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ロマネスクの誘い  作者: 今夜は山田
第一章:入学式と顔合わせ
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4.四月一日(土)①「せまぁい……」

 ――俺は、道に迷って困っていた。

 家を飛び出て、冒険家さながらの気分で山に入ったけれど、山には俺の望むものは一つさえなかった。歩いていく内に木々の茂りは激しくなっていって、太陽の光が届きにくくなって、恐ろしい気分に襲われた。でも、冒険に行く、と大見得を切って出てきたものだから、すぐに帰るのにも耐えられなくて、怖いのに、ずんずん山の奥へと入っていった。でも、俺はすっかり忘れていたのだ。この世界には夜というものがあって、夕方になれば、辺りはどんどん暗くなっていくんだっていう事を。気が付くと、俺は夜の闇に囲まれていた。山だから、ほとんど何の光も見えない。足下さえ覚束ない。歩いても、登っているのか降りているのか分からなくなって、俺は途方に暮れた。泣かないぞ、なんて決意はすぐに揺らいで崩れて、やたらに歩き回っては、もう家に帰れないんだと大泣きした。

 それから、俺は無限と思える時間を森の闇での彷徨に費やしたあと、俺を探しにきた父に発見された。

「なんだ、情けない。何が怖いんだ」

 父は、足を痛めていた俺を背負い歩き出すと、俺がぐずっているのに気付いてそう聞いた。 

「暗くて、何も見えないから……」

「そんなの、家に居て電気を消したって同じだろう」

「それはそうだけど、でも、ここは家じゃないし……」

 俺は、父の背中が小さく揺れるのを感じた。

「本質を見ろ、清介。お前がここに来て迷ったまでは、俺は責めん。だが、意味もなく泣いていた事は別だ」

 父は、怒鳴っていないのに十分に迫力のある声で、そう言った。

「ダーヴィンの進化仮説ぐらいは、お前も知っているだろう。知らなければメンデルの遺伝法則でも構わん。どちらにせよ、生物というのは、遺伝子に縛られているんだ。一つの人生で、人は変われん。その者に与えられた設計図以上の結果は出せんものだ。分かるか?」

「う、うん……」

 本当はよく分かっていなかったけれど、いつになく父が饒舌だったので、俺は無理にそう頷いた。

「まあ、今分からなくても良いんだ。どちらにせよ、人は遺伝子の殻を破れん。魔法も、誕生した頃は神なる力だと畏れられたものだが、結局は殻を破れはしない。お前はまだ、魔法を超常現象だと思っているだろう? そうだ、それが常識だからな」

 父の低い声が心地良くて、俺は自分の目が徐々に閉じていくのを感じた。

「だが、常識には間違いもある。さっきお前が泣いていたのもそうだ。夜の山で迷子になったら誰でも泣く、という常識が染み付いてしまっている。……泣くのが悪いと言っているんじゃない。泣くべき場面もあるだろう。だが、夜の山で迷子になったとき、泣いて何が解決するというのか? 泣く前に歩き回るべきではないのか? 清介、本質を見るというのはそういう事だ。魔法も所詮はお前自身に過ぎん。過信するな。己の足と頭を同列に扱え。良いな」

「うん」

 広い父の背中に頬を寄せながら、俺は答えた。父は満足そうに、そうか、と笑った。




「……兄さん、兄さんってば!」

 乱暴に肩を揺すられて、俺は急速に覚醒した。

 体を起こして、ふう、と一息吐く。ええと、何をしていたんだったっけ。

「もう七時になっちゃいますよ、兄さん。早く目覚めて下さい」

「小石?」

 ベッドのすぐそばで、小石が俺をじいっと見下ろしていた。

「兄さん、さては寝ぼけてますね……」

「ああ、多分。ちょっと待ってな……」

 今日は、船に乗る日だったっけ。いや、船にはもう乗ったか。――その辺りから、俺の記憶が一気に蘇ってきた。そうだ、もう明青学園に着いたのだった。七時に、船で知り合った同級生、司との晩ご飯の約束がある。

