16話‐3 進路
マージャの家は、極めて平凡。まさにどこにでもあるような木造のアパートだった。ただし、建っている場所は畑ですらない、枯れかかった草花のひしめく大草原――その隅っこでいかにも寂しい風情を醸し出している。
「ここの住人は全て、魔物だ。わけあってフェナサイトへ出てきた魔物の集合住宅だからな」
「う~ん……」
確かに、集落から離れた位置にぽつんと建てられてはいるのだが。仮にも人間の領地に平然とそういうものを作ってしまうのはいかがなものか。この事実を知ったらご近所さんなんか卒倒してしまうのでは。
「ちなみに、これはそなた達の政府から許しを受けていることだ。ひとところに集めて監視する名目もあるのだから、責めてやるものでもない」
そんな俺の心境を、まるでサクルドのように完璧に読みとって、彼女は冷ややかに告げる。
「先日、マージャより受け取った式石を持っているな」
「ああ」
キネ先輩との一件で、彼女の幻術を破るのに必要だとマージャに渡された、魔術式の刻まれた小石だ。他の場面にも応用が利くだろうとサクルドに聞かされたので、俺は黒い石のナイフと共に持ち歩くことにしている。
「この住居には人間避けの幻術が施されている。この程度なら破らずとも、その小道具で事足りるだろう」
鞄の中の石を取り出し、以前使った時と同じように、手のひらに握りしめる。
「これは……」
まばたきの後には、目に入る建物の様子が一変していた。
変わったといっても、アパート全体が様変わりしたわけではなく、部分的な違いではある。しかし、それは人間の世界から魔物の世界という異界への境界を一目で表してしまう、まさしく「一変」だった。
アパートの二階、最奥の部屋の入り口は開け放たれまま、石化したらしい――扉だけでなく、白塗りの壁の一部が石となって灰色に染まっている。
「アーチ。これより先、私が許すまで魔術壁を絶やすでないぞ。理解しているだろうが、反射型ではなく拡散型を用いるのだ。マージャを石にするつもりがないのなら」
答える代わりに、オーダー通りの魔術壁を展開する。何があるのかわからないので、魔力も加減せず全開に。こういう、魔力を節約する必要なく頭の悪い使い方が出来る辺りが、ソースの脅威なんだろう。
ぽっかりと、長方形に切り取っただけのように錯覚してしまいそうな入り口から室内に入る。そうじゃないかとは思っていたが、やはりこの一室そのものが石化していたらしい。
その目で見た者を一瞬で石に変え、絶命させる。それがマージャの攻撃方法だ。この部屋をこんな風にしたのはあいつの力なんだろうか。
台所が板の間で、居間が畳。灰色一色で無機質な石の形をしていたってそれくらいはわかる。真正面にある襖も開いたまま石になったのだろう。そこで、ようやく思い至る。扉を閉めたままで石化していたら、室内に閉じこめられ出られなくなってしまうんだと。
彼女を魔術壁の内側に入れている俺のことなどお構いなしに、シュゼットは土足でスタスタ上がり込んでしまう。抗議するのも無駄と察して、俺も急ぎ、彼女に倣って先へ進む。
「時が来たぞ、マージャ」
居間へ入って、さっと左手側に視線を向けるシュゼット。その目線を追うと、本来窓があったと思われる正方形の切り抜きに、身を乗り出してぐったりと伏せているマージャがいた。肘をつき、両手のひらで頭を抱えるマージャは、全身が大きく震えている。
「話せるか、その状態で」
静かに、シュゼットが訊ねる。わずかなタイムラグの後、肘を持ち上げ、身を起こそうとしたらしいマージャはすぐに、狂ったように頭を振る。
思いもしない事態に、俺は動揺することも忘れただ唖然としていた。
「致し方ない。こやつの代わりに私が伝えよう、アーチ」
言いながら、身を屈めるシュゼット。マージャの傍らに落ちていた、彼が普段着けているゴーグルを拾い俺に投げてよこす。
「今は亡き、ゴブリンという魔物の種族があった。奴らは好戦的で、自らの楽しみがためだけに生きる。気まぐれにフェナサイトを襲っては虐殺、略奪を繰り広げ、魔物の他種族にも闘争をけしかける。数ある種族の中で最低に下劣で俗悪な者どもとして、魔物からも同胞と認められず、アクアマリンに繋がる孤島ユークレースに隔離されていた。かいつまんで述べれば、これがゴブリンだ。
あれは、およそ四百五十年前のことだったか。ゴブリンに孕まされた人間の子供がひとり、ユークレースでゴブリンと共に暮らしていた。ゴブリンは混血を徹底的に虐げる慣習があり、その者もそのように扱われた。また、ゴブリンとの混血は例外なく、顔の造作の歪んで生まれる。それがため、かの者はフェナサイトへ逃れることも出来なかった」
