20話‐9 天上のしずく
「敦君ったら!」
耳たぶに触れそうな距離からの大声に、意識も身体もびくりと震わせて、俺は飛び起きた。目をしばたたかせて隣を見やると、頬を膨らませ眉をつり上げ、まぁわかりやすく言えば怒った顔のカリンがいる。
「もぉ、やっぱり寝てたんでしょう。だから昨日あれほど、早く寝た方がいいって言ったのに」
「か、仮眠だよ仮眠。五分だけでも寝ておけば、ちょっとは頭がすっきりするってよく言うじゃないか」
「言い訳はいいから、早く始めようよ。ほら、式だって完成したんだからっ」
とりあえず弁解はしておいたが、やはり聞き入れてはもらえなかった。まぁしょうがないな、と思いつつ頭を左右へ振ると髪の毛を濡らしていた汗が飛び散る。それもまた致し方ないことで、何せここはアクアマリンで最も高見に位置する、盟主の塔の屋上見張り台なのだから。
盟主の塔はアクアマリンという小さな島の中央に位置する。というのは、自分達の生み出したフェニックスという生命を疑似太陽へと進化させる儀式のため、神話時代この地を支配した人間達が計画的にそのような立地を選んだから。
あまり広さのないここも、魔術式を刻み儀式の中心になるよう計算づくだったのだろう。アクアマリンの建築に使われる粘土は火に弱い。七日に渡って頭上で繰り広げられた、世界最大の炎の乱舞に、すでに粘土は汗をかくように溶け始めていた。魔術式を刻むには道具が通りやすい、しかし土台が柔いせいで作業の中、立ち位置に気を配らないとせっかく刻んだ式を踏みつぶしてしまう。
式を刻む作業は、完成した部分からフェニックスに仕えるキメラ、ムシュフシュの吐く冷気でもって固めながら行われた。広くないとはいえ複雑な魔術式をカリンに任せきり、彼女ひとりに作り上げてもらったというのは情けないものだが――俺は魔術に関してはまだ経験が浅く、また今回ばかりはちょっとした手違いも許されないわけで、専門職である彼女に任せるのが最善であるのに間違いはない。
火炙りのような猛暑の中、彼女の職人人生において最高級に複雑な魔術式を相手に奮闘する。そんなカリンの傍らで居眠りなどかましていたわけだから、責められるのはまったくもって自業自得だった。
「大変だったろ? これならエリスを帰すの、この作業を手伝ってもらってからにした方が良かったかもな」
ムシュフシュと並び、今回の儀式を控えカリンのアドバイザーであったエリスは昨夜、彼女の故郷であるエルフ界へ帰した。エルフ界はこの世界とは異なる次元にあり、そこにいるならば儀式が失敗して最悪、この海域を吹き飛ばす結果になっても生き延びることが出来る。エリスは別にこの世界へ留まってもいいと言ってくれたけど、万が一の事態があるとしたら確実に助かる者は、ひとりでも多い方がいいからと話して納得してもらった。
「大丈夫、これっくらいで音を上げるような育ちをしてないからねっ。……敦君も、頑張ってね」
「……ああ」
他にどう答えたらいいものか、言葉が見つからなかった。あいまいなままにしてごまかすように空を見上げる――哀れなフェニックスがお互いの炎を貪る、ふたりぼっちの戦場を。
ふたりのフェニックスを人間へ戻すため、俺自身の人間としての遺伝子情報のいくらかを吸い取られる。それがどのような結果をもたらすのかまだわからないし、儀式自体の失敗によってはこの島が消滅するかもしれない。慣れ親しんだエメラードや、生まれ育ったフェナサイトもその巻き添えにするかもしれない。
プレッシャーに潰れそうな心臓を落ち着かせるには、きっとこれが何より効果的だろうと思う。俺は、首からぶら下げた小瓶を手に握りしめた。まだ人間の島で当たり前に暮らしていた頃、憧れていた、年上の女の子――ティアーから贈られた、彼女の祈りの込められた小瓶。不足すれば新たに涌きこの小瓶を満たす、 不思議な水。それはまるで、無限に涌く魔力を持つ俺自身を思わせた。
仮眠の効果だって確実にあるだろう、今は頭もすっきりして、心音も落ち着く。すっかりいつも通りの自分でいられる……そんな気がした。
