父とは
大広間に集まった私たちは、母のもてなしで茶を楽しむことに。
とはいっても、茶を飲んで寛ぐのは大人たちだけで、紫釉様は着替えた飛龍や翠蘭姫と三人で木彫りの騎馬隊を手に楽しそうに遊んでいる。
私たちはそれを横目に、母と兄から事情を聞いた。
翠蘭姫はもともと李家の傘下にある分家の娘だそうで、皇后候補を立てるために、生家から離れて李家へとやってきたのだという。
ところが皇后選びは白紙に戻り、養女になったのにその身を持て余してしまった翠蘭姫は、李家であまりよくない扱いを受けていたんだとか。
しかも、先日、李家の当主・李仁君が失権したことにより、李家の本家が見事に解体され、嫡男の睿様が奮闘しているものの一族を纏めるにはまだまだ時間がかかり、翠蘭姫のことにまで手が回らないという。
そこで、柳家は翠蘭姫を養女にすることにした。
私が睿様に嫁がない以上、李家との縁は繋げない。その代わりに蒼蓮様と兄が考えた代案というのがこれだった。
「翠蘭姫は、将来的に飛龍と縁組をするのですか?」
私が尋ねると、兄は悩ましい顔をした。
「今のところはその予定だ」
きっぱり言い切れないのは、あの父が突然の方向転換をする可能性があるからだ。
私たちの胸中は複雑である。
「まぁ、我らに今できることは、翠蘭が柳家に来てよかったと思えるような環境を作ってやることしかない。これ以上、つらい思いをしないよう心を尽くすつもりだ」
「兄上、母上、どうかよろしくお願いいたします」
どうか、健やかに育って欲しい。
大人に振り回される幼子のことは、他人事とは思えなくて胸が痛んだ。
蒼蓮様は私の背にそっと手を添え、労わるようなまなざしを向ける。
「私もできる限りの支援はしよう。皇后選定の儀をさせてしまった責の一端はこちらにもあるからな」
「蒼蓮様」
この人が力になってくださるのなら、これほど心強いことはない。
ここで母はにこりと微笑み、向かい側に座る蒼蓮様に改めて挨拶をする。
「改めまして、よくぞお越しくださいました。蒼蓮様」
「あぁ、急にすまなかったな。つい先日決まったことにも拘わらず、こうして歓迎してもらえて感謝いたす」
「ありがたきお言葉でございます。また、此度は我が娘・凜風との縁組みをお申し出いただきましたこと感謝いたします」
礼を述べる母に対し、蒼蓮様は少しだけ笑みを向ける。
「礼には及ばぬ。聞いておると思うが、凜風を妃にしたいと右丞相に伝えた。突然のことで母として心労があったと思うが、こうして凜風を連れて来たことでどうかお許し願いたい」
今日の視察は、おそらくこれも目的の一つだったのだろう。
紫釉様に市井を見せ、守るべき国というものに触れさせ、同じ年頃の飛龍や翠蘭と過ごさせること、そして、許嫁の生家を訪れて私に母と対面させること。
かなり詰め込んだ予定だが、蒼蓮様らしいと思った。
「こうして娘を連れてきてくださったこと、うれしゅうございます。それに」
母はじっと蒼蓮様を見つめ、笑った。
「娘などいくらでも召し上げることができるお方が、こうしてわざわざここまで足を運んでくださったこと、その誠意に感謝いたしますわ」
母は、蒼蓮様を気に入ったようだ。
確かに皇族であれば、許嫁の生家へ出向く必要はない。父も納得している以上、わざわざ柳家に顔を見せにくる必要はないのだ。
ところが蒼蓮様は、私と母の顔を交互に見てからかうように言った。
「あの右丞相の妻というものがどのような女人なのか、一度見てみたかったのだ。それに、かように逞しい凜風を育てた家も気になってな」
逞しい、そう言われた私は苦笑いするしかない。
自分では逞しいと思ったことはないのだが、蒼蓮様の中では私はそういう印象なのだろう。
母もこれには少し驚いたようで、目を丸くしていた。
しかしすぐに表情を崩し、手で口元を覆って笑いを漏らす。
「ふふっ、何とも変わったお方ですこと。凜風の性格を知った上で、妃に欲しいとおっしゃったのですね……?それはようございました」
「母上、なぜそのようにうれしそうなのですか」
これには兄も呆れていた。
「いえ、てっきりうちの人の野心に根負けでもしたのかと。もしくは、何か弱みでも握られ、娘を渋々娶ることにしたのではと、そのように邪推する気持ちがありましてなぁ」
母の言うことはもっともだった。
あの父ならあり得るもの。
蒼蓮様も母の言葉に納得し、クッと笑っていた。
「案ずるな。私はあくまで己のために、凜風が欲しいと思うて所望した」
その答えに満足したのか、母は目を細めて頷く。
ここで私はようやく口を開く機会が巡ってきた。
「母上、ご心配をおかけいたしました。勝手なことをしたと、反省しております」
「わかっているなら、よろしい。文でも散々に謝っていたでしょう、もうよいのです」
直接会って話ができて、私は安堵の息をつく。
蒼蓮様は柔らかな笑みを浮かべ、こちらを見つめていた。
それを見た母は、ぽつりと呟いた。
「あの人は、約束を守ってくれたようですね」
その言葉に私が目を瞬かせると、母は穏やかな口調で言った。
「凜風や秀英には、よき父とは思えないでしょうが……。当然、蒼蓮様にとっても右丞相としてのあの人は癖の強い面倒な男でございましょう?」
「そうだな」
「蒼蓮様!?」
即座に肯定した蒼蓮様に、私は思わず声を上げた。皇族が遠慮なんてする必要はないけれど、母の前で直接的すぎませんか!?
