2.入学式②
それからしばらく待つと、他の新入生もぽつぽつと姿を見せ始め、十分ほどで講堂の席が大体埋まった。腕時計に目を向けると、時刻はちょうど午後五時半を回った所だった。朝から今まで、ほとんどが長い船旅だったのに、それでも家を出たのがずっと昔の事のように思えて、少し不思議な気分になった。
それからすぐに、壇上に眼鏡の男が上がった。
「新入生の皆さん、よくぞいらっしゃった!」
男の声が、講堂に響く。マイクがないのを見ると、これも拡声魔法の力なのだろう。まだざわついていた新入生は、その一声で一斉に静まった。
「私は明青学園教頭、安藤だ。以後、よく見かける事になるから、覚えておいてくれたまえ! ――さて、私の出番は三十秒と決まっているので、そろそろ校長に出番を譲るとする」
安藤教頭が深々とお辞儀をする。あまりに早い退場に、会場中から和やかな笑い声が上がる。安藤教頭に代わって壇上に上がったのは、若い女性だった。――うわ。
「皆さん、こんばんはー。明青学園、校長の小早川ですー」
「げ……」
顔を見なくても、司の表情が見えてくるようだった。多分、俺と小石も同じ顔をしていただろう。
「あの方、校長先生だったんですね……」
「さすがに驚いたなぁ」
小石を二人で感想を言い合う。奔放そうで、枠にはまっていないように見える、人を食ったような性格っぽい人。そういうイメージが強くて、いまいち校長先生と言う感じはしていなかった。だから、この人が担任でなければ良いな――などと思ってさえいたと言うのに。
「ただー、知っての通り、明青学園は学園と呼ばれているからー、校長じゃなくて園長や学長と呼ぶ人も居るわよー」
何となく間の抜けた話をしているし、威厳はあまり感じない。底知れない人ではあるんだろうけど、校長としてはどうなのだろうか。――そこまで考えて、俺は調査の事を思い出した。学園の事を調査する上で、ある程度上位の人間と親交を結ぶ必要があると考えていたのだが、その問題は割と簡単に解決できそうだ。あの女性――小早川校長は、俺の苦手なタイプだけれど話は出来る相手だ。少なくとも、さっき一瞬だけ出てきた安藤教頭に比べれば、かなり話し易そうに思える。まあ、どうせ簡単に会える相手ではないのだけど。
「皆さんの表情を見ていると、希望に満ち溢れていて羨ましいばかりよー。だけれど、たとえば安藤教頭はー、『けしからんですな! あの浮かれぽんちらめ! 性根を叩きなおさねばなりませんな!』なんて息巻いていたのよー?」
やけに熱の入った物真似で、生徒の半分が笑い声を上げた。
「それから、一年三組の担任の小田先生はー、『試験が簡単すぎますよー! こんなの、普通の子なら小学生でもできますー!』なんて声を震わせていたのよー?」
今度も物真似だったが、話が具体的になったので、笑い声はあまり起こらなかった。
「魔法を学ぶ目的は、多岐に渡る――のだけど、明青学園の先生は皆、血の気が多いのよねー。だからー、皆にちょっと協力して欲しいのよ。口うるさい先生を、ちょっとだけ静かにするお手伝いー」
話が、少しおかしな方に転んだ。生徒達がざわつき始める。
「今から、皆には、私の分身と戦って貰うわー。そこで良い成績を収めてくれたらー、先生方も、ね?」
「に、兄さん。何だか、雲行きがおかしくないですか?」
「俺もそう思う……」
生徒達には動揺が広がっているようだった。そりゃあそうだ。粛々と進むと思っていた入学式が、初っ端から荒々しい事態になりつつあるのである。一部の生徒は闘志を湧き上がらせているようだが、ほとんどの生徒は怖がったり不満を漏らしたりしている。
「ひゃっほう! 僕、こういう熱い展開好きだぁ!」
司はちなみに、一部の生徒に含まれる一人のようだった。単純な奴だ。
「あらあら、皆、あまり乗り気じゃなさそうねー。こう言えば、納得して貰えるかしら? ――これは、最終入学試験なの」
小早川校長の表情は、にこにこしたものから変わらない。一方、生徒達の方は、ほぼ全員が顔面蒼白していた。
「にに、兄さん。わ、私、嫌な予感しかしません……」
小石の緊張もマックスに達したようで、声が震えている。一体、小早川校長は突然何を言い出しているんだ?
「大丈夫よー。私の魔力を半分に割ってー、人数分、二百十五で割ってー、たったそれだけが一人当たりの相手だからー」
「何だよ、敵になんのか、それ?」
司の威勢は未だに良い。ここまで来ると、純粋に凄いような気がしてきた。ちら、と、脇に下がっている安藤教頭を見ると、その表情は落ち着いていた。多分、予定通りの進行なんだろう。本気で最終入学試験にする気なのかどうかは分からないが。
「落ち着け、小石。俺達はちゃんと入学試験をパスしてきたんだ。余裕だっただろ? 仮にこれが最終入学試験だとしても、そんなに難しくはないはずだ」
「そ、それはそうかも知れませんけど……ああ、もう、兄さんが落ち着いているせいで、私はもっとテンパっちゃいます! 責任取って下さいよ!」
「んなご無体な……」
小石はプレッシャーに弱いタイプだからなぁ。能力面では、俺よりも秀でているぐらいなのに、緊張すると集中が続かなくなってポカをやらかすのが小石の常だった。
「おっ、小早川校長がロッドを出したぞ」
司の言葉で、俺は再び目を小早川校長に向けた。なるほど、先端に宝石のついた、いかにもな杖を小早川校長は手にしていた。そしてそれを軽く振ると、
「じゃあ、レッツバトルー……ふふっ」
と、言った。言葉と同時にロッドが振り下ろされ、その瞬間、辺りは光に包まれた。
……。目が覚めると俺は、真っ白な空間の中で小早川校長と向き合っていた。なるほど、こんな事までできるのか。さすが、明青学園校長の名は伊達ではない。
「大原清介くん、ね。ふふ、本当はここで初めてお話するものなのよ。でも、私達もう知り合い同士だから、自己紹介は要らないわね」
小早川校長の声は、これまでに聞いてきた間延びしたそれではなくて、どこかしっかりしていた。魔力をかなり分割して作った分身だと言っていたから、その辺りが影響しているのかも知れない。分身魔法なんて高度すぎて、よくは分からないが。
「そうですね。って、これ、本当に戦うんですか?」
「そうよ。大丈夫、今の私とあなたなら、あなたの方がずっと強いもの」
小早川校長は、そう言って笑んだ。
「分身より弱い子なんて、一人も居ないわ」
「じゃあ、これって何の為にやってるんですか?」
「さぁ、何の為でしょう? ふふっ」
俺は、一つ深呼吸をした。落ち着こう。何となく、まだ夢見心地な気分だった。何事も、時間があるなら冷静になっておいて損はない。これが最終試験だというのも、単なる脅しでなければ真剣にやらないと大変だ。
「制限時間、ないですよね?」
「ええ」
何となく、違和感を感じていた。こうして強制的に、「戦え」と言って連れ去った割には、どうも態度が戦闘態勢にない。しかも、自分はあなたより弱いとさえ言い放った。単純に易しい試験なだけかも知れないが、どうも何かが抜け落ちているような……。
「ふうん、清介くんは慎重なタイプなのね。さすが警察官の息子さん……って、これは禁句かしら」
「良いですよ、警察官の息子ですし」
「ふふっ。あのね、何も合格不合格を決めるだけが試験じゃないの――って去年までは言ってたんだけど、改めて辞書を引いてみたら合格不合格を決めないと試験じゃないみたいなのよ。世知辛いわ……」
小早川校長はそう、うなだれる。話の脱線の多い人だ。
「だから、あなたの『慎重さ』を判定して、合格。……と、こういう形式を取る事にしたの」
「え……え? 終わりですか?」
「ええ。試験は終了」
目的の分からない試験だ。まぁ、最終入学試験――と聞いた時に生徒達の気が引き締まったのは間違いないから、全く意味がない訳でもないか。俺も小石も浮かれていたには違いないし。
「でも、いくつか聞きたい事はあるの。あんまり時間はないから、手短に話すわ」
小早川校長は、そう言うと、顔から笑みを消した。
「清介くん、あなた――『神隠し』について、調査に来たの?」
「はい?」
突然の質問に、俺はとりあえずとぼけて誤魔化した。『神隠し』とは、俺が父から調査を命じられた事件の通称だ。調査の事をぺらぺらと話す訳にはいかないが、こうも正面切って訊ねてくるからには、もしかすると既に洩れているのか。と言うか、警察の幹部の息子だというだけで、そのぐらいの想像はついてしまうのだろうけれど……。
「もう一度訊くわ。今度はゆっくり考えてね。――『神隠し』の、調査に来たの?」
問題は多分、そこではなかった。明青学園にだって、外部による調査が必要だと思っている勢力はあるだろう。何せ、生徒が五年連続で失踪していながら、犯人の一人さえ見つけられていないのだ。内部調査に限界を感じる人々が居るのは当然だ。ただ、その勢力がどの程度大きいのか、それは分からない。果たして、小早川校長はどうだろうか。雰囲気から言えば、友好的に訊ねてきている感はある。だけど、それも罠かも知れない。
「いえ、違います」
――大きなメリットが前にあっても、危険は冒せない。それが俺の結論だった。
「と言うか、もし俺が仮に調査に来た人間だったとしても、そう答えますよ」
ついでに、皮肉も飛ばしておいた。
「ふふ。本当に、慎重なのね」
小早川校長は、表情をいつものにこやかなものに戻して、じゃあ、と言った。
「戦いましょうか。これは、明青学園の伝統なのよ」
「えっ……試験は終わったんじゃ」
「そうよ。だから、伝統なの。大丈夫よ、分身は弱いから」
あくまで分身は、ね、と小早川校長は細めた目で器用にウィンクした。
「じゃあ――行くわよ」
小早川校長が指を振る。俺も、咄嗟に身構えて、戦闘態勢に入った。――戦いに使えるような魔法なんて、何にも覚えてないんだけどなぁ。