12話‐6 始まりの記憶
「いずみはただ、愛する女ひとりをよみがえらせるためだけにソースの力を使ったんだ。死因は何だか知らないが、いずみの女は死んだ。奴は魔術でもってそれを仮死状態にし、生きた彼女を取り戻す方法を探りたい一心でエメラードを目指した」
「そんな、の……ディーヴと一緒じゃないか」
老いて死を間近に控えた父親。少女は、父親を氷漬けにして保存して、その死を覆す手段を求め百年を費やした。その歳月は報われることなく、俺達に敗れて彼女は無残な死を迎えた。
「ディーヴが死んだのは、禁忌に触れた神罰なんかじゃないぞ。そう思っていればおまえさんの気は楽だったろうが……相応の力さえあれば、叶わない願いはない。ソースの持つ、無尽蔵の魔力というのはそれだけのものなのさ」
「でも、いくらソースだって本人が死んでしまえば魔術の効果は失われる……いずみさんはその方法を見つけたのか?」
「ああ。先に釘指しておくが、悪用すんなよ? ソースなら誰もが応用出来る手なんだから」
ソースなら誰にでも、同じことが出来る。自分の命を捨てるだけの覚悟があるのなら、どんな無茶な願いも叶えられるかもしれない、希望……。
「待った。やっぱり、具体的な方法はいいや」
「なんだい、怖じ気づいたんかね」
サリーシャが、いくらか酔いがさめたらしい様子で横槍を入れた。
「悪用なんてするつもりはないけど、俺だってこれから何があるかわからない。手段を知ってたら、それにすがってしまうことだってありえるだろ。だったら今は、知らないでいた方がいいって思うんだ」
「そうか。ま、おいらもエリスほどにはこの手の説明には慣れてない。おまえさんにわかるよう話せるか、怪しいところだしな……」
ライトも少しは酔っているのかもしれない。さっきから、話し方も笑顔も、彼らしくなく、力の抜けるようなものだった。
「いずみが自分の命を捧げてまで救いたかった女は、あいつの望み通りに目覚めたよ。しかし、彼女は決して喜ばなかった。なぜそんなばかなことをしたんだと、奴を詰り、何日も泣き明かした。それに――奴が彼女を蘇生させた魔術は、想像しうる遥かに上をいく、惨い事態を生み出してしまった」
「惨いって……」
「当然、彼女は人間のまま甦ったわけじゃない。魔物……いや、厳密には、魔物は神竜族に関わって生み出された生き物に限られる。ソースとはいえ、人間が勝手に作り出した生き物を魔物とはいえない。彼女は、魔物でも人間でもない異端になってしまった」
地の底まで届きそうな、重い重いため息をついてから、ライトは言った。
「それが、ヴァンパイアだ。人間の島じゃあ、ヴァンパイアは人間に害のある『魔物』ってことになってるが、こっちの世界じゃあヴァンパイアは同胞の扱いをされてないよ」
「いずみさんの愛した人って……ベルなのか?」
「ご明察。おまけにいずみの野郎、彼女をひとりきりの異端にしちまうのが忍びなかったんだろう。死人であるヴァンパイアに、子孫を残す能力まで備えやがった。現存するヴァンパイアのルーツをたどれば、全て必ずベルにたどり着く。そして、ヴァンパイアという種の中心はベルを生かしている魔術式にある。彼女が死ねば全てのヴァンパイアは死滅するだろうな」
ソースを狙ってエメラードに来た魔物を、ベル達は生かして帰さない。それは、ソースだけでなく、ベル自身を守るためでもあったのかもしれない。
「その秘密、よく五百年も隠し通したね……ていうか、だったらなおさらわかんないよ。ソースに関わって、わざわざ魔物を呼び寄せているようなもんじゃないか」
「人間ちゅうのは魔物と違って、目的なしに漫然と生きるのは苦手だろ? こう言うと軽く聞こえるかもわからんが、意味としては退屈しのぎってのとほとんど同じだな。それに、ソースの近くにいりゃあ黙ってても食料に困りゃしないだろ」
前に、ベル本人から似たようなことを言われたような気がする。事情を知った今なら、もう少し深いところまで察することが出来るように思える。自分のため に命を捨てた恋人のために涙を流した当時のベルは、現在ほど心も体も強靭ではなかったのだろう。人間や魔物の血を奪うため自ら出向くより、少なくともソー スといういち個人の暮らしを侵害しにやって来る連中を相手にする方が気持ちが楽だった。
「おまえさん、魔物は生物としての能力的にも精神的にも、人間よりずっとずーっと強いと思ってるか?」
「ああ。だって、現実的にそうだろ。人間と魔物で一対一だったら、確実に人間が負けるじゃないか」
「おいらなんか、その魔物の中でも最強の部類に入る巨人族様だぞ? それでも、目の前にいた人間ひとりさえ救えなかった。おいらがもっと賢くて経験があったなら、いずみの抱えてた嘆きにも気付けただろうし、そうしたらベルは、今もヴァンパイアという種を背負わされて苦しむこともなかった」
とさ、と軽い音を立て、サリーシャが前のめりに倒れた。たぶん酔い潰れただけだろうし、ライトも構わず先を続ける。
「どんなに強く見えたってな、たいていの魔物は何かしら涙を超えて生きてきたはずだ。実際に涙を流したかどうかは別として、とにかく、何百年と経っても色をなくさないような忌まわしい体験のひとつ、誰だって持ってる。そこんところは別に、人間となんも変わらないんだぜ?」
そこで、バッシ! と音が鳴るような勢いで、ライトは俺の頭に手のひらを打ちつけた。思いがけないタイミングでの攻撃に内心でだけのたうちながら、俺はライトの横顔を見上げた。涙こそない、しかし泣き笑いのような表情で、ライトは月を一心に見つめている。おそらくは、ライトがいずみさんと共にあった日々と何ら変わらない、遠く美しい月の姿を。
「ついでに言うと、肉体的にも必ずしも魔物が優遇されてるかっていうとそうでもなくてな……ヴァニッシュ――あいつ、もう長くないぞ」
「……は?」
つい数日前にも、同じような台詞を聞いたような。エリスが、ジャックさんはもう長くないと言って、彼を安らかに葬るために母親でもあるベルが人間の島へ出かけていった。
ジャックさんが死ぬなんて残念だとは思うけど、もうどう見てもおじいさんって感じだからすんなりと納得出来る。だけど……あのヴァニッシュが? 近頃なんだか元気がないとは思っていたけれど、そんなまさか。
「ワ―・ウルフっちゅーのは、言い換えれば死体のまま生きてる魔物だ。いくら魔力が足りてたって、体の方が先に保たなくなるのさ。平均的な寿命としては、 最初の死、そして復活から十年ってところだな。現にあいつ、もう人間の姿を維持できなくなってるだろう? そんな風に魔物の中には、何百年と生きる種族 もいれば人間よりも遥かに短い寿命の種族もいるんだよ……」
「うそ、だろ?」
かろうじてそう口にするも、こんな嘘をつくほどにはライトは軽率ではない。当然、黙って首を横に振り、ささやかな俺の願望さえ否定するのだった。
――俺は、わかったつもりでいて、その実なんにも分かっていなかった。
時間が誰にとっても平等に与えられているわけじゃない、ということ。夏以外の季節が訪れないエメラードのように、いつまでも今と変わらないような毎日が続いていくものだと思っていた。
ソースの力を持つ、高泉敦としての人生が始まったひとつの夏。その終わりは今、目の前に迫っていた。
12話終了。13話に続きます。