「よし、思い出した」

 部屋に入って、ベッドに転がり、うっかり眠ってしまったらしい。腕時計を見ると、時計の針は六時四十五分を指していた。

「ほんとにもう、兄さんは……ご飯の前に少し話そうと思って来たのに、ぐうすぴ眠っているなんて」

「ごめんごめん。疲れてたみたいでさ。いつ頃来たんだ?」

「六時半ごろです。十五分も待っていたんですよ!」

 さっさと起こしてくれれば良かったのに。でも、そういう思いやりのあるところが、小石の魅力の一つだ。

「という事ですから、兄さん? ケーキの一つや二つ、奢ってくれますよね?」

「うん?」

 小石は、ベッドに腰を下ろしながら、

「じゃないと私、兄さんを許しませんからね」

 と、満面の笑みを浮かべた。一旦不機嫌になると、小石の恨みは根が深くなるからなぁ……。

「仕方ない、それで手を打とう」

 俺はしぶしぶ、そう答えて笑った。だが、すぐにおかしな事に気付いて、

「ここってオートロックじゃなかったか?」

 と、訊ねた。

「あ、それ……私の生徒手帳でも開いたんです。多分、認識システムがおかしくなってるんだと思いますが……」

「危ない話だなぁ。無防備じゃん、俺」

「良いじゃないですか。私は、自由に兄さんの部屋に入れるの、ありがたいです」

 小石にとってはありがたいかも知れないが、俺にとっては迷惑でしかない。荷物が盗まれ放題になってしまう。それに、たとえ妹の小石であっても、部屋に堂々と入ってこられるのはちょっと困る。

「明日、管理室の人に報告しとくよ。早めに気付けて助かった、ありがとう」

「残念ですねぇ……。と、そろそろ行きましょうか。遅れたら司くんに悪いです」

「そうだな」

 小石との会話の間に、意識もだいぶはっきりとしてきた。俺は頷くと、小石と二人で部屋を出た。




 エレベータで一階まで降りて、エントランスへ出る。エントランスの大時計はまだ七時を回っていなかったが、司はエントランスに据え付けられた大きい長ソファの真ん中辺りに座っていた。

「司くん、お待たせしました」

「お、来たか!」

 司は、俺達に気付くと、ソファから立ち上がって出迎えた。

「……って、どうして小石ちゃんがそっちから出てくるんだ?」

「寝ぼすけ兄さんを起こしていたんです」

 小石が答える。さっきは話をしにきたと言っていたような気がするが――そう言えば、話って何だったんだろう。時間がなくて、ろくに話もしなかったけど。後で訊いてみるか。

「兄妹だからって言っても、羨ましいシチュエーションだな……僕も起こしてくれたりしない?」

「あはは……考えておきます」

「で、どこに行くんだ?」

 実は、さっき目が覚めてからというもの、強い空腹感が俺を襲っていた。多分、睡眠欲が満たされたので、次は食欲が浮き上がってきたのだろう。俺の問い掛けに、司はああ、と応じた。

「港の道――あれ『みなとみち』って名前らしいんだけど、みなとみちにいくつかレストランもあっただろ? だから、あの辺歩いて決めようかなと思ってる」

「なるほどな」

 校内にも食堂があるはずだが、どこにあるのかまだ分からないし、今日は港の方――みなとみちに行くのが最善策だろう。

「うっし、じゃあ行くか……」

「きゃああ!」

「ひええぇぇ!? 何だぁ!?」

 司が手を振り上げようとして、突然の女の子の悲鳴に襲われて叫び声を上げた。

「怖がりすぎだろ」

「二人とも、見て下さい!」

 小石が指差したのは、女子寮への入口の方だった。見ると、小さな熊のぬいぐるみを背負った女の子が、何かに怯えてしゃがみ込んでいる。俺達は慌てて駆けつけた。

「ど、どうされたんですか? どこか痛むんですか?」

 小石が声を掛ける。女の子がふるふる、と首を振ると、ツインテールの黒髪が揺れて、床を撫でた。

「じゃあ、どうしたんだよ」

 続けて司が訊ねる。

「せまぁい……」

「え?」

「狭いんですよぉ! 部屋がぁ! 思い出したら震えが止まらなくて……せ、狭い、狭いよぉ……!」

 女の子はそう言って、声にならない絶叫を吐きながら体を起こした。

「ちょ、僕らが何かしたみたいになってるぞ」

「と、とりあえず、外に出ましょう。立てますか?」

「狭いぃ……狭すぎますよぉ!」

 小石が肩を貸して、女の子を立ち上がらせる。俺は手伝おうと手を伸ばしたが、女の子に触れる少し前で小石に叩かれてしまった。人助けとは言え、異性に触れるのが気に食わないらしい。小石は人一倍そういう事に敏感だった。