「柳暁明という男は、世間では野心家だの強欲だの言われておりますが、実はさほど権力欲の強い者ではございませぬ」
母の言葉に、私と兄は揃って首を傾げる。
蒼蓮様も「ん?」と悩むようなそぶりを見せた。
だって、どう考えてもうちの父ほど野心や権力を欲している人はいないと思うから。
そんな私たちを見て、母は苦笑いになる。
「ふふっ、でもこれは本当のことなのです。あの人はただ、難解なことにほど手を出したがるだけ」
「難解なこと、ですか」
よくわからない。
私は怪訝な顔で母を見つめる。
「政にせよ、柳家を繁栄させることにせよ、いずれも光燕で最も難しい役目であると、あの人は申しておりました。だからこそ、おもしろいのだと」
蒼蓮様は何かに気づいたように目を丸くし、兄は兄で「わかるけれどわかりたくない」というような苦悶の表情に変わる。
「政は、暴君として振る舞っていいなら簡単でしょうが、国をよりよき方向へ導くというのは実に骨の折れることでございましょう。それに柳家にしても、すでに五大家で最も力のある家柄。これをさらに繁栄させるのは難しいことにございます」
「そうであろうな。中堅であれば伸び代もあるが、上に立っている者は落ちる可能性が常に付きまとう。重責は相当であろう」
蒼蓮様は腕組みをし、淡々とそう述べた。
「娘のことも、あの人は蒼蓮様なら己の娘を預けるに足るお方だと思い、此度の話を受けたのでしょう。凜風が生まれたときに私はあの人に言ったのです。『女人の幸せとは、伴侶によって左右される』と。それに『娘を道具として使うのならば、あらゆる視点から評価してよりよき縁談相手を見つけるべし』とも言いました」
「母上がそんなことを?」
私は呆気に取られる。
「ええ。そして暁明様はそれを約束してくれたのです。『娘の幸せという、曖昧なものが混ざる方がより難易度が高くおもしろい』と言って」
おもしろがられても、娘としては複雑である。
兄も同感なようで、遠い目をして心ここにあらずというような雰囲気になっていた。
「あまり嫌わないであげて欲しいわ。皇后候補に立てたことも、李家に嫁ぐ可能性を示唆したことも、あの人にとっては凜風を幸せにするという目標を掲げた上での行動なのです。人の心がわからぬところは確かに難点ではありますが」
「そこが一番問題だと思います、母上」
娘からすると、「そうなんですね」とは受け入れにくい話だった。
母は続けて、蒼蓮様に向かって深々と頭を下げる。
「蒼蓮様。どうか凜風をよろしくお願いいたします。かように気の強い娘ですが、かわいらしいところもございますので」
「あぁ、わかっておる。凜風のよさは、母御の次に知っていると思いたいくらいだ」
全肯定され、私は居た堪れなくなり俯いてしまった。
ところが、蒼蓮様は構わず私の髪に触れ、麗しい笑みを向けてくる。
「右丞相の娘であってもこの手に欲しい、と思うのは凜風だからだ」
「…………」
親の前でこの状況、私は一体どんな罰を受けているのだろうか?
こんなときどうすればいいのか、なんて習っていない。私は柳家の娘として、蒼蓮様の許嫁としてどうすべきかわからない。
母は私たちを見て、ふふっとまた笑った。
「よかったですね、凜風。世話係のことも、蒼蓮様のお相手も、しっかり務めるのですよ」
「……は、はい」
こうして、予想外の里帰りはのんびりと過ぎていった。




