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第一章 水辺の少女と樹上の子供

「珍しいわね。こんなところに、人の子なんて」

 笑みを含んだ声に、柳の枝が慌てたように揺れる。

 そちらに目線を向けないまま、少女は小川に浸した爪先を揺らして飛沫を飛ばした。

 ぱしゃん、と舞った水滴が陽光を反射して、水面にきらきらと小さな影を落とす。

「お出でなさいな。別に、取って食ったりしないわよ?」

「……」

 逡巡するような、僅かの間の後。

 枝が先程より大きくしなり、少し遅れて小さな影が降ってくる。

 川べりに腰掛けた少女は、ぱあっと顔を輝かせて身を乗り出した。

「お前、村の子かしら」

 無邪気な笑顔に晒されて、木の上から降ってきた子供は、落ち着かなげにきょときょとと視線を泳がせた。

 まだ幼い。くりくりとした大きな瞳に、柔らかな輪郭があどけない、女の子だ。肩を過ぎるくらいの黒髪が、色々な方向に跳ねている。麻の着物は少し褪せた萌黄色で、丈の短い裾から覗く脛は棒のように細い。

 概ね予想した通りの姿に、ここから少し下ったところにある村の子だろう、と少女は見当をつける。華やかな都から離れた山の中に相応しい、素朴な格好だ。

 少女とは、違って。


「あなたは、誰」

 幼い顔は感情を映さないまま、纏う気配だけが戸惑いから警戒へと塗り替わる。

真っ直ぐに向けられた視線を正面から受け止め、少女はく、と顎を上げた。

「どう見えるかしら?」

 悠然と微笑む顔立ちは端整で、きめ細かな肌はまともに日の光を浴びたこともないように白く透き通る。ふわりと広がる浅葱色の袿は、流水紋が織り込まれた上質な綾絹。無造作に草地に投げ出されたその上に弧を描くのは、立ち上がっても足元まで届きそうに長い、漆黒の髪。

 浮世離れしたその姿をまじまじと見つめ、子供が一歩後ずさる。


「警戒しているのかしら? 可愛いわね」

 クスリ、と小さく笑い、少女が手を伸ばす。子供は逃げるように右足を引いて、自らを庇うように両腕を胸の前で交差させる。微かに見開いた瞳に映るのは、警戒ではない。恐怖だ。

 少女はふ、と目を逸らした。

「――」

 密やかな呟きが、せせらぎに紛れる。

 聞き返そうとしたのか、身じろいだ子供に、少女がふわりと微笑みかける。華やかな笑顔に気圧されて、子供が開きかけた口を閉じて、魅入られるように少女を見つめた。


「こんなに澄んだ流れなのだもの。人ならざるモノの一人や二人、いてもおかしくはないとは思わない?」


 ざあ、と吹いた風の音が、厭に大きく響いた。

 さらさらと流れる水に手を浸す少女の瞳が、伏せた睫毛の向こうで妖しげな波色に揺らめく。

 子供はひゅ、と息を呑んだ。身体の横に垂らした手が、着物の袖を強く握り込む。

「あなた、は」

「さあね」

 張り詰めた子供の言葉を遮り、少女は指先に付いた水を弾いた。

「折角会えたのに残念ね。けれどもうお帰りなさいな、人の子よ。ここはお前が来るべき場所じゃないわ」

 宙を舞った雫が、水面に落ちて波紋を広げる。

「何を言って、」

「村にお帰り。そして二度と、此処に来ては駄目よ。所詮、人と(あやかし)とは相容れぬものなのだから」

 歌うように軽やかな声音で、少女は警告する。

人間の来訪を喜ぶのは束の間。次の瞬間には手のひらを返して帰れと言う。

 ――それで良い。妖とは、気紛れなものなのだから。


 子供は唇を噛んで俯いた。やがて促されるままに踵を返すも、躊躇いがちな歩みは二、三歩で止まる。

「どうしたの?」

 遠ざかろうとしない背中を訝しんで、少女が声を掛ける。細い肩がピクリと跳ね、跳ねた髪が勢い良く翻った。

「嫌」

「え?」

 発言の意図を汲みかねて、少女は柳眉を寄せる。振り返った子供の、幼さに似合わず意志の強い瞳が少女を射抜いた。

「また来ます。あなたがここに、来るのなら」

 強い瞳。強い声。軽い気配が走り去ってからも、その場に残る強い意志。

 少女はぱたりと瞬いた。二、三度、少女の言葉を反芻し、かくりと項垂れて額を押さえた。

「……変な子」

呟いた声が震えていることに、気付かぬふりをして首を振った。


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