「狭いぃぃ……」

 呪文のように繰り返す女の子を連れて、俺達は寮のエントランスを出た。

 外は完全に日が落ちて真っ暗になっていた。噴水には光のイルミネーションが掛かっていて、幻想的な空間を作り出している。生徒の姿がかなり多いのは、恐らく夕食時だからだろう。どの生徒も、仲間と話をしたりしていて楽しそうな顔をしている。

「…………」

「落ち着きましたか?」

 その中で、女の子は全ての絶望を背負ったような表情をしていた。もう、この世に良い事なんて一つもなく、悲しみに満ちていると言いたげだ。身長がやけに低いのも、見ている俺達の同情を誘う。いや、でも――さっき言っていた事を考えると、何だろう、どうでも良い悩みのような気がするが。

「あ……ご、ごめんなさい! 私、ちょっと冷静じゃなかったみたいです~……」

 じっと次の言葉を待っていたら、女の子は急に人格が変わったように、申し訳なさそうな顔をして言った。

「どうしたんだ? なんか、この世の不幸を全部背負ってるみたいな顔してたけど。あ、僕は山下司。こっちが大原清介と秋野小石ちゃんね。で、この辺に僕の妖精のエリン」

「あ、ええと、ありがとうございました~。私は田村葵たむらあおいって言います。一年生です。皆さんも一年生ですか?」

 女の子――田村葵は、そう言って訊ねた。

「はい、三人とも初等一年生です」

「でしたら、皆さんもあの狭ぁい部屋を見たんですよね……私、あまりに狭すぎて、酸素不足で死んじゃうかと思いましたもん。まさか防音室もないだなんて、うう~……」

 葵ちゃんが頬を膨らませる。幼い顔立ちにとても似合っていて可愛かったが、主張は無茶苦茶だ。と言うか、本当にそんな事で叫んでいたのか。

「不肖、この田村葵は絶望しました! ぷんすかぷんという奴です! ……あと、この学校って狭い割に道が分かりにくいですよね」

「そうかぁ? 僕も、『狂方位の司』って異名を持つぐらいには方向音痴だけど、さすがに今日は迷ってないぞ」

 恐ろしい異名である。今度、司と歩く時は、絶対に司を信用しないようにしよう。

「がーん……。食堂に行きたいのですが、絶対迷っちゃう気がして、中々一歩が踏み出せないでいるんです」

「どこにあるかご存知なんですか?」

「もちろん、知りません!」

 葵ちゃんが元気良く答える。俺と司は、はぁぁ、と溜め息を吐いた。

「……僕、この子と関わらない方が良い気がしてきた」

「……奇遇だな。俺も……俺はそうでもない」

「……じゃあ奇遇じゃないじゃ……ふぐぇ!」

 司がエリンに目を突かれて悶絶した。見えない上に声も小さいので、ほとんどエリンとは会話を交わしていない。だけど、うっかり司に同調しすぎると、俺も同じ目に遭わされる可能性はある。くわばら、くわばら。

「私達も知らないので、三人でみなとみちまで食べに行こうと思っていたんです。良かったら、ご一緒しませんか?」

「ええっ、それはとてもありがたいです! あ、でも、良いんでしょうか。ご友人三人で、水入らずだったのでは」

「俺達も今日知り合ったばかりだから、むしろ大歓迎だよな」

 小石だけに勧誘を任せるのは申し訳ないので、俺も参加する事にする。司に加えてもう一人、女の子の友達が出来れば、小石も心強いだろう。

「そうなんですか~。それでしたら、ぜひご一緒させて下さい! 一人だと、多分また迷ってしまうので……」

 葵ちゃんはそう言ってから、えへへ、とはにかんだ。

「じゃあ、行こうぜ。話は歩きながらでもできるんだしな」

 司の言葉に、俺達は頷いた。

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