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ロマネスクの誘い  作者: 今夜は山田
第三章:風
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2.#尾田桜花②『桜花の推理ゲーム』

 朝、九時前に目を覚ました俺は、はぁぁ、と溜め息を吐いた。また、着替えないで眠ってしまった。季節が良いからまだ支障はないが、冬になってもこうだったら体を冷やして体調を崩しかねない。気をつけないとなぁ、と思いながら、俺は洗顔等の朝の作業を済ませた。

 意識がだいぶはっきりしたところで、俺はベッドの上へ無雑作に転がしたままだったメール端末に気が付いた。起動させてみると、昨晩桜花に送ったメールの返信が、早朝四時ごろに届いていた。その時間を見るだけでも、それまで眠っていたのだろう事は、容易に想像できた。

『家族からのお手紙を見せるなんて、シャイな桜花ちゃんにはできないなぁ。心配してくれてありがとねー!』

 と、そのメールには書かれていた。至極真っ当な答えだ。だけど、それでは俺の疑問は解決されない。俺は更に、昨日倒れた理由について訊ねた。恐らくその質問が、俺の一番訊きたい事の根幹だった。

『真面目な話になるんだけど、清介くん、絶対に解決するって約束してくれる? そうじゃないと、余計こんがらがっちゃうと思うんだ。』

 俺は、桜花からの返信をじっと見つめた。そうしないと失礼な気がした。俺が桜花を心配しているのは間違いないが、同時に桜花も、心配かけまいとして配慮しているのだ。それをあえて訊ねようと言うのだから、それ相応の覚悟は必要だろう。桜花が一体どんな問題を抱えているのか、その大きさは今の俺には分からない。分からない上で、それを解決できるか、という命題に答えるには、自分の能力を再度見直してみる必要がある。……どうだろう。小早川校長は、俺の慎重さを評価した。だけど、それが、桜花の期待に沿えるものなのかと言われると、全く自信がない。――解決できるからではなくて、ただ心配だから、話を聞きたいのだ。何も聞かないで、荏苒と日を送るのが、苦痛ほどではないにせよ、すっきりしないだけである。

『自信はないけど、解決するよう努力はする。』

 だから俺は、そう書いて桜花に送った。返信はすぐにやってきた。

『模範的な回答ですなぁ。そうやってこれまで、数多の女の子を泣かせてきた訳だ……ほうほう。まあ、メールじゃ話しにくいから、部屋に来てよ。私の部屋、五一一二号室だから。』

 今の答えで、良かったのだろうか。とにかくも、桜花に分かった、とメールを返してから、俺は手早く出かける準備を整えて、部屋を出た。

 五階は女子寮と男子寮が離れているので、一度中央エントランスを経由して、五階にある桜花の部屋へ向かう。土曜日の午前で、他の生徒の多くが授業に出ているため、俺が一人で女子寮の方に入っていくのに心労を伴う事はなかった。まあ、この時間なら、女子寮に入る事を誰かに咎められる訳でもないのだが。女子寮のエレベータで五階まで上ると、桜花の部屋はすぐに見つかった。扉をトントントン、と軽くノックすると、すぐに鍵の外れる音がした。続いて、扉がゆっくりと開いていく。

「女の子の部屋で二人きり……どきどきするシチュエーションだよねぇ!」

「寮の部屋だけどな」

「つれないなぁ。まま、中に入ってよ」

 俺は、桜花に従って、部屋の中へと入った。

「机の前の椅子に座ってて」

「分かった」

 部屋の作りは、俺の部屋と変わらないようで、勉強机の前にある椅子に俺は腰掛けた。あまり女の子の部屋をじろじろと見るものではないが、桜花の部屋は意外とよく整理されていた。それも、ただ何もないだけではなくて、ベッドの掛け布団は備え付けの簡素なものではなくて、薄桃色のはなびら――多分、桜の花だろう――が描かれたものになっているし、その脇の小さい机には紫の花が飾ってある。普段の桜花のイメージからは程遠い、大人っぽい雰囲気の部屋、というのが俺の受けた印象だった。

