14.四月三日(月)⑤
一ノ瀬先生の号令で、俺達はもう一度、今度は中央に近いところでA組とB組に分かれた。
「今日はB組の勝ちだ。お疲れ様」
B組の方から歓声が上がる。一方のA組は、皆悔しげな表情をしていた。やりたい事をほとんどできずに負けた事が、かなり悔しかったのだ。あの穏やかな小石でさえ、次は負けない、というような様子である。かくいう俺も、何度か相手を食い止めるチャンスに遭遇しながら、力及ばず何の手出しもできなかった事に、ひどくショックを受けていた。そのショックの中には、急襲を受けて慌てたという部分もあるし、こういう争いごとの為の魔法を何も知らないという部分もある。足を引っ張った――とまでは言わないまでも、戦力になれなかったのは間違いない。
「A組の基礎戦略は悪くなかったが、相手の作戦への警戒が薄すぎたな。――まあ、実際にはもっと致命的な部分で、勝ちを遠ざけていた訳だが。B組の作戦はかなり良かった。誰の発案なんだ?」
B組の生徒達から、眼鏡を掛けた女子生徒――試合開始直後の奇襲で、俺と対面した相手だった――が、一歩前に出て手を挙げた。
「名前は?」
「矢井田時子と申します」
「ほう。矢井田家のご息女か」
矢井田家――と言えば、日本で指折りの名家の一つである。葵ちゃんの家、田村家も大きいが、矢井田家もまた大きい。どちらも魔法使いの家系だが、田村家が魔法素養の大きさで多大な力を誇ってきたのに対し、矢井田家は魔法理論の研究で名を上げてきた家柄だ。最近では、田村家よりも少し、矢井田家の方が勢力を伸ばしているという話を父から聞いた気がする。
「なるほど。いや、優秀だった」
「恐縮です。――でも、私の戦術が成り立ったのは、あの方のお陰です」
矢井田時子の声は、澄んでいてかつ力強かった。背は小石と変わらないぐらいだけれど、いかにも格好良い。その矢井田時子は、後ろをちら、と振り返った。
「僕だな」
「……ではなくて、そのお隣の」
「それも僕の内だろ!?」
司が叫ぶ。司の隣の男子生徒を見てみるが……左右とも、試合中では見かけなかった顔だった。
「はっはっは、違いない。彼女が今回の殊勲と言って良い」
「……彼女?」
俺ははっとした。――そうだ、エリンだ。最初の奇襲戦法は、もし俺達が全員で最初に守備を固めるつもりだったら、成功はしなかっただろう。そればかりか、こちらが堅実に戦っていければ、B組はそのまま負けてしまっていた可能性だってある。なぜ、そんなリスクを負ってまで、奇襲を仕掛けてきたのだろうか。……そう、俺達が何組かに分かれて防衛する事が、事前に分かっていたからだ。何せ、B組には姿のない優秀な斥候が居たのだ――。
「兄さん、私、負けた理由の一つが分かった気がします……」
「奇遇だな、俺もだ……」
知らない訳ではないのに、全く考えていなかった。俺と小石の視線に気付いた司は、手を合わせて謝る動きをした。
「気をつけろよ、A組。時子嬢は、ああやってお前達に情報を与えておいて、次の時にはそれを利用した戦術を使ってくるつもりだ」
「先生。そうこちらの作戦をぺらぺらと明かされては、困ります」
そう言いながらも、時子は知性溢れるその顔を、にっこりと笑顔にした。
「よし。今日の授業はこれで仕舞いだ。寮に帰ってよくよく体を休ませておけよ。こういう実技は、慣れないと相当体に来るからな。――明日は、化学の一以外の教科書を全部持ってこい。始業は八時五十分だ」
一ノ瀬先生が、真っ直ぐな姿勢で体育館を出て行く。――今日は、これで終わりのようだった。
かばんを取りに、俺は一旦教室に戻った……と言うより、皆かばんを取りに戻る必要があったので、俺はその行列に紛れていた。やっと、A組の意気消沈もましになってきて、もしかすると険悪な関係になるのではないかと思っていたB組とも、混ざって話をするようになった。その大体が、上手くやられた、とか、だけどあの魔法は凄かったよ、とか、そんな内容だ。俺と小石も、二人で「エリンにしてやられた」というような話をしていたが、司を見つけると、その姿に駆け寄った。
