12話‐5 始まりの記憶
俺がティアーの実を食べ終えるのを待ってか、ライトはしばらく黙り通しでいた。
果肉を全て食べると、器のように残った皮の底には黒く大きな種がいくつもある。この果物は種が大きく数も多く、避けるように食べていたらこうして底に溜まってしまったのだ。
俺が果物の残骸を脇に片しても、ライトの様子は変わらなかった。薄く目を閉じ、背筋をぴんと伸ばし、微動だにしない。両手の指をゆるく、前で組んでいる。なんとなく、瞑想をしている僧を思わせる姿勢だった。
「さて、これっくらいでいいか」
しばらく待って、目を開き姿勢を崩したライトは、これまで見せたことがないような真剣な表情で俺に向き合った。
「敦。これからする話は決して他に知られちゃならないことだ。だから、この声の届くだろう範囲内に魔物の気配が消えるまで、おいらは待った。おいらはおまえさんを信用してるから、この話をする。たとえおまえさんであっても、口外するようなことがあれば、おいらは敦を殺さなけりゃならない。聞きたくないなら今日はお開きだ。どっちにする?」
「その話って、いずみさんの?」
「そうだ」
「それなら、聞くよ。そのために今日、約束させてもらったんだし」
「やれやれ、毎度思うんだが、そんなこと知ってどうするつもりなんだ?」
毎度、というのは、代々のソースのことだろう。先ほど、こんな風にライトに疑問を投げかけてくるのは、これまでに何度もあったと言っていたから。
「だって、不思議なんだ。ライトもベルも強い魔物なのに、どうして五百年もソースを助けてきたのか。少なくとも、ふたりが最初に出会ったソースには、それだけの影響力があったってことだろう?」
そして、俺は少しでも情報が欲しかった。ソースとして――無限に湧き続ける魔力を持った人間が、どんな風に生きてきたのか。今の人間の世は平和そのもので、ソースの力の使い道が、俺には見当もつかなかったから。
「まぁいいか。単なる興味本位からきてるんじゃないってのも、毎度のことでわかってるんだし」
「そうだ、他の誰にも秘密だっていうけど、サリーシャはどうするんだ。こんな近くにいたら聞こえちゃうんじゃ……」
「ほっほ、心配はいらないさぁ。なんたって、こっちも当事者なんでねぇ」
洞窟の奥、闇の中から千鳥足で現れ、ライトの背にしなだれかかった青い肌の老婆。どうやらサリーシャも、ひっそりと土産の果実を口にして、酔っぱらっているらしい。
「おいおい、サリーシャ。まだ月は見えてるぞ」
「おっと、いけない。ライトの影を借りさせてもらうよ」
サリーシャはライトの背に寄りかかり、地面に尻をつけると極限まで体をちぢこませた。巨人のライトの背は広い、そこから伸びる影も人ひとり隠すだけの余裕がある。
「前にサリーシャにかっさらわれたソースがいるって言ったけどな、あれはベルの手前、仕方なくそういうことにしてる嘘だ。いずみは自分からサリーシャの前に現れて、是非に自分を食してくださいなとお願いしたんだと」
「待て、ライト。そんな話信じてるのか?」
「疑いようがないんだよ。いずみがそうしたんだろうっていうのは、結果からしてわかることなんだ」
サリーシャの言葉ひとつなら嘘ということも考えるべきだろう、そう思ったんだけど、俺の早計だったようだ。
「魔術っていうのはな、どんなに優れた式を開発したところで、本人が死ねば効力を失うんだ。魔術道具に刻んだ式ならその限りじゃねえが、それならその道具を燃やすなり壊すなりしちまえばおしまいなんで、とても頼りになるもんじゃねえ。いずみの野郎が必要としてたのは、自分の死後もいつまでも効果のある魔術だった。奴はその方法を見つけて、そいつを完成させるために死ぬつもりだった。どうせならただ死ぬんじゃなく、獣なり魔物なりの空腹を満たしてやった方が 一石二鳥でいいんじゃないか――要するに、そういうイカレた男だったのさ」
それは、確かに否定しようのないおかしさだ。聞いていて、自然と開いてきた口が今は塞がらなかった。
「やっぱ、どこかおかしかったんだ……?」
「おそらく、あいつはおいらに接触した時にはもうぶっ壊れてたんだ。それを演技で隠すことが出来て、おいらはまんまとだまされちまったようだ。たぶん、その原因になったのが彼女だった」
「いずみさんが連れてたっていう、眠りの魔術をかけられてた女の人?」
「その魔術自体、いずみがソースの魔力でもって施したものだったんだけどな」
自分でかけた魔術を解くためにエメラードへ? なんて思わず考えてしまったが、それは嘘だったんだというライトの言葉を思い出す。
「さて、そろそろこのサリーシャの出番かね」
ライトの影から、何やら恍惚とした表情でサリーシャは呟いた。ノリノリの、語り聞かせのような調子で彼女は語り始めた。
――ブラック・アニスという魔物は、生まれながらこのように老いさらばえているわけではない。わたし達は生後、六十日ばかりで成熟し、成体となるのだ。
困ったことに、この六十日間は同胞たる他の魔物と比べて知能が格段に劣る。そういったわけで、無事に成体となる前に獣なりに捕食され、命を落とすブラック・アニスが大半だ。
生まれたてのわたしも例に漏れず、何をしたものかわからず、森の広場、切り株の上に腰かけてぼんやりと過ごしていた。そこに彼は現れた。
「やぁ、美しいお嬢さん。このように目につき、隠れるところもない場所でおくつろぎかい?」
「何もすることがなくて、退屈なの」
「することがないなら、何か食べ物でも探しに行ったら?」
「わたし、まだお腹がすいてないの。生まれてからずっと」
ブラック・アニスは成体になるまでは、母体から授かった栄養分だけで生存出来る。何ものからも奪わずに生きていける純潔の時間を、わざわざ短くすることはない。
「そう言うってことは、生まれてからまだ何も口にしていない?」
「うん」
彼はそうか、と呟くやいなや、しばし口をつぐんだ。何やら思案しているようだった。
「お嬢さん。際限なく湧きいずる魔力を持つ人間が目の前にいたら、どうする?」
「戦って勝てるのなら、その肉をいただくよ。そんなたいそうな魔力を持っているのなら、きっと美味しいと思うから」
「ならば、その人間が無抵抗で、その肉体を君に提供すると言ったら?」
今のわたしであれば、そのような出来すぎた申し出にほいほい乗るような間抜けはしない。
けがれを知る前のわたしは、ただ、「なぜ?」とだけ返した。
彼は至極穏やかな調子で、こう述べた。
「僕自身が生きることよりも叶えたい願いが、僕にはあるからさ。この生涯を捧げても悔いのない、愛しい人に未来を取り戻すという願いがね」
その笑みは、確かにライトの言う通り、正常な人間のそれと同じとはいえず、どこか壊れ歪な人形を思わせるものだった――