「はい、どうぞ。桜花ちゃん特製のアップルジュース! 購買で買っただけだけど」

「お、ありがとう」

 桜花は、ジュースの注がれたコップを二つ持って、部屋に入ってきた。俺は、その片方を受け取って、一口飲んでみる。

「冷えてて美味しいな」

「でしょでしょ。これ、お気に入りなんだよね。『購買の姉御が選んだ! 特選林檎の百パーセント果汁しぼり』って」

「ああ、あれか」

 購買の紙パックジュースの中で、『購買の姉御』シリーズはその派手なパッケージデザインから、一つ浮いて目立っていた。購買の変な商品は買うな、が俺の持つ鉄則なので、これまで手を出していなかったが、これなら購入しても良いかも知れないな――と、そんな感想を言い掛けて、俺は大事な用を思い出した。

「……それで、話してくれるのか?」

 俺は、改まった調子で尋ねた。世間話は楽しいが、今すべき事ではない。

「うん。でも、ヒントだけだよ。考えるのは清介くん担当」

「分かった」

 桜花は、自分のベッドの上に腰を落ち着かせたあと、右手の人差し指を立てた。

「じゃあ、一つ目のヒント。『私が倒れたのは、私が手紙を読んだからじゃない』」

 俺は唐突に、父とよくやった謎解きゲームを思い出した。場面と事件の質は違うが、要領は近い。持っている事実とヒントから、新しい事実を導き出すのだ。まず、桜花が倒れたのが、手紙のせいでないというヒントが与えられた。つまり、倒れた理由は、蓄積した疲労――という事にはならない。そんな自明の事なら、ヒントは『私が倒れたのは、疲労のせい』となるはずだ。そうならないのは、疲労によって倒れたのでもない事を、暗に示している……と、考えられる。語弊によるものかも知れないから、断定するのはまだ早い。今考えるべきは、手紙か疲労以外で、倒れた理由があるか、だ。……十分にある。衣先輩が示唆した通り、『神隠し』に代表されるループ現象による事件以外の事が、この学園に起こっている可能性がある。その絡みで、桜花が襲われた可能性は否定できないし、部屋の前で倒れていたという事を踏まえれば、むしろ有力な可能性として挙げられる。

「あははは、せいちゃん、本物の探偵さんみたいだね」

「刑事さんって呼んでくれ」

 桜花が襲われる理由はあるだろうか。今知っている桜花の個人的な情報は微々たるものだから、そこから推察はできない。推理ができない謎解きゲームは破綻しているから、別に理由があると考えよう。桜花自身の問題じゃないとすればどうだろう。つまり、家族ぐるみ、尾田家として何らかの恨みを買う理由を持っていて、それが手紙によって喚起された。ヒントで『私が手紙を読んだからじゃない』と、わざわざ『私が』という主語を入れてあるのは、他の誰かが手紙を読み、そこから生じた理由で桜花を襲ったからだ、とは考えられないだろうか。少し飛躍しすぎている気もするが、到達点としての安定感はある。