「司くん、お疲れ様でした」
「ん? ああ、二人とも」
司は少し浮かない顔をしていたが、俺と小石を見ると、お疲れ様、と言って笑った。
「大活躍だったな。まさか本当に優等生だとは」
「ふふん。これで、小石ちゃんも僕にメロメロだよな?」
「あはは……メロメロはともかくとして、格好良かったですよ」
小石が、にこりと笑いながらそう言う。確かに、勇の作った壁を軽々と砕いてフラッグを回収していく様は、かなり絵になっていた。司がそれほどでもないけど、と照れる。
「おーっと! そこを行くは副委員長ではあるまいかぁー! 今回のエム・ブイ・ピーの人!」
そこへ、桜花が現れた。試合終了直後はかなり落ち込んでいたから心配していたのだけど、見事に元の騒がしさを取り戻しているようだ。
「正確に言うと、殊勲者のお付きの人だけどな」
「清介ぇ……」
司が露骨に落ち込んだので、俺は、冗談だと言って背中を叩いた。
「うっかり勘違いされたらどうしてくれるんだ、ったく……。気を取り直して。そう、僕が、副委員長こと山下司だ!」
「ほほう。やはりそうか、怪人山下めぇ! この正義のA組参謀長、尾田の桜花ちゃんの刃を受けてみよ!」
桜花がA組の参謀長になった事実はない。まあ、ほぼそれに近いもので確定しそうな感じはあるが。
「な、何……おい清介! この参謀長、ほんとに正義の勇者なのか!?」
「さ、さあ」
「ははは、怪人山下、今日こそは観念するが良い!」
何故か、謎の小芝居が始まった。うっかりキャストに入らないよう、心にしっかり鍵を掛けて観劇の態勢に入る。
「この僕を、倒せると言うのか!?」
「とーぜん! たあ、必殺ジャブ!」
桜花が拳で軽く司を突っつく。ジャブか。ジャブですら必殺なのか。と言うか、尾田の桜花ちゃんの刃はどこに行ったんだ。
「ぐわあぁ!」
怪人山下はだが、正義の勇者の思惑通りに大ダメージを受けて、大いに仰け反った。
「尾田の桜花ちゃん、任務完了!」
「……ふっふっふ、僕はまだ、第二形態を残している!」
怪人山下の皮がはがれると、中からはなんと、悪魔の形相をした真の姿が現れた――という演技を司はした。
「なんの、必殺ジャブ、たあたあ!」
「そんなもの、効くものか!」
「な、なんだってー!」
ついに姿を現した悪魔山下には、正義の勇者の十八番、必殺ジャブが効かないらしい。
「しまった……尾田の桜花ちゃん唯一の必殺技、必殺ジャブが効かないなんて!」
バラエティのない正義の勇者だった。勇者は、どうすれば良いかときょろきょろ見回して、割と真剣に事の成り行きを見守っている小石の姿を捉えた。
「こうなれば奥の手……怪人山下ぁ! この娘の命、惜しくはないかー!」
「え……ええっ」
哀れ、小石は勇者の魔の手に囚われ、あの恐ろしくも訳の分からない演劇の一員になってしまった。――傍観者でいると決めていて良かった。
「ひ、卑怯だぞ、正義の勇者め!」
悪魔山下が叫ぶ言葉は、非常に的を射ていて正論である。しかし、小石を人質に取る正義の勇者は、何も堪えていない様子で、
「卑怯こそ正義!」
と、言い放った。もはや正義の勇者は正義ではないらしい。
「さあ、怪人山下、これでも私を倒せるかぁ! 倒せまい! 倒せるはずもない!」
「確かに、僕の力では、赤子も倒せない……」
悪魔山下、人畜無害である。
「しかし! 勇者よ、今お前が捕まえているのはチャン小石……あの伝説の、チャン小石なんだ!」
「え、ええ、ええ?」
「何だと! ま、まずい、チャン小石のスペシャル波動が発動すると、さしもの桜花ちゃんも負けてしまう!」
なんと、勇者は、うっかり伝説のチャン小石を捕らえてしまったらしい。まあ、当の小石は、事情が飲み込めず、わたわたと慌てているのだが。
