16話‐4 進路
所用で里帰りしていた豊が森の館へ帰ってきた時には、少々どころではなく疲れた顔をしていた。そんな彼に事の次第を伝えるのは気が引けたので、翌日に引き延ばそうかとも思ったのだけど。俺の顔色から豊は何か進展があったのではと見抜いてしまった。おそらく、俺が豊が疲れた顔をしているなと思ったのと同じように、豊にそう思わせるような顔を俺もしているのかもしれない。
「おまえのことだから、どーせそういう方向に落ち着くんだろうってわかりきってたけどな」
こんな豊の台詞を、以前にも聞いたことがあるような気がする。俺ってそんなに、行動パターンが読みやすいものなのかね。
「で、何があってそーいう安請け合いをしちゃったのかねー」
「安請け合いじゃねーよ。約束したからには途中で投げ出したりしないって」
「あいつと約束した、ってのは、自分の進路を決めたってことだろ? それを、元から深いつき合いがあったわけでもないいちクラスメイトのために捧げちまうっていうのが、安請け合いなんだよ。で、そう思わせるだけの何があったっていうんだ」
そうきっぱり正論を言われるとぐうの音も出ないってもんだ。
「マージャ。念のため言っておくけど、今、ここで嘘をついたりごまかしたり、いつもみたいに適当な物言いはするなよ」
そこまで空気を読まない奴じゃないと知ってはいるが、一応釘は刺しておくことにした。
俺の言葉に耳を傾けるマージャは、赤い血溜まりとなったうつろな目で俺を見上げると、一度だけ頷いた。その反動で血溜まりが決壊し、両目から赤い筋を垂れ流す。
「おまえが言ってた、使命っていうのは何だ」
奴の、今の状態と関わりのあることだと察しはつく。しかし、本人の口から改めて聞かされることが大事だと俺も思う。他ならぬ、マージャ自身の先程の主張と、完全に同意だった。
「俺……、」
何事か語り始めたと同時、また苦痛の波がきたのだろう、マージャが頭を抱えてうずくまる。そんな姿を見て、ふと、心変わりをした。
「やっぱいーや。細かいことは後にして」
ぽりぽり。頭をかいて呟くと、何か勘違いしたのかマージャは即座に面を上げる。すがるような目で見上げてくる様子は、ある意味、俺の期待通りというか予想通りというか。
「ひとつだけわかってることがある。おまえの使命――いや、願いを叶えるのに、ソースの力が必要なんだな?」
「ああ……」
「だったら、それ相応の態度ってものがあるよな」
おっと、そんなつもりじゃないのに陰険な言い方になっちまったかな。マージャが首をかしげるばかりか、シュゼットまで怪訝な眼差しを向けてくる。
しかし、俺は至って真剣だった。傍目にそれはわかるのだろう、ふたり共、横槍を入れようとはしない。
「ソースの力を当てにするなら、『助けて』って言ってみせろ。俺の力が必要なんだって、言ってくれよ」
きっと意表をつけるだろうとは思ったが、俺の言葉はよほど意外だったのか、マージャは目を見開く。シュゼットは唖然とし、流れるように呆れ顔へと表情を変える。
「そなた、本当にそれだけで自身の生きる道を決めるつもりか」
ああ、確かに、客観的に見たら「ただそれだけ」なんだろうけど。それでも俺はまごうことなく本気だった。
四百五十年も続く強固なまじないを解き放つのは、並大抵のことではないだろう。この一生をかけて、それでも達成できないかもしれない。
家族でも、親友でも、まして恋しい相手でもない。ただのクラスメイトで、これまでの人生で出会ってきた友達のひとりに過ぎず、特別でも何でもない存在。だけど、俺は。
「相手が誰かなんて関係ない。目の前で苦しんでる人がいて、ソースの力でどうにか出来るかもしれないって時に、見捨てることなんか出来ない。きっと、俺みたいなのがソースに生まれた意味はそういうことなんだ」
それが、ソースとして生まれたことに対する、俺なりの答えだった。
だけど、ただひとつだけ欲しいものがある。それは、相手の明確な意思表示。助けて欲しいんだろうな、と推測は出来るとしても、一方的な善意の押し付けは自己満足の偽善だ。ソースとしての俺の力が、確かに必要だと言って欲しい。
「どうする、マージャ」
改めて、問う。ここで、素直に「助けて」も言えないような奴なら、俺も自分の人生をかけてやる義理なんかない。また、そういう俺の気持ちにマージャが引け目を感じるかもしれない。
俺は、すでに意思表示をした。決めるのはマージャだ。
「……終わらせたい……」
消え入るような声で、マージャは呟いた。
「俺は、この苦しみを終わらせたい……憎いゴブリン族のために動いてくれる奴なんて、どこにもいない……孤島にいる同胞は、そのために努力さえ出来ない……だから、俺がやるしかない。……俺が、こうして人の形で生きている間に、一族を石の呪いから解放する……それが、俺の使命だ」
言いながら、少しずつ、亀の歩くような遅さでマージャは右腕を持ち上げようとする。まるで灼熱の夏空の下、太陽の光をさえぎるように右の手のひらを天井に向けて掲げる。
「助けてくれ、アーチ」
おそれと、不安と、罪悪感に打ちのめされたような感情を滲ませて、それでいて震えのないしっかりとした一言だった。