「桜花が倒れたのは、手紙を読んだ誰かに襲われたから、とか」

「わっ。……せいちゃん、推理ゲームのプロ?」

「昔、父さんとよくやったからな」

 桜花はしばらく驚いた表情で居たが、ある時ジュースを一口飲んで、

「あはは、私と一緒だね」

 と、笑った。

「じゃあ、第二ヒント。『私を保健室に連れて行ったのは、勇くん』」

 桜花の指が、二本立つ。勇が桜花を保健室に連れて行ったという事実は、既に知っている事である。俺がそれを知っているかどうか、桜花に判断が付いたかは微妙なところだが、付いていなかったと考えると新たな情報の取得がなくなってしまうから、付いたものだと考えよう。だとすると、改めて事実を繰り返したからには、何らかの意味があるはずだ。例えば、勇が嘘を吐いていない、という事が分かる。だから何だと言われると、困るが。少し、情報を整理する必要がある。今ヒントに出た、勇の行動について考えてみよう。勇は、俺と一緒に桜花が手紙を受け取るのを見て、それから俺とも別れた。それから、桜花が部屋の前で誰かに襲われて倒れ、たまたま通り掛かった勇はそれを助けて保健室へと運んだ。――と、そこで俺は、違和感に気付いた。どうして勇は、桜花の部屋の前を通り掛かったのだろう。勇は、何か女子寮に用事でもあったのだろうか。……自然に考えよう。自然に考えれば、俺と別れた後、勇は桜花を追いかけていった、という結論になる。とすると、勇が居た上で、桜花が襲われたのだろうか。いや、そうだとすると、勇が桜花の寝言をやたらに気にしていた事が噛み合わなくなる。勇と、桜花と、桜花を襲った犯人が同時に存在すると、急に状況の想像ができなくなる。つまりそれは――。

「勇が、桜花を襲った、のか?」

 かなり強引だが、ヒントは『勇のせいで、私は保健室に行く事になった』と言っているようにも読める。勇が桜花を追いかけた理由、襲った理由はどちらも分からないが、こういう風に考えるのが一番合理的だ。

「正解。次は第三ヒントだよ。『勇くんは、私の事を気に入っている』。これがさーいご」

 桜花は、深刻と言うよりはずっと穏やかな顔で、そう言った。




 勇が桜花を襲った、という事実。それだけでも十分驚愕に値するものだったが、俺達の推理ゲームはまだ終わらない。俺はジュースを、一口含んだ。そして、味わう暇なくすぐにからからに渇いた喉に通すと、俺は思考に戻った。

 勇が桜花を気に入っているのだとすれば、それは即、勇が桜花を襲った、という事実に反対を向く。襲った、の意味が違う場合は別だが――それなら、こんな推理ゲームはしないと信じよう。勇が桜花を襲ったという事は、最初のヒントで導き出したように、勇が桜花の手紙を読んだ事をも意味する。桜花の手紙の内容が、勇を激昂させるようなものだった……。勇が、我を忘れて桜花を襲うほどに怒る手紙の内容は、どんなものだろうか。全く思い浮かばない。勇についての情報が、まだ足りていないのだ。もう一度、昨日の事を思い返してみよう……。

「刑事さん、ジュースお代わり、要る?」

「ん。ああ、頼む」

 桜花に、まだ少し中身が残っているコップを手渡す。面倒見が良いところを見ると、この部屋の内装も似合っている気がしてくる。――勇の事を考えよう。勇は、桜花を襲っておいて、保健室に運んだ、という事になる。それに加えて、桜花の寝言の話もしている。ベッドの前で桜花を心配する勇の姿は、真に迫っていたと思う。この辺で、勇の心情に一貫性がない。自分で襲っておいて、あの手紙の事を原因と疑っている。それは、保身の為に自分が桜花を襲ったのを隠そうとしている、という風ではないし、仮にそうだったとすれば、桜花はこんな風な遠回しな方法でなくて、もっとはっきりと被害を訴えるだろう。……ああ、そうだ。おかしな事はまだあった。勇はなぜ、小石にだけ連絡したのだろうか。俺や司、時子には、連絡しておかしいという事はない。なぜ、小石だけを抜き取って、連絡したのだろう。小石が選ばれる理由が、そこにあったはずだ。

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

 桜花からコップを受け取って、一口飲む。甘みが、ほのかに頭に作用して、少しの冴えを取り戻した気分になった。――ここからは、ひらめきの問題だ。事実は大体揃ったと思う。あとは、これらそれぞれを、これらが全て符合するように、少しずつ発展的に解釈するだけだ。

「五分ぐらい、時間をくれ」

 俺は目を閉じながら、桜花にそう言った。俺の武器は突然の、一発命中のひらめきでなくて、試行回数によるひらめきだった。

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