「さあ、チャン小石、その力を解放するんだ!」
「え、は、はい! ええっと……す、スペシャル、波動!」
「やややられたぁー!」
チャン小石が一言スペシャル波動と叫ぶと、正義の勇者はまるで安物の魔王の手下のような雰囲気で、倒れた――もちろんそういう演技なだけで、俺達は普通に歩いている。
「やったな、チャン小石!」
「や、やりましたね、司くん!」
「……こうして世界に、平和が訪れた……ジ・エンド!」
桜花がそうエピローグを読み上げたところで、司と桜花、それに小石の三人は、何かの感情を共有しあったらしく、三人でハイタッチをした。ちょうど教室に着いたところだったので、俺達は教室に入った。
司と桜花は、どこか通じ合うものがあったらしく、大した自己紹介もしないままに打ち解けてしまった。羨ましいと言って良いのか俺には分からなかったが、小石はそんな二人に羨望の眼差しを向けていた。
昼食にやや早いぐらいの時間だったので、しばらくの間教室に留まる事にして少し話をしていると、そこへ勇が帰ってきた。勇はさっさとかばんを掴んで寮に戻ろうという構えだったが、それを桜花と司が許すはずも無い。まず司が、自分の席で荷物の整理をしている勇に、
「委員長! 僕、副委員長の山下司って言うんだけど」
と、声を掛けた。
「…………」
「は、反応薄いな」
勇は、いつものペースでじっと司を見据えてから、
「知ってる。ボク、委員長」
と、言った。
「お、おう。荏田勇、だっけ」
「…………」
勇が無言になる。勇は、もしかすると何かで怒らせたかも知れないと、やきもきしてそんな勇を見ている。
「んっふっふ、怪人山下も、いさちゃんの扱いは苦手のようですなあ……ずばり、いさちゃんの心に深く入り込むには、しつこくべったりが正解なのですよ!」
「…………」
「あはは……」
小石が小さく笑う。勇は、自分が会話の中心になりつつある事を危惧してか、さ、と司に手を差し出した。
「握手」
司は、差し出された手を見て、一瞬ぽかんとしかけたが、すぐに自分も手を出して、固く握った。
「これで、僕達はダブル委員長コンビだな」
「…………」
「なにおう、私と小石ちゃんでダブル……ダブル……ダブルだぁ!」
今ここに、ダブル委員長コンビと、ダブルが生まれた。……ダブルに組み込まれた小石は、かなり迷惑そうだが。
「あら、そういう事でしたら、私はこちらの方とダブルを組ませて頂きましょうか」
そこへ、誰か女の子が、そう言って司の隣に体を割り込ませてくる。それは、眼鏡の女子生徒――矢井田時子だった。
「俺?」
「余り者同士、という事でここは」
時子は、さっき先生の前で発していた力強い声を抑えているのか、今はかなりやんわりとした声をしていた。柔らかい。よく湿って肌触りの良い、ウェットシートをイメージするような声だ。
「むむ、B組の参謀長じゃないか! 参謀長キャラで被っては、桜花ちゃんの立場がなぁい!」
「桜花様のキャラクタは、ずっとユニークですから、私程度と被るとはとてもとても……」
時子は言外に意味を含ませてそう言って、それから深々とお辞儀をした。
「矢井田時子と申します。以後、お見知りおきを」
顔を上げた時子は、おしとやか、という言葉を送るのに最も相応しいと思えるほど、穏やかな微笑みをたたえていた。
「あちらが、勇様。そちらが、小石様。それからこちらが、清介様。――で、よろしかったでしょうか?」
「あれ、どうして名前を知ってるんだ?」
「事前に、お席の位置とお名前を、セットで覚えるようにしたものですから」
一年二組の生徒は全部で五十四名である。本人を引いて、五十三人分を全て覚えたと言うのだろうか。
「時子は超知能派だからな。魔法はまだまだ僕に敵わないけど」
「恐縮です。とは言え、今日の対戦では、司様のお隣の方のご活躍が一番でしたけれど」
「隣の人?」
桜花が首を傾げる。そう言えば、まだ桜花と勇は、エリンの事を知らないのだ。
