後日談
「ひどいよ~、人をさんざん心配させておいて。一ヶ月、けっこう楽しそうにしてたんじゃない!」
エメラードに帰ってアクアマリンでの出来事をトールに報告していたら、彼は不本意の意思表明に、ぽっこり頬に空気を張って見せた。
「楽しそうって……向こうで体も心も死にそうになってようやく帰って来れたっていうのに。この痩せようを見てよくそんなこと言えるよなぁ」
投獄されるわブロッブに喰われかけるわ命がけの儀式に挑んだりとか。その儀式から目覚めた俺は生気やら遺伝子やら吸い取られてひからびるようにやつれたのだが、十日ほど寝込んで現状までに回復した。大幅にやせはしたけれど、以前通りの生活を続ければいずれは元の体重、肉付きに戻れるだろうというのはエリスの見立てだ。
せっかくだから大量に食って前より体格良くしちまえ、というのはライトの意見。変わり果てた俺の姿に元から頼りないおチビだったけどすっかり枯れ木ね、 などと笑い飛ばしたのはベルで……なんというか、エメラードは今日も平和で結構だなぁなどと、古巣に帰った感動を味わわせてくれる三者三様の反応だった。
「だってだって~、新しい友達だって出来たんでしょ?」
「だって」を三回も言ってしまうという、推敲もなく思ったままをそのまま口に出していそうな感じ。言ってる内容はともかく、トールが人間だった頃は周りを気にして自分の言いたいことも言えないような性格だったから……あの頃より遥かに素直な言動が出来るようになったんだなと思うと、昔なじみの俺としては良い変化ではあるよなと認められる。
「だから、今日はそいつらがこっちに来てるからトールに紹介しようと思って呼びにきたんじゃないか」
梓達一行は、俺達がエメラードへ帰る船へ一緒に乗り込んでこちらへ渡った。何でも、カリンが魔術道具に使いたくて長年求めている、とある材料を探すためだとか。カリンとティアーが出会ったきっかけも、それが目的でカリンがエメラードへやって来たからだったという。その時は発見に至らなかったそうだけど……。
「でもね、気が気でなかったのは本当だよ。途中からエリスが行き来してベル達に向こうの様子を教えてくれたから、僕も又聞きで無事が分かって良かったけど。もうあんな無茶しちゃダメだよ……あ、今『わかってるよ』って言おうとしてるけど、全然わかってないでしょ」
じとり、うろんな目線をよこすトール。お約束、「そういう音がするよ」という台詞も忘れない。あ~あ、確かにそうだろうよ。何だかんだで俺も、いざって時は感情が先立っちまっていけないな。
とりあえず、適当……な、つもりは自分ではない謝罪だけトールに伝えたその時。
「おーい。アーチぃ~、トールぅ~」
間の抜けた呼び声を上げながら大きく手を振って、マージャが駆けてくる。無駄な動きが多いので余計に疲れたのだろう、ぜはぜは、耳障りな息継ぎでなかなか本題を語れない。
「え、アクアマリンの友達、捕まっちゃったの?」
「はあ?」
しまいにはマージャが口を開くより先、トールが音とやらで聞き取ってしまった。
「敦~」
こんな状況でも落ち込むということを知らないのか、どこからつながっているのか知れない木の根っこらしきものにからめられ、洞窟の入り口付近の壁に縫いつけられた梓は笑顔を向けてくる。それだけでもじゅうぶんすぎるくらい、なさけない気持ちにさせてくれるのだが、それ以上にみっともない光景が傍にある。
「なさけない格好ね、つばめ」
あれから髪をばっさり切ってしまった元ブルー・フェニックス=フォボス。それだけで不思議と顔立ちまですっきりしたように見える彼は、梓と同じように木の根っこで、地面に突っ伏した状態で固定されていた。そんな彼を見下ろして、ほくそ笑むような嫌な表情の元レッド・フェニックス=ディモス。彼は梓から、彼女はカリンから譲られた服を身につけている。フェニックスの象徴であった、幾度不死鳥の姿に変わっても再生して焼失しない服は捨ててしまった。
「うるさいな。おまえこそ、どうせ何の役にも立ちゃしないくせに何しに来たんだよ」
「それはあなたも同じでしょ。何せ、お互い魔力がすっからかんになっちゃったんだし。それでいてのこのことエメラードまでついてくるからそんなみじめな格好で地面にへばりついているんでしょう」
「だからおまえも、いつになったらエメラードを出るんだよ。かよわ~い人間の女に、ここでの暮らしはきついんだろ。狩りだってろくに出来ないでアーチに喰わしてもらってるなんて、そんななさけないことよく出来るよなぁ」
