20話‐8 天上のしずく
せっかく盟主の塔まで来たのだからと、梓達が砲撃の式を鍛錬している訓練場へと足を伸ばした。普段は闘技場に出場する魔物達が専ら使用している広場で、 俺達とは別にフェニックスの打倒の策を進めているアクアマリン同盟の皆々様もここを使用している。流石の非常事態、普段は毛虫のように疎まれている俺も、 今はこの場にいても気に留められていない。
「おーい、順調にやってるかぁ?」
さっそくそう声をかけると、思いっきり疲れたような顔で振り向いた豊は、
「こいつ……あんな大見得切っておいて、どうにもならないかもしんねーぞ」
つんつん、心底嫌そうにマージャを指さす。
「とんでもないノーコン。ちっとも的に当たりゃしない」
「いやぁ、昔取った杵柄も、実戦経験がなけりゃどうにもさ」
あっはっはー、至って気楽なマージャの笑い声に力が抜ける。以前、ゴブリン族の生まれだが殺人をしたことがないとか言ってたが、ある意味その言葉の証明にはなっただろうか。
「でも、軌道は魔術式で、直接フェニックスを狙い撃ちしてくれるんじゃなかったっけ?」
「最低限、空へ向かってある程度の距離を飛ばせなけりゃダメなんじゃないかなぁ、たぶん。今の学にゃちょっと腕力が足りないかも。今日のところはそっちに時間まわそっか」
梓も、戦闘用の魔術に関しては一日の長があるようだ。少なくともこのメンツの中では的確なアドバイスが期待出来る。
「梓、一回でいいから、砲撃の式ってどんなんだか見せてもらえないか?」
「ん? いーよ」
言うが早いか、この暑さですでに剥き出しにしてあった右腕を俺達へ見せる。そこに刻まれた砲撃の式を確認させて、梓は地面に落ちた槍を手に取り担ぐように腕を曲げる。空いている左手を右肩に添え、足を広げて地面に踏ん張りをきかせる。
ぶつぶつ、呪文らしき呟きを口元に籠もらせて、腕だけでなく半身を回すように腰を捻り、一旦下げた右足を踏み出しながら投擲した。
槍は垂直に飛び、軌道を追った目が追いつかないままに五メートル以上は先にあった的を射抜いた。何の変哲もない木の板を立てただけのそれと正面衝突しておきながら、槍は折れることなく板に穴を空ける。梓は体勢を崩すことさえなく、涼しい顔で「どうだった?」などと聞いてくる。
「人間が普通に投げたら、あんなまっすぐな軌道で、あのスピードを維持したまま槍が飛んでくもんじゃないよな。あれが砲撃の式の効果ってことか」
競技としての槍投げでは、あんな軌道は見たことがない。緩やかに弧を描き地面へ落ちる、この投擲を見せられた後ではかわいらしいものだと思う。確かに、こんなものが体を貫いたらひとたまりもないだろうし、梓の様子を見る限りそれに対して体の負担も小さいようだ。
「まーね。でも相手の式でも知ってない限りよけられることも考えなきゃならないし、これだけでくらってくれる奴はそんないないよ。急所をつきたいと思ったらまっすぐ飛ばせるようにもなっとかなきゃだし。今回は空へ向かって飛ばせるように、ってことなら、あと何日かでも何とかなるよ。てわけだから、頑張ろうな、学!」
「おー、まかせとけー!」
マージャの気合いはいまいち本気が見えないが、梓に対しては至って素直な奴だから、任せておけば大丈夫なんだろう。というか俺は俺でやることがあるから、ここはみんなを信じて任せるしかない。
「敦、ちょっといいか」
梓がマージャについて、カリンもその様子に気を向けているのを狙ったのだろうか。豊が遠慮がちに俺へ声をかける。
「どうかしたか?」
「ああ。儀式の当日までに、敦に確かめておきたいことがある」
「わかった。それまでに時間作ることにする」
その態度から何となく、豊の気にしていることが何なのか、わかるような気がした。シュゼットが豊に、ユイノの「封滅の式」を自らに振るうよう頼んだ、その真意もろともに。
しかし、それは現実に、豊とふたりで話す時まで考えないでおこうと思う。そうでもしないと儀式当日まで、俺も魔術式を覚えられるのかと切羽詰まっているのだ。
ソースである俺は、さっき梓がしたみたいに呪文を唱える必要はない。頭の中で浮かべる魔術式のイメージを掴むため、すでにカリンから伝えられた魔術式の一部を思い浮かべながら、宙に指で描いてみた。