魔物には美醜の感覚はないというが、人間の輪の中で、外見が極端に醜いというのはそれだけで不利になる。それが不毛なことだってわかっているつもりでもなお。
「そんな日々に耐える中で、それ相応の怨念を蓄えていたのだろう。幸か不幸か、奴が生まれて十五年後に、ソースの能力に目覚めた。その日の内に、奴はその力でもってゴブリン族全体にまじないをかけた。これまでに自身が、そして人間という種がゴブリンに与えられたものに見合うだけの苦痛を与えるために」
ソースが、無限に湧きいずる魔力を扱えるようになるのは、十五歳の誕生日を迎えてから。そのおかげで、俺は十五年間はごくありふれた人間としての生活を謳歌してきた。同じソースでありながら、シュゼットの語る誰かは俺と真逆の境遇にいたわけだ。ソースの力を手に入れるまでの十五年、どんなに悔しい思いをしてきただろう。
「ゴブリンの肉体は見る間に腐り、汚泥のようになりそして死んだ。しかし、死んだ次の瞬間にはまた甦る。生きている間は、拷問に等しい肉体的苦痛を受け続ける。そうして死に、また苦痛と共に生き返る。延々とこの繰り返しだ」
死んだ瞬間に甦る、という点はフェニックスと同じだ。しかしながらその存在価値は天と地以上の差がある。
「この呪いを解く術は明らかになっていない。いや、明らかにする必要がない。これが魔物の総意だ。何故なら、その苦痛に見合うだけの罪悪を、ゴブリンは犯してきたのだから。因果応報の報いに情けをかけるなど、秩序のためにあってはならないことだ」
「……そのゴブリンとマージャに、何の関わりがあるっていうんだ。こいつ、どう見ても人の形をしているぞ」
「この四百五十年の間に数回、確認されていることだ。ゴブリン族は泥の肉体で、個体としての区別も難しいまでに群れて寄り合って生きている。その中で、ごくごくまれに、人間の肉体に転生する個体が現れる。泥と苦痛に支配され、罪を償い続ける運命から解放された者がいる。こやつもそのひとり。ただし、人になったゴブリンには新たな運命が待ち受けている。それが、」
「今の、こうした惨めな有様ってわけさ……っ」
石化した畳に座り込んだまま、マージャは体ごと俺達を振り仰いだ。以前見た時には透明だったマージャの目は血の溜め池のようになって赤くゆらめいている。視点が見当違いの方向に進んでいるから、少なくとも今は目が見えていないのだろうと想像出来る。
「無理をせずとも良い。そうだろう、アーチ」
「え、あっ、別に」
正直、まだどんな風に対応するべきかわからない俺は、そう答えるだけで精一杯だった。
「いやいやっ……そいつぁありがたいけど、さ……こういう、大事なことはっ……自分の口で言わないと、気持ちは伝わらないもんだろっ?」
激痛に、顔面には幾重にも深く皺が刻まれ、必死に紡ぐ言葉は息も絶え絶え。それでもマージャは、いつも通り、どこか茶化したように話そうとする。
そんな様子にため息をつき、シュゼットは中断した話を再開する。
「人間へ転生したといっても、それで完全な人間となれるわけではない。人間の肉体としてはいくつかの欠損と、そして、見たものをたちどころに石へと変える魔眼を持つ。人間の姿になって、アクアマリンへと逃れてきたこやつは、偶然その視界に触れた者達を石にしてしまった」
「そんで、親切、にっ……厄介な魔眼、をっ、除去してもらったり、したんだけど……」
「魔眼の効果は消えることがなかった。この義眼は、マージャのアクアマリンでの友人がこしらえたもの。普段は、ささやかながら視力が回復しているのだが」
「昨日は……あの、小憎らしい満月だったから」
かすかに呟いた、マージャの一言は、「小憎らしい」という言葉の意味とは裏腹に憎しみなどかけらほども感じられない。むしろ、自分こそ苦痛の直中にいるくせに、まるで憐れむような穏やかさがあった。
「そのゴーグルは魔眼を制御するため、アクアマリンの法でもってマージャには装着が義務付けられている。しかし、義眼と違ってそのゴーグルは、魔術道具としては粗悪品だ。魔力を体の内へ強力に抑え込んでおり、力の逃げ場がない。定期的に毒抜きをしてもなお、おそらく大幅に寿命を縮めるだろう。特に、月からの魔力供給が最も強まる満月の夜を超えた翌日には、今の有様のように激しく肉体を苛むのだ」
シュゼットの語りの最中にも、マージャはうめき、頭をかきむしりながら石の床に突っ伏した。はずみで、勢い良く額をぶつけたようだが、その痛みさえ気にならないようだった。




