を興味深そうに観察している。
私は慌ててその場に屈み、小走りで駆けて来た飛龍を諭す。
「久しぶりね、飛龍。でも今日はさすがにその姿ではいけないわ。大事なお客様がいらしたのよ」
私も今の今まで、この訪問を知りませんでしたけれどね!
弟の破天荒ぶりは今に始まったことではないけれど、まさか今日もこれとは……。蒼蓮様がおおらかな方でよかったわ。
「子よ、それは何に使うのだ?」
蒼蓮様の問いかけに、飛龍は自分の持っていた長いつるを見て言った。
「戦う!騎馬隊はこれで敵を薙ぎ払うのです!」
「ほぉ、それは勇ましいな」
「うん!兄上はあんまり強くないから、飛龍が戦うのです!」
思い当たる節があったのか、蒼蓮様は顔を背けてクッと笑った。
「元気だな、柳家の二男は」
「はい。おっしゃる通りでございます」
あまり強くない、と弟に言われてしまった兄はがくりと項垂れた。
「教育が行き届いておらず、誠に申し訳なきことで……」
兄は心底困り果てているという風にそう言うが、実は、兄も昔はこんな風に活発すぎる少年だったのだ。
母方の騎馬民族の遺伝だろうと、母も含め親戚中が口を揃える。
ただし、兄は柳家や国を率いる大事な大事な嫡男である。そのため、ありとあらゆる人物の手を借りて名家の跡取りらしい人物になれるよう矯正されたのだ。
しかし、それはかなりの苦行だった。本人も、周りも。
「二年ほど前でしたか、父が早く邸へ戻ってきたときがありまして。そのとき、泥と池の水に塗れた飛龍が父の前を横切ったのです。父は叫びました。『またこれかー!』と……」
教育に困難を極めた嫡男に続いて、二男までがこのわんぱくぶり。大人の方が、根負けしてしまった。
二男まではとても手が回らず、飛龍は自由にすくすく成長している。
事情を聞いた蒼蓮様は、あることにふと気づく。
「秀英の教育は成功したのか?落ち着いてはいるが、まともとは言い難い」
真剣にそんなことを言い出した蒼蓮様に対し、兄がじとりとした目で睨む。
「蒼蓮様、そこは疑問に思わないでいただけます?あなたもまともではありませんよ」
二人は互いに「自分の方がマシ」という空気を醸し出しているが、私からすればどちらもおかしい。
ただし今はそんなことを競っている場合ではなく──
「さぁ、飛龍。身体を拭いて着替えてきなさい。そんな姿ではお客様に失礼よ」
乳母に弟を連れて行かせようとすると、ここでさらに意外な人物が現れ。
庭の奥から小さな女の子が歩いてくるのが見える。
乳母らしき女性に手を引かれ、眉尻を下げて半泣きの状態で彼女はやってきた。
「飛龍様ぁ、置いていかないでくださいませ~!」
淡い黄色の衣を着た女の子は、飛龍よりも少しだけ背が低い。
うちに娘は私以外いなかったはず、と怪訝な顔で見つめれば、彼女は私に気づいてぱぁっと顔を輝かせた。
「凜風お姉様!」
繋いでいたその手を振り切り、パタパタと軽い足音を立てて走り寄る。
その顔には見覚えがあり、私はぎょっと目を見開く。
「翠蘭姫!?一体どうしてここに!?」
皇后選定の儀の際に、私の二胡を壊してしまった李家の姫。彼女がここにいるとは、一体どういうことなのか。
しかも、翠蘭姫も飛龍と同じく泥まみれである。どう考えても、二人は一緒に遊んでいて、姫は弟に巻き込まれてこんな姿になっているようにしか思えなかった。
「あー、凜風。後で話そうと思っていたんだが……」
振り返ると、兄が言いにくそうに切り出した。
「実は、李家のごたごたに乗じて翠蘭は柳家の預かりとなったんだ」
「預かり……?」
「翠蘭はうちの二の姫になった。先月から私たちの義妹だ」
「えええ!?」
5月17日発売!
「皇帝陛下のお世話係」ノベル2巻&コミックス1巻
ノベル版は半分くらい書き下ろしで、新しいエピソードが満載です♪
紫釉様の成長や凛風の仕事ぶり、蒼蓮の深まる愛情と不憫がより楽しめる内容になっております!
どうかお楽しみください!
漫画版では、吉村悠希先生の描く麗しい世界観が最高です。
お兄ちゃんと蒼蓮の不憫かっこいい姿よ……!( ノД`)煌びやかな中華の世界、詰まってます。
なお、小説版もマンガ版もずっと名前にふりがなついてます。読めない・覚えられないが解消されて、ストレスフリーな中華をお楽しみいただけます。
ありがとうございます、スクウェアエニックスさん…!
※アニメイトさんなどでの特典配布は、なくなり次第終了です。