シュゼットとツヴァイク、フェニックスとしての使命から解放されたふたり。以降、生まれた時に親からもらった「つばめ」という名を、ツヴァイクは取り戻すことを選んだ。一方、親友であるティアーからもらった「シュゼット」という名前の方が、遙か遠い時代に親から与えられた「しずく」という名前よりも大切だとシュゼットは言ってくれた。
晴れて全く別個の人間となったふたりは、そうなってみると、驚かされるほど仲が悪かった。そうして百年の歳月を生きたとは思えないくらい、当たり前のように、外見上の見た目にふさわしい幼げな性格になっていた。
名前ひとつとっても、まったく逆の選択をする。そんなふたりがお互いを半身として影響を受けながら生きてきたというのだから、それは嫌気もさすというものだろう。その点は心から同情するから、顔を合わせる度に言い合いはいい加減うんざりするので自重してもらいたいんだよな。
「……なんか、もうどうでもいいような気分なんだけど。どうしてこの状態のまま放っておくんだ? 木の根っこくらいとっとと切っちまえばいいのに」
もはやそんな光景を眺めているのさえ億劫という有様で、疲れた表情で洞窟の天井を眺めていた豊に声をかける。
「これは、仲間内じゃあ敦くらいにしか切れねーよ。多分」
「どーいうこった」
「あはは……ここってさ、僕もアッキーから、絶対に近寄らないようにって言われてる場所でさ」
そう言うトールも、言葉とは裏腹に目がちっとも笑っていない。口元はからうじてその形を作るが、左頬にかけてひきつっている。
「石竜ラピスの住処なんだよ」
「いしりゅう?」
「白銀竜スノウ=サーラ直属の竜族で、勅命を受けて『大地の記憶と魔力を宿した石』を収集してるんだってね。この洞窟の奥に、その成果を保管してるらしいんだ」
「ヴァニッシュみたいに銀を持ってるからうかつに触れねぇし、どっかの骨竜と違って神話時代からちゃ~んと徳を積んできた、竜族でも大御所だからな~……。普通に考えたら手も足も出ないな、この状況」
ははは~、なんて珍しく乾いた笑いで気をやっている豊に、嫌な予感が募る。
「待て豊、なんだかもう、死んだ気になってないか?」
「なっさけな~い、そんな子に育てた覚えありませんよ! なんちゃって~」
マージャのいつもの軽口に、つっこむ素振りさえ見せない。なんてこった、そんな豊の態度から事の重大さと絶望感がようやく感じられてくる。
「あっ、たぁあ~~!」
歓喜の雄叫びめいたものを上げながら、洞窟の奥から小躍りせんばかりの勢いでカリンが飛び出してきた。その手に掲げているのは不純物の一切ない、透明な石。漬け物石大の水晶のようだった。
「これよこれ、高純度のクリスタル! 研究材料にもたっぷり余裕のある量だし、きっとあれが完成するわ!」
「やったな楓~!」
はしゃぐカリンに反応するのは、未だ張り付けの梓だけ。バカップルめ……こいつらもたいがい、空気を読んで欲しい。
「貴様ら……」
背後から、絞り出すような呟き。存外、少女のようでお茶目な声の印象ではあるが、そこに込められた感情はまごうことなき殺気である。振り返りたくないけれど、そうしなければ問答無用でこの世から蒸発してなくなってしまいそうだ、俺達が。嫌々ながら、身体をよじって後ろを見やる。
神話時代には生きていたとされる「恐竜」とかいう巨大生物に、羽の生えたような。小山ひとつほどはありそうな巨躯だった。硬い質感のある藍色肌には虹彩があり、きらめく森の日差しを受けて別の色を見せる。大きな赤い眼と豊かなたてがみは白銀で日の光を跳ね散らかす。
どう見ても、この体のまま住処である洞窟に入れる身体ではないので、普段は骨竜と同じく人の形をしているのだろう。それが今、竜の姿を現すってことは……
「あの~、やっぱり怒ってらっしゃいます?」
よせばいいのに、マージャがそんな言い様で石竜の機嫌を伺う。よせばいいとは思うけど誰かが切り出さないとこの膠着状態は解けないので、こんな奴でも今回ばかりは感謝してやるべきなのかもしれない。
「我が父の遺物たる宝石を荒らした盗人を、ラピスは生かして帰したことはないぞ」
「うん、アッキーもそう言ってたから、ここには近づくなよって」
今はそんなことどうでもいいんだよ、トール、先に似たようなこと言ってるだろ……状況が絶望的すぎて泣きたいが、泣いている 場合じゃない。こっちは人数こそ多いけど、その内ふたりは拘束されていて、彼らを守りつつ応戦するならこの場所を動きようがない。
魔力の量だけで言えば俺だって竜族を圧倒するけれど、神話時代から生き続けてきた竜の重ねた経験は伊達じゃない……かぱり、糸を引きつつ大きな口を開ける石竜。整然と並ぶ歯の奥に光球を見て、俺は覚悟を決めた。
ああ、こんな落ち着かない日々は、あとどれくらい続くのかな……。
22話に続きます。