7.#鵜川衣『姉として、妹として』
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鵜川衣にとって、鵜川光は愛すべき妹だった。いつでも、何をしても、衣は光より一歩前を歩いた。魔法も、運動も、人望も、全てにおいて衣は光を先導していた。衣がその恐ろしさに気付いたのは、つい最近の事だった。衣がどれだけ努力を重ね、達成した事でも、気が付けば光はすぐ後ろに居た。決して、衣をかわす事なく、一歩後ろを歩いている。それはいわば、いつでも衣を抜かせるのだと宣言されているようなものだった。衣はその事実に目を閉じて、光を好きになるように努めた。
転機が訪れたのは、『神隠し』の問題が表面化した時だった。その他の事件、諸々の事情を考慮して内部で調査を進めるべきだと意見した衣に対立し、光は外部からの調査を受け入れるべきだと主張したのである。姉妹で意見が真っ向から食い違うのは、これが初めての事だった。結局、事態は膠着し、会長派と副会長派などと呼ばれるようにはなったものの、二人の仲に影響は与えなかったのだが、この事は衣にとって衝撃的な事件だった。光がついに、雌伏していた光がついに、雄飛して私を追い抜こうとしている――衣はそんな想像に取り付かれたけれど、それもまた杞憂だった。光は、地道に衣の活動に対抗はしたものの、積極的に外部捜査を誘致しようとはしなかった。ますます光の真意が分からなくなった衣は、ずっと悩み続けていた。
「おっけー。衣ちゃん、そっちは?」
それは、この緊急事態の中にあっても、変わらなかった。
「ああ、何とかなった」
衣と光は、初等三年生の生徒の避難のために、廊下に現れたかなりの人数の敵意ある人間を相手に魔法合戦を繰り広げていた。今ちょうど、それがあらかた片付いたところだ。
「後は、高等課程の人たちに任せて、私達も避難しちゃおうよ」
「ああ、そうだな」
ただ、二人はかなり大きな魔法の力を持ってはいたが、所詮は初等課程に通う生徒だった。敵の実力も、それに準ずるほどにはある。そんな敵を大勢、たった二人で相手するのは、かなり無理がある。
「……まだダメかあ」
だが、合流して階段を下りようとした時、また階段の下から敵が駆け上がってくる。
「強行突破するぞ」
「おっけー」
向かってくる三人の敵が何かをする前にと、衣は敵の足下を透明な壁ですくって全員を転ばせた。敵が転び際に飛ばした勢いのある火の玉を軽くいなし、敵を踏んづける形で階段を下りる。続いて現れた敵は、光が未然にどこかへと瞬間移動させた。
「ふう……!」
そんな戦闘を数度繰り返し、やっとの事で、二人はエントランスへと辿り着いた。衣は肩で息をしながら、中庭への扉を押し開いた。
「まあ、予想はしていたがな」
「衣ちゃんカッコイイー!」
中庭は、階段にも勝る激戦の地だった。先生と、生徒と、敵とが入り混じって戦っている。戦況は五分五分、か、わずかに敵の方が優勢そうだ。衣はその真ん中に走ろうとして、光に腕を掴まれ、立ち止まった。
「何だ、光?」
「ダメだよ、衣ちゃん。これだけ疲れてたら、私達じゃ戦力になれない」
光もまた、衣と同じように肩で息をしている。ただ、その眼差しには、力があった。
「たとえそうでも、この状況を見過ごして寮に入れるか」
「入れるよ。真っ直ぐ走って、扉を開けて入るだけだもん」
「可能かどうかじゃない。誇りの問題だ」
衣は、生徒会長になってから、その責務を感じてきていた。日々、それを糧にして、雑務をこなしてきた。だから、衣にとって、今の状況で自分達だけが寮に避難する事は、その責務の放棄に他ならなかった。衣は、光を見つめ返した。光と意見が対立するのは、これが二度目だ。
「ダメだよ」
光は、否定の言葉を繰り返した。
「何がダメなんだ」
「何がって……。今の私達は、あの戦いに参加しても、役には立てないの。ただただ危険なだけ……それって、意味がないよ」
衣は、言葉を失った。自分が持っている生徒会長への誇りと同じように、光もまた、生徒副会長としての誇りを抱いているものだと思い込んでいた。だけど今、それが間違いだったのではないかと思って、衣は呆然とした。
「光……お前には、誇りがないのか。責任を感じないのか」
「あるよ。だけど、誇りも責任も、今は関係ない」
光の言葉が、ぐさり、ぐさり、と衣の胸に突き刺さった。衣は、光の手を振りほどこうと、腕を振り回した。
「もう良い、私だけで行く。光は寮に避難すれば良いさ」
「だ、ダメだよ。私は、衣ちゃんも連れていく」
だが、握る光の手の力は強くて、中々離れない。衣は、腕を振りながら、
「どうしてだ」
と、訊ねた。
「私は……衣ちゃんが居ないと、どうして良いか分からないよ。ずっと、衣ちゃんの背中を追ってきたんだもん」
珍しく感情を乱した光の答えに、衣は腕を振るのを止めた。そして衣は、すぅっと息を吸った。
「嘘を言うな。お前は、抜かそうと思えば、いつでも私を抜かせたじゃないか」
「……うん」
光が頷く。だがすぐに、だけど、と言葉を継いだ。
「私は、先頭じゃ走れないんだよ。前に人が居ないと、どこをどうやって走って良いか分からなくなるから……だから、私には衣ちゃんが必要なの」
「何だ、それは……」
情けない、という言葉を、衣は呑み込んだ。情けないはずがない、と思い直したからだ。先頭を走っていける人は、そう多くは居ない。自慢でも驕りでもなく、衣は自分をそんな人物だと自覚していた。そして、逆に、誰かの後ろを走る事を良しとしない人間だとも、理解していた。光はその逆なのだ。そこに情けない、という言葉は合わない。
「じゃあ、姉として教えてやろう。こんな時、尻尾を巻いて逃げるのは恥ずかしい事だ。生徒会長であり、副会長であるなら、どんな困難な状況でも向き合って、戦わねばならん。それが責任というものだ」
「……うん」
光は頷いた。
「私達は責任ある立場なんだ。それを真っ直ぐに受け止めるという事が、誇りというものだ」
「……うん」
「分かったら、行くぞ。次に立ち止まったら、容赦なく置いて行くからな」
衣はそう言って、再び走り出した。衣を掴んでいた光の手が外れる。衣が振り返ると、光も走り始めたところだった。
「ふっ。そうだ、その調子だ」
その光の表情が、いつものように明るさを取り戻していたのを見て、衣は自分がひどく勇気付けられるのを感じた。




