20話‐6 天上のしずく
俺は仲間達に、その場で待機するよう目で訴えながら、重い足を踏み出してハイリアの目前を目指した。瞬間、彼を囲む魔物達へと一斉に緊張感が伝染した。
これは俺も殺されかねない空気だな、と思ったら、ハイリア自身の口から小さく「待て」と一声かかる。すると魔物達も忌々しげに吐息をつき、ついでに全力で俺をにらみつけながら殺気をやわらげてくれる。いくら濃度が薄かろうが、そこに殺意があることに変わりはないが。
「何の真似だ、ソース」
目の前に立って見上げると、いくら全盛期より小型化した巨人族といっても、俺にとってはじゅうぶんすぎるくらいに強大な相手だ。閉ざしていた両のまぶたをゆるやかに持ち上げて、人間にはなじみのない無数の目の全て合わせても遠く及ばない、恐ろしい敵愾心に血走った目が俺を見下ろす。
この状況下ではとても、恐怖心を抱かないではいられないけど……大きく大きくその感情をため息にして吐き出して追い出す。平静な感情を無理矢理につぎあわせるようにしながら、気合いだけを頼りに宣言する。
「俺は……いや、俺達は。これから体を張って、フェニックスの脅威をこのアクアマリンから退けるんだ。それだけの貢献をするからには、達成出来た暁には、アクアマリン同盟の皆々様から相応の見返りが頂けるんじゃないかと思ってさ」
「ほう、魔物を相手に交渉か? この執務室にて初めて相対したあの夜は、そのちっぽけな体に見合う、臆病な人間の子供としか見えなかったが、存外肝が据わっている」
「魔物ってのは取引がお好きなんだろう? 俺だって、無条件でこの島を助けようなんて出来た人間じゃないんでね」
「ならば、望みは何だ?」
「俺の欲しいのはたったひとつ、俺達の身の安全、その保証だ。元から俺達自身に前科があるわけでもないんだし、結果的にはこのアクアマリンが救われるっていうのに、罪状なきおたずね者状態のままなんて納得いかないね。俺達がフェニックスの件を解決出来たあかつきには、ソースとしての俺と、ヴァンパイアとしてのユイノ、そしてゴブリンとしてのマージャから、懸賞金を廃止してもらうぞ」
梓達にとってはそうじゃないんだろうけど――正直、アクアマリンの危機なんて俺にとってはどうでもいい。俺はただ シュゼットを助けたいだけで、この島を救うなんておこがましいことを本気で考えているわけじゃない。だけど、「納得いかない」という部分だけは紛れもない 本心だった。
「『おまえ達』がこうして集まって、何をするつもりだか知らないけど、俺達ならこの島を、無傷でフェニックスから解放してみせる。そしてそれは、ソースの――無限に涌き続ける魔力を持つ俺にしか、果たせないことだ」
「言い分は、承知した。しかし、勝算はあるのか」
「少なくとも、アクアマリンのウンディーネより、水源の利用はこちらが約束を取り付けたわ」
唐突に、俺とハイリアのすぐ脇より「生えてきた」のは、エリスだった。エルフ族は彼女らの故郷、この世界とは空間を異にするエルフ界を仲介して、この世界のどこへでも瞬時に行ったり来たり出来るという便利すぎる特権を持っている。
「はじめまして、盟主ハイリア。こちらはエリス。この度はライトに成り変わって、現人源泉竜ソース=アーチにつかせてもらうわ」
「ウンディーネ……セリオールが、君へ水源を提供すると?」
「いいえ。正しくはエリスではない。ご存じないかしら? ウンディーネは、我らが母、マザー=クレアより、有事には竜族へ従うよう言いつけられているの。そこにいる高泉敦は、現人源泉竜であると同時に、『アーチ』でもある。それが何を意味するかわかるでしょう」
細い腕を組んで、背筋を伸ばして立つエリスは真っ向からハイリアと対峙する。……どうせ啖呵を切るなら俺自身で立ち向かおうと思ったのに、一瞬にしてお株を奪われてしまったな。
「……了解した。アクアマリン同盟は君達の動向をうかがうことにする。ただし、手をこまねいて眺めることはしないぞ。ソースの策が不発に終わった場合に備えて、我々の策の手はずは整えておこう」
すっかり対等、真摯な眼差しでエリスを見下ろす巨人ハイリアは、そう宣言した。