「どんな苦しみを受けたって、決して償いきれないことをしたって、わかってる……どんなに虫のいいことを言ってるかってことも、だけど、俺は……」
「いいんだよ」
大昔に虐殺をした身で、救いを求めるのは間違ってる。マージャはそう言いたいんだろうけど。
「だって俺は、おまえの一族が過去にしたことなんて、何も覚えてないんだから。生まれ変わったら、前世のことは忘れてしまう。それがこの世界の理なんだろう?」
理は、神竜達が定めた世界のルール。罪は、来世で罰を受けることで償いとする。転生しても浄化出来ない罪や他者を犯す心は、存在そのものを抹消する。魂と肉体が分かれて転生するので、現世において前世の記憶に縛られることはない。
これらの決まりから、マージャの一族は隔離されている。絶対的であるべきはずの、世界に対しての例外。こんなのを放置しているなんて、ありがた~い神様にとっても本意じゃないはずだ。なんて、都合のいい解釈をしてみたりして。
俺は、マージャが天井に向けて掲げていた手を取った。そういえば、今のこいつに視力があるのかも怪しいところだ。こちらの表情をうかがえない相手に対し、言葉以外の感情を伝えたいのなら、こうして触れるのが手っとり早いだろう。
この力を、おまえとその使命に捧げよう。口にするには少々恥ずかしいものがある決意を、その手を強く強く握ることで伝えた。
「うーわ」
どん引きで思わずこぼれたらしい、豊の一言。
「想像以上にしょーもない話で泣けてきたぞ」
「しょーもないとは何だよ、失礼な奴め」
「よりにもよって、非道の限りを尽くしたゴブリン族のために生涯を捧げるなんて、お人好しって領域を飛び越して馬鹿としか言いようがないだろ」
友達のひいき目を持ってしても擁護のしようがない、俺の選択はそれほどまでに愚かしい。自覚がある以上、何を言われたって堪えやしないが。
「それで、豊はどーするよ」
「おまえについてくに決まってるだろ。俺も、先に死んだ仲間との約束を律儀に全うしたり、お人好しを見捨てられないくらいには馬鹿だからな」
言われてみれば。豊が俺に言ったことは、考えようによっては豊にも当てはまるかもしれないな。
「次の船までには日があるだろ? ひとつだけ、やり残したことがあるんだ。そうだ、豊も行くか?」
「どこに?」
「あいつの形見を預けに、さ」
「なるほどね」
「豊、その姿で喋っていいのかよ」
ヴァンパイアの能力で猫の姿に身を変えて、俺の肩の上にいるくせに、夕方でまだ人気のない繁華街入口であるのをいいことに豊が呟いた。俺が呼びかけると、猫の豊は目を閉じて押し黙る。
最寄りの駅から見える位置に、この繁華街の入口はある。そして、最前にあるこの店は駅に来るたび目に入るので覚えがあった。黄色い下地を黒い縁で囲み、墨で書いた「焼き鳥居酒屋おかむら」という印字をした看板がかかっている。
ライトがフェナサイト各地の森に建築した、魔物が住む館には、どこも管理人がいる。何らかの理由で人間の島にいたい魔物からライトに頼んでくることもあれば、逆にライトから頼んで契約し、魔物にいてもらうこともある。
彼が建築をするのは趣味と、魔物からの需要があるという実益もかねてのことだが、建物というのは建ててそのままにしていいわけじゃない。住民自ら本格的なメンテナンスをしなければ、とまではいかないが、日常的な掃除をしてくれるような誰かにいてもらわないとあっと言う間に傷んでしまう。
ダムピールのジャックさんは自分が死んでヴァンパイアになるのを想像して、若い頃から人間社会から距離を置くことにした。森の館の管理人を自ら希望した。 五十年という長きに渡って森の住人であった彼は、つい数ヶ月前に亡くなった。人間として死ぬため、実母であるベルに介錯を頼んで。
先日、彼の遺品を整理していた俺は、見覚えのある物を見つけた。朝の火起こしを自分の仕事として誇っていたジャックさんが使っていた、マッチの箱だ。そのマッチは繁華街入り口にある酒場のもので、同じく今は亡きヴァニッシュがそこで働いていて、ジャックさんのために持ち帰っていたものだ。
俺は、涙さん――ティアーの死について、彼女の親友であったアネキにきちんと伝えた。言わずもがな、アネキとラルヴァとの騒動の後、そうすることに決めた。アネキとティアーの別れの時の誤解や、魔物としての彼女のこと。アネキとじっくり話し合うことが、自然のままに死んでいったティアーへの何よりの供養だと思った。
ヴァニッシュにも、同じような弔いは出来ないだろうか。そう考えた矢先にこのマッチを見つけて、思い出した。
勤め先に、いつも元気な先輩がいて、よくひじでつつかれたり背中を叩かれたりした。そういうやりとりが出来るのが、多分、嬉しかったんだと思う。
ヴァニッシュからただ一度聞かされた――実際は、俺の方から無理に聞き出しただけだが――彼の、俺達以外の仲間の話。それも、おそらくはフェナサイトで出会った人間の友人。
ヴァニッシュにも、その死を伝えておくべき人がいるんだ。それも、過去の自分の過ちを許せず、自分以外の誰かの幸せに尽くすことを心に決めたヴァニッシュに、自分自身の幸せというものを意識させた人達。
思い出した以上、やり残してこの島を去るわけにはいかなかった。