左手にアクアマリン特産の粘土を握り、その傍らに佇むムシュフシュと何やらぶつぶつと言葉を交わす。右手の、錐のような道具で粘土にぷちぷちと凹をつけ、マージャが形成しているのは魔術式だ。
俺達に背を向けて一連の作業に没頭していたマージャは、仕上げに自らの目を覆うゴーグルを額へ押し上げて、一瞬にして粘土を石へと変えた。
「おーっし、出来たぁ!」
ひとりで歓声を上げ、手にしていた石をぽーんと上空へ放り、またその手に握り込む。意味のない動作を眺めた後、居間の方々へ散っていた俺達はぞろぞろとマージャの元へ。
「おっつかれー! さっそく試してみようぜ!」
素直にねぎらう梓とお互い嬉しげに肩を叩き合い、地面に転がっていた必要人数分の石を拾い上げる。その動作を追って俺達もそれぞれ、手のひらを広げて差し出す。
「これが親な。打ち合わせ通りこれはアーチが持っててくれ」
「ああ」
ひとつだけサイズのひと回り大きな石が手渡される。隣の豊が受け取った分と見比べさせてもらうと、確かに俺の石に刻まれた魔術式の方が段違いに複雑な構成をしている。
試してみようという自らの発言を実行すべく、梓は歩きだし玄関から外へ出る。
『聞こえるかー?』
「おおっ、聞こえる聞こえる。こんなの即興で作っちまうなんて大したもんだな」
「いやはや~、他に取り柄もないことだし~?」
フェニックスを人間へ戻す儀式では、砲撃の式を担当する梓達と、魔術式の中央からそれを発動させる俺とでは、待機する場所が離れている。しかし砲撃の式のタイミングは俺の発動に合わせてもらう必要があって、それならばと手を上げたマージャが作ったのがこれだった。
「こういう式があるんなら、エメラードとフェナサイト間の通信も声でやりとりすればいいんじゃないの?」
興味なさげに机に肘をついていたエリスが、俺の発言に立ち上がり歩み寄ってくる。
「式をよくご覧なさい。この道具は持ち主の声だけを拾い上げ親元へ送信する仕組みになっていて、一部にあなた達の魂の式が刻まれているわ。不特定多数の使用には向かないし、こんなものを見られたら急所を晒すようなもの。今回の件を済ませたら跡形なく粉砕した後、海にでも撒いて捨てることね」
「俺達の式を、って。マージャ、これ、三つ作るのに二時間もかかってなくないか?」
魂の式は、通常の魔術式と違って複雑だ。生き物の命、一生涯、それどころか前世との連綿とした繋がりを記号であらわすものなんだ。一筋縄でいくものではない。
「へへー……得意なんだ、こーいうの」
そう呟くマージャの声色は、作り笑いでなく後ろ暗さを滲ませていた。ああ、触れられたくないことなんだなぁと察しが付く。
日頃、言葉でやりこめられる仕返しには絶好のチャンスなのだろうが……何も見なかったことにして、自分の勉めに戻った。
春日居家には秘められた地下室がある。どれくらい隠されているかというと、入り口は寝室のベッドの下にあって、クッションを持ち上げてやっとそこへ下りられるという筋金入りだ。
こうした地下室を用意したのは、魔術の研究、及び実験のためだ。上の居間にだって十分なスペースがあるけれど、万一失敗して爆発でも起こした日には、春日居家先祖代々の生き様、その結晶たる資料の数々が灰になってしまう。当然、地下で炎が立てば地上より避難が困難となるが、少なくとも春日居先生はそれを良しとしているらしい。
石造りのじめじめした地下室は、アクアマリンの地下牢で過ごした日々を思い出してぞわぞわと怖気が走るけど……フェニックスの儀式で最も重大で困難な役目を負う俺が、魔術式を覚えるのに少しでも集中出来るようにとこの部屋をあてがってくれた、みんなの気遣いを無碍にすることも出来ない。
何のためにこの部屋を隠しているのか、大ざっぱに聞かされたところによると、目の前で淡い光を発している小さな泉のためであるらしい。アクアマリンの水源と同じ色をしたそれは、不可思議な道筋でウンディーネへと繋がっているとのこと。この非常事態で詳細までは突っ込めなかったけれど、事が済んだらまた春日居家代々の手記でも紐解くことにしようかな。
……それにしても、
「ねっみぃ……」
思わず漏れ出た呟きの直後、またまた大きなあくびがこらえきれない。くぁ、と間抜けな吐息を吐き出すと、ついには目から涙が転がり落ちた。あくびのし過ぎで泣くなんて、我ながらなんて情けない有様だろう。
思えばエメラードでの暮らしは、太陽が顔を出すのと一緒に目覚め、太陽が沈み暗くなったら眠る、というサイクルだった。それがこの数日は儀式の準備に追われ、休む暇も眠る暇も惜しんできたのだ。人間の島の、子供らしい脛かじり生活の中ではありきたりだった夜更かしも、今となってはすっかりそういう体質ではなくなっていた。
俺は、カリンとエリスの書き起こした魔術式の図形と、アクアマリンの地図とを見比べながら暗記する作業に取り組んでいた――暗い地下室、泉のほの明るい光だけを頼りにそうしているわけで、そりゃあ眠気だって誘発されるというものだろう――明日の儀式に支障はない、そう思えるくらいには、式の構成も把握出来たはず。なのに時間の許す極限までは復習しておきたい、何となく、安心できない気がする。何たって明日は失敗が許されない、そうなればアクアマリンか、さらに悪ければベリル列島全体が……そうならなかったとしても、俺は死ぬことになるんだから。
「敦?」
「おー、来たか」
昨日の約束通り、話したいことがあるという豊をこの部屋へ呼びつけておいた。眠気にくらくらする頭をごまかしながら立ち上がり、部屋の隅に重なっていたクッションを手渡してやる。
「で、話って?」
「敦、まさかまだ知らないわけじゃないんだろ? 明日の儀式を決行するってことはさ」
「ああ、フェニックスを人間へ戻すのに、俺が多少体を張ることになるっていう。豊こそ、もしかしなくても知ってたろ? 俺がそうなるってことを。だから自分が、ユイノの力でシュゼット達を封印するってことにこだわったんじゃないのか?」
「それがシュゼットの望みだったんだよ。何があったって、自分のためにおまえを危険に晒すのは耐えられないって。万一のことがあればティアーやヴァニッシュに合わせる顔がないってな。それについちゃあ俺も同意だったから、まぁ、そうするのもしょうがないって思っただけだ」
「おまえらほんと、いつまで経っても俺の気持ちは無視なんだよなぁ……別にいいけどさ」
俺の無事を第一に考えてくれるのは嬉しくないわけじゃないし、それに関してとやかく言うのはやめにする。何度言ったって無駄な気がするし。
「結局、やるつもりなんだな」
「ああ。豊やシュゼットの気持ちは悪くないけど、これは、俺がやるんだ」
「命をかけてもか?」
「そうさ。第一、まだ死ぬって決まったわけじゃない。豊に任せたとしたら、おまえとシュゼットとツヴァイクと、少なくとも三人助からないんだぞ」
「どうかねぇ。ユイノの力なら失敗がないけど、敦が失敗したらアクアマリンやら他の島やら、まとめて消し飛ぶかもしれないのに。そうなりゃこっちのが損害は少ないぞ」
「うるさいな~。失敗した時のことなんか考えないんだよ!」
本当はついさっき、ほんの少し考えたりもしたが、口に出してないのでセーフだ。
「……念のため、何か、言い残すこととかあるか? やり残したこととか」
だから何でそうネガティブなんだか、と思うけれど、どうやら豊は本心から心細いようなので茶化さないことにする。
「そーだなぁ……ああ、酒飲みたいなぁって、今みたいな気分のこと言うのかな」
直前までの真剣な空気はどこへやら、心からあきれたように豊はため息する。
「おまえさぁ、同年代に比べて頭固いんじゃね? 明日どうなるかわからないって時にそんなこと我慢してるのかよ」
「なんだよ、豊はもう酒やったことあるのかよ」
「あるよ。昔、ちょっと色々やらかしてた時期に……」
ごにょごにょ、バツの悪そうにこもった声の豊に事情は察して、深追いはしない。
「まぁ、約束は約束だからな……」
俺が成人したら、俺と一緒に酒を飲みたいなぁ。父親にそんな風に言われて律儀にそれを守っている俺は、確かに真面目という言葉で片付けるには足りないのかも。




