叱られる皇族
紫釉様の熱が下がって5日後、後宮医から経過は良好だと判断されてようやく日常生活が戻ってきた。
今日の朝餉は、蒼蓮様とご一緒に召し上がり、昨日まではまだとろんとしていた目もぱっちりとしていていつもの元気な紫釉様に見える。
「お加減がよろしく、何よりです」
蒼蓮様がそう言うと、紫釉様はにこりと笑った。
「龍眼と、林檎みたいな果実がおいしかった。蒼蓮が持って来てくれたと静蕾が……」
「あぁ、北方で作られている棗でございますね。こちらで手に入るものより甘味があって、でもさっぱりしていると聞きましたのでお持ちしました。お気に召したのなら明日も」
「いい。毎日はいらぬ」
ズバッと断られ、蒼蓮様は呆気に取られている。
紫釉様は野菜の炒め物をパクパクと食べ進めていて、そんな叔父の様子に気づかない。
幼子の無邪気な一撃を受け、蒼蓮様がしゅんとしているのがちょっとおもしろい。
「「ふふっ……」」
控えている私と静蕾様は、お二人の様子を見てつい笑みを漏らした。
以前、蜜菓子がおいしかったと礼を言われた蒼蓮様は、毎日同じものを後宮へ持ってきた。さすがに毎日はいらない、と紫釉様を含め全員がげんなりしたのを覚えている。
きっと棗のことも、はっきりと伝えなければ毎日持ってくるだろう。しかも大量に。
近頃、紫釉様はだんだんと物言いがしっかりしてきて、蒼蓮様に対しても遠慮がなくなってきているように思う。
はっきりと「いらぬ」と言えるのも、打ち解けてきた証だと私たちは喜んだ。
だがしばらくの後、紫釉様の膳にぽつんと青菜の炒め物だけが残っていることに気づく。
あぁ、久しぶりにこれが出たか……。
身体にはいいんだけれど、紫釉様は青菜が嫌いなままだった。
じぃっとそれを見つめる大きな目。
食べようか食べまいか、迷っているように思う。食べたくない、という気持ちがひしひしと伝わってくる。
がんばって……!
紫釉様、どうにか食べて……!
固唾をのんで見守っていると、蒼蓮様が紫釉様の様子に気が付いて、全員の視線が青菜の皿へと集まる。
「「「「…………」」」」
何かしら、この緊張感は。
たかが青菜を食べるだけで、異様な空気が漂っている。
誰も何も言わずに、ただ時間だけが過ぎていった。
そして、紫釉様がちらりと蒼蓮様を見る。
大きな目でうるうると上目遣いに見る紫釉様。
それに気づき、かわいさのあまり青菜に箸を伸ばす蒼蓮様。
え、まさか食べる気ですか?
「「あ」」
次の瞬間、私と静蕾様は思わず声を上げる。
食べちゃった!
紫釉様が嫌がっているからって、蒼蓮様が食べちゃった!!
蒼蓮様は、素知らぬふりをしてもぐもぐと咀嚼する。
いやいやいや、バレています!?
私たちがおもいきり見てますよ!?
なぜごまかせると思ったんです!?
紫釉様は喜んでいるけれど、私の隣で静蕾様が怒っているのが感じられる。
好かれたいからって、その点数稼ぎはまずいのでは。
すっと彼のそばに寄った静蕾様は、笑顔で一言告げた。
「ダメですよ……?蒼蓮様」
その圧の恐ろしいことといったら、背筋が凍るほどだった。女官長として、世話係の代表として、紫釉様のためにならないことは許しませんという怒りを感じる。
蒼蓮様は小さな声で「すまぬ」と言って目を逸らす。
紫釉様も怒りを感じ取ったようで、気まずそうに目を伏せていた。
皇族であろうが最高位執政官だろうが、後宮では静蕾様が一番強い。
結局、青菜は追加で届けられ、紫釉様は嫌そうに顔を歪めながらそれを食べることとなった。
朝餉が終わる頃になり、蒼蓮様が取り寄せた茶が紫釉様のもとへ運ばれてくる。
艶やかな色使いの茶器は、先日蒼蓮様の宮で会った雹華様の作ったものだ。
琥珀色のお茶の表面には、花弁が3枚浮いている。
今日は少し時間があるという蒼蓮様も一緒に茶を楽しみ、私はその間、二胡を奏でることになった。
「そなたの二胡は、宴以来だな」
紫釉様にはほとんど毎日弾いているけれど、言われてみれば蒼蓮様がいる場で弾くのは久方ぶりだった。
「ご希望の曲はございますか?」
そう尋ねると、予想通りの答えが返ってくる。
「紫釉陛下がお好きな曲を」
くすりと笑った私は、わかりましたと言って席に着く。
そして、紫釉様が好きな雨の日の唄を弾き始める。
ゆったりとした気分になれる曲だから、朝餉の後にのんびり過ごす今の時間にもぴったりだ。
静かな後宮に二胡の伸びやかな音色が広がる。
蒼蓮様からいただいたこの二胡は、低音も高音もとても美しく、かなりの名器だった。
紫釉様の回復は喜ばしいし、その上、お二人の関係も良好となれば弾き手である私の心も軽くなり、演奏はこれまで以上に順調に進んだ。
ところが、そろそろ曲も終盤という頃になって、奥の扉がそっと開く。
顔をのぞかせたのは私の兄で、蒼蓮様を呼びに来たのだとすぐにわかった。
けれど、伝令としてやってくるのは私の兄ではないはずで。
何事かしらと思っていると、兄は座っている蒼蓮様のそばに片膝をつくと真剣な顔つきで耳打ちをした。
蒼蓮様は穏やかな表情が一変し、小さな声で「わかった」とだけ告げた。
兄が出て行ってすぐに、私の演奏は終わる。
紫釉様は隣に座っていた蒼蓮様を見上げ、心配そうに尋ねた。
「もう行くのか?」
もう少し一緒にいられると思っていたのに、とその瞳が残念そうだ。
蒼蓮様は立ち上がり、控えめに笑って言った。
「はい、所用ができましたゆえ」
「そうか」
「それに、紫釉陛下にもお仕事が……。詳細は夕刻にお知らせいたしますが、『皇帝陛下』として審議に出席していただきます」
皇帝陛下として。
つまりは、政で大きな裁可が必要になるということだ。
蒼蓮様は一礼し、すぐに部屋を出て行った。
静蕾様がそのあとに続き、準備について聞いて来てくれるだろう。
私は二胡を置き、座っている紫釉様のそばに片膝をつく。
「お茶を飲んだら、書閣へ行きましょう。午前中の予定に変更はないでしょうから」
夕刻にまた詳細を、と言っていたから、それはつまり夕刻までは詳細がわからないということだろう。
私たちは正装の準備をしたり食事内容を変更したり諸事の確認があるが、紫釉様ご自身の動きは特に変わらないはず。
「わかった」
短く返事をした紫釉様は、お茶を飲み干し、元気よく席を立つ。
そして着替えをするべく、麗孝様と共に移動を始めた。
室内の片づけを使用人に任せ、私は二胡を持って後を追う。
廊下を黙って歩きつつ、知らせを持ってきたときの兄の真剣な様子が妙に気になった。
紫釉様のおそばにいると後宮内の出来事しかわからないけれど、世の中は確実に動いていて、蒼蓮様や兄は日々大きなことに関わっているのだと思うと漠然とした不安が胸に巣食う。
前を歩く小さな背中を見ていると、どうか紫釉様のお心が平穏無事でありますようにと願わずにはいられなかった。