せっかく雲が晴れたというのに、疑似太陽となる不死鳥の炎が空も地上も照りつけて、星の光はすっかりなりを潜めている。青空と同様に星空も見た経験のない梓はそれを期待していたらしく、つぶやく声は残念そうだ。
「夜になったっていうのに、あっかるいなぁ」
「そんで、あっついなぁ……」
エメラードの熱帯に慣れている俺も、この暑さはそれとは違う未知の不快感を覚えさせる。言うなれば近すぎる太陽に炙られているようなもので、網焼きされるイカの気分でも味わえそうな感じなのだ。
春日居家のベランダへ出て男で四人、フェニックスの舞う夜の空を見上げ、その炎による熱帯夜を体感している。華がない、むさ苦しい集い。屋内では今、ムシュフシュの 音読する、フェニックスの儀式に必要な魔術式を必死で書き留めるカリンやエリスがいる。知識では彼女達にうんと劣る俺達の同席は足を引っ張るだけなので、自主的にここで骨休めをする羽目になった。
それぞれの担当する式が完成したなら、それを暗記し、本番には難なく発動させられる下準備に追われることになる。ある意味、この時間は最後の休息になるかもしれないな。
「なぁな、ふたり共、何を考え込んでるんだ?」
何とはなし梓と並び、ベランダの手すりに肘をつき、炎波打つ空を眺めていた。そこへ茶化すような空元気をひっさげてマージャが乱入する。
「俺は別に」
ハイリアには、いかにも確実な策であるかのように振る舞ったが、現実には難点はいくらでもある。本当に七日ぽっちでそれを為すことが出来るのか考えてたけど、そんなのみんなに言えやしないからな……。
「アクアマリン以外じゃあ、毎日あんな風に、空が見えているのかなぁって思ってさ」
ぼんやりと、半分寝ぼけているような口調で梓は言う。
「聖がどこ行ってんだか知らないけどさ、ああいうきれいな空を見たなら……そうじゃなくても、もし人間の島にでも行ってそっちの方が楽しいって思ったら、もうアクアマリンには帰って来ないかもしれないなぁって」
「へー、そう思ったんだ? 心配しなくても、あの人もそういうタマじゃないだろ~?」
どことなく不安混じりな様子の梓のため、マージャはあえて笑い飛ばすようにしたんだと思う。俺に言わせれば、そんなことでどうして不安になるんだかいまいちわからないが――友達だからって、いつまでもご近所さんで、一緒にいられるってわけじゃない――春日居先生の言っていたことを思い出す。梓は、生まれながらに関わりのあった人間が、あまりにも少ないから。たったひとり去ってしまうだけでも、それはとても大きな喪失なのだろうと。
「聞いたことあるか? 神話時代、この島にいた人間達が血眼になって科学を追求して、最終的にフェニックスなんて疑似太陽を作っちまった理由。昔っからこの島は分厚い雲に覆われてたから、今日みたいな青い空と太陽が欲しかったんじゃないか、って説もあるんだと」
アクアマリンじゃそんなこと、認めてないけどな。ヴァンパイアである豊はこの暑さを感じていない。涼しい顔でそんなことを言う。
「それだけの悪条件で、引っ越そうと思わないのかね」
「オレ、なんとなくわかるな~。アクアマリンが今より住みやすい場所になるっていうなら、どんなことだって試してみたいと思う……あ、もちろんフェニックスのことは別だけど。アクアマリンを良くするためだからって、ツヴァイク達が犠牲になることなんてないんだし」
へらへら笑って取り繕うが、やはり梓は気落ちしたまま、浮上してこない。俺は梓に気付かれないよう、静かに静かにひと息ついた。
「人間の島なんて、梓が思ってるような良い場所じゃないぞ。子供の内は学校行って大人になったら会社勤めして、生まれてから死ぬまでガッチガチに社会に縛られて自由なんかありゃしないんだから。なあ、マージャ」
「ん? 俺は、あれはあれで楽しいこともあると思ったけどなー。何だかんだで協同して生きてかなきゃならないから、色んな人間にかかわり合って面白かった」
「……どっちにしろ、梓の性に合ってる方を選べばいいだけだろ」
別に打ち合わせをしたