視察へ行くらしい
紫釉様の側近候補の少年たちが集められ、和気あいあいとした雰囲気で初回の顔合わせが終了した日から数日後。
書閣から私室へ戻ってきた紫釉様が、開口一番で報告してくれた。
「出かけることが決まったぞ!外じゃ!」
「外?視察が決まったのですか?」
「蒼蓮が朝餉のときによいと言うた!一緒に外へ行くのだ!」
「まぁ、それはようございましたね。凜風も楽しみでございます」
紫釉様はこれまで後宮や宮廷から出たことは一度もなく、皇帝陛下としてのお役目だとはわかっていても、視察がとても楽しみなようだった。
以前から、李家の後始末が落ち着いたら視察へ行く予定は計画されていたけれど、まさかこれほど早く実現するなんて。
紫釉様があまりにうれしそうで、部屋にいた静蕾様や宮女たちも目を細めていた。
「行き先は、黒陽の街を一通り巡るのですよね?治安もよく、おでかけにはよい場所と聞いております。紫釉様にとって初めての視察ですから、しっかり準備をいたしましょう」
宮廷がある黒陽は、光燕国の中心だ。高い壁に囲まれたこの街は、各地を治める太守たちの許可を得たものしか入れないから比較的治安がいい。
私もあまり外へ出たことはないので、下調べをしておかなければ……と思う。
ところが紫釉様は、さらに笑みを深めて楽しそうに言った。
「黒陽とそれから……」
「それから?」
私が首を傾げると、紫釉様はご自分の口を手で塞ぎ、ぐっと何かを堪える様子を見せる。
「ひみふ」
「秘密、でございますか?」
一緒に行くのに、秘密も何も行ったらわかりますよ?
じっと見つめ合うも、紫釉様は頑なに教えてくれなかった。
「我は約束したのだ。秘密ぞ」
くるりと背を向けた紫釉様は、静蕾様に駆け寄り、衣にお顔を埋めて黙秘を貫く。
その様子を見て、静蕾様が笑った。
「紫釉様が秘密にすることを覚えるなんて……。これも成長でしょうか」
宮女たちが一斉に頷く。
ときおり麗孝様が「女人は全員紫釉様に甘い」と笑っているけれど、こうして目の当たりにすると「確かにそうね」と実感した。
「さぁ、紫釉様。視察のことは後ほどで。そろそろ弓の時間ですよ」
静蕾様の言葉に、私も立ち上がって気持ちを切り替える。
「それでは紫釉様、馬場へ向かいましょう」
声をかけると、紫釉様は笑顔で頷き、私と共に部屋を出た。
弓の道具は背後を歩く宮女が持っていて、先日出来上がったばかりの道具は皇帝のための特注品だ。
五歳用の小ぶりの弓は、龍の彫り物がしてあって威厳ある意匠だが、紫釉様がそれを持つとどうしてもかわいく見えてしまう。
「大きくなったら、蒼蓮が狩りへも連れて行ってくれると」
「狩りですか?どんなところなのでしょう?」
「森に入って、鹿や猪を射るらしい。蒼蓮も麗孝も、楽しいと言うておった」
紫釉様の興味を削いではいけないので、できれば動物の血をみたくないという本音は隠して答える。
狩りは、武官や太守に仕える者たちにとって「できて当然」のことで、狩りのうまい男性は勇猛で賢いと評判がよくなるらしい。
五大家の子息たちも嗜みとして経験するくらいだから、紫釉様にとっても一度は経験しておくべきことなのだろう。
とはいえ、私の場合は心配な気持ちの方が勝ってしまう。
「狩りに行くのであれば、うんと上手にならないといけませんね」
護衛付きだから安全とはいえ、練習して上達してから……という想いを込めて私は笑って言った。
「凜風もするのか?」
「私ですか?」
紫釉様は目をキラキラさせて、そう尋ねる。
残念ながら、私は弓を持ったこともない。
「一緒に習ってはどうか?我が大きくなったら、一緒に狩りができるぞ」
これは紫釉様の期待に応えないといけない!?
ちょっとやってみようかと思っていると、待っていた麗孝様が私たちの話を聞いてあははと明るく笑って言った。
「紫釉様。凜風に弓は無理です。二胡を弾く手が壊れますよ」
「手が?それはダメぞ。痛いのはかわいそうだ」
「でしょう?だから、紫釉様がしっかり獲物を狩って、凜風や静蕾への土産にしてやってください」
麗孝様の言葉に、紫釉様は「わかった」と言って素直に頷く。
馬場の隣には弓の練習場があり、武官たちがそれぞれの武具を身に着けて陛下の到着を待っていた。
「ここは皇族や上級武官の練習場です。今日から紫釉様もこちらで弓を学びますが、まずは道具の使い方を覚えて、身体をなじませることから始めましょう」
武術と同じく、弓を教えるのも麗孝様だ。
十歳までは、基本的なことはすべて彼が紫釉様の師となるのだと聞いている。
武術に弓に、乗馬もそろそろ始まる年頃だというので、皇族は本当に忙しいのだなと感心した。
「それでは、紫釉様はこちらへ」
麗孝様に促され、紫釉様は弓を宮女から受け取って歩いていく。
私は宮女らと共に、紫釉様が真剣に説明に聞き入る姿や弓を構える姿を見守っていた。