「僕の浮遊妖精の、エリンのこと。まあ、エリンの活躍は全部、マスターである僕の活躍って事に……ぐぼぁ!?」
「と、このように、エリン様は透明の妖精様なのです。そのエリン様のお陰で、A組の作戦は私達に筒抜け……最初の一分で、奇襲戦法をすると決めてからは、私達はずっと魔法の練習に励んでおりました。簡単な攻撃魔法がないと、戦術が成り立ちませんから」
なるほど、それでB組の生徒の誰もが、ほいほいと攻撃を仕掛けてこれたのか。現存戦力だけで戦おうとしたA組には、奇襲がなくても勝ち目は薄かった訳だ。
「良いのか? A組の俺達に、そこまで話して」
「ええ。私達の目指すところは、ゆくゆくは魔法界全体の繁栄……A組とB組、二組と三組というのは、単に区分けしたものに過ぎません。とすれば、勝敗はさしたる問題ではないのです」
「なるほど」
時子の志はとても高いところにあるらしい。他の生徒に比べると、一段か二段は高いところから物を見ている、という感じがする。
「お、桜花ちゃん、なんか凄く負けた気分だよ……。で、弟子に、弟子にしてぇー!」
「あ、そうだ……」
桜花が再び騒ぎ出す中、小石はふっと、ほんの小さな声で何かを独り言ちた。
「どうした? トイレの場所が分からないとかなら、俺も分からないけど」
俺は声を落として、そう訊ねる。
「違います。……葵ちゃんから、朝にメールがあったんです。今日、晩ご飯を一緒にどうかって」
「へえ……またバーガーショップに入るのも良いな」
別の夕食の予定がある訳でもないので、ありがたい誘いだ。
「いえ、今日は葵ちゃんの部屋で食べようと思っているんです。ほら、調理室ってあるじゃないですか。あそこでお料理を作って、一昨日の四人で食べましょう、っていう話をしていたんです」
調理室、という部屋の場所を俺は知らない。だが、まあ、広い寮なのだからあっておかしい事はないだろう。俺は、ああ、と頷いた。
「でも、折角ですから、その……皆さんも誘ったらどうかなぁ、なんて」
「お、良いじゃん。俺は賛成だぞ」
ありがとうございます、と小石は笑った。
「つきましては、皆さんを誘うのを兄さんに……」
俺は、首を振った。
「駄目だ。それは自分でやらないとな」
もしかすると、これが小石の人見知りを改善する一つの契機になるかも知れない。ここは、心を鬼にせねばなるまい。
「え、えぇ?」
「素っ頓狂な声を出しても駄目だ。ほら、善は急がないと」
「う、う……」
小石はしゅんとして、一旦口ごもった。だがすぐに、きっ、と気合を入れると、
「皆さん、ちょっとお話があります」
と、言った。じゃれあっていた桜花と司が動きを止めて、時子は観劇を中断して、律儀に残ってくれていた勇は横目で、それぞれ小石に注目した。俺も、小石を見る。
「み、皆さんは、晩ご飯の予定、もう決まっていますか?」
少し気圧されながらも、小石はそう訊ねた。
「桜花ちゃんは、特に決まってないよ」
「僕も」
「私も、今日はまだ決めておりませんでした」
続いて、勇がしばらくの時間を取って、ボクも、と言ったのを聞いてから、俺もまだだと答えた。
「実は、私の友達……葵ちゃんという方なんですが、その方から夕食に誘われているんです。調理室で作って、お部屋で食べるという事になっているんですが、良かったら皆さんも一緒に……どうですか?」
小石は、最後は少しくちゃっと潰れそうになったが、見事に誘いの言葉を言い切った。人見知りで恥ずかしがり屋の小石が、つい最近出会ったばかりの相手に、こんな事までできるようになったとは――俺は心で、拍手を送った。
「良いね良いね! 桜花ちゃん、お邪魔するぅ!」
そんな小石の健闘を称えるように、桜花を皮切りにして、時子と勇も頷いてくれた。俺と司も、もちろんと応じる。小石は、いっぱいの温もりに包まれて、幸せそうに「ありがとうございます」と笑った。