肝心なところで、額から流れた汗が目に入ったり気が散ったり、そういう想像が頭をかすめ、額にタオルをまいて水分を吸わせることにする。
目が飛び出しそうに見開いて、俺は刻まれた魔術式を見据える。それと同時、式の形を読み改めて儀式の手順を確認する。
中央には俺の、その上下にフェニックスの魂の式の一部が刻まれている。アクアマリンの西にある地脈の式に重ねて梓と彼の砲撃の式があり、東には同じようにマージャの式がある。その他儀式に必要な無数の魔術式が隙間なく刻み込まれ、それを間違いなく読み上げて、ふたりの砲撃手とのタイミングを外すことがなければ、俺の魔力がフェニックスを貫き彼らを人間に戻すことが出来るはず。
「アーチ殿」
式の外から俺を眺めていたムシュフシュが、足音を立てずに俺の元へ歩み寄る。それは、儀式の始まりも意味している。俺の魔力を受け止めてフェニックスへ突撃する――それと同時に命を落とす、それがムシュフシュの宿命であり、この時のためだけに自分は生きてきたと言っていた――そんな重要な役を担うムシュフシュの式が構成されていないのは、その身が魔術式の上に立つことも儀式の発動条件のひとつだから。
「儀式が始まればもはやその時はないでしょう。だから、先に申し上げます。彼らを救ってくださりありがとうございました」
感情の見えない瞳、言葉をつむぐと男と女の声が同時に聞こえる。獣の首を不器用に曲げ、どうやら俺へ頭を下げたらしかった。ムシュフシュは、儀式の失敗の可能性などこれっぽっちも想定せず、俺に礼をくれた。俺を信じてくれているのかそれとも、信じているのは……自分とフェニックスの、定められた「運命」と いうやつだろうか。
『西の楔、ディモスの墓標を掲げよ』
こちらから様子はうかがえないが、マージャの張り上げた声で『イェン』と唱えたのが、石を通して届けられた。それは魔術式を解放し、しかし攻撃を放たず 待機させる呪文だが、この儀式においては俺への合図でもある。これで、マージャが今頃は砲撃の式の構えの態勢でいることがわかる。
俺も、本来は呪文の詠唱などしなくたって、頭の中で魔術式を読むだけで効果を発することが出来る。しかし今回は俺一人で発動させるのでなく、梓とマージャとタイミングを合わせることも必要だから、こうして魔物の言葉を用いている。
『東の楔、フォボスの墓標を掲げよ』
梓もマージャと同じく、しかし奴よりこなれた調子で『イェン』を叫ぶ。
『二双の不死鳥、我が血潮を喰らい、あるべき日へ還れ。戒めの獣、我が祈りをのせ――』
その瞬間、心臓を握りつぶされるような圧迫を覚え、息が詰まる。俺の遺伝子情報をムシュフシュに乗せる、それに相当する部分を詠唱したのだから、その効果と思っていいのだろう。
こんな状態で、言葉が続かない。そう思ったが、ここで俺が口を閉じたら、遠く離れた梓達を動揺させる。止めてはならない、何が何でも!
『っ、飛び、立てぇ!』
身体の内から失われていく何かと同時、声も意識も失いそうに思えたけれど、どうにか最後の呪文、合図を告げることが出来た。
俺の目前、ムシュフシュの身体が内から弾けるように炎と燃え上がり、残像を残すように飛び立った。俺はもはや自身を支え立つこともままならず膝を着くが、最後の気力でもって頭を上げ、ムシュフシュの軌道を目で追う。
たまたまなのかこの瞬間を察したのか、ちょうど天のただ中で静止しお互い睨み合った2羽の不死鳥、赤い炎と青い炎の真ん中に飛び込んだムシュフシュの 炎……目の錯覚か、それは青であると同時に赤く見えた。また、ムシュフシュに追いついた二つの砲撃の筋がまさに二羽を貫こうとした。
俺が目にしたのは、それが最後だった。
――それは、確かに祈りのようだった。
本当はそうあるべきだった日々に、どうかかえれますように。
俺が、豊が、マージャが、梓が、カリンが、シュゼットが、ツヴァイクが、みんなが……どうかこれからは、穏やかな日々の中で生きられますように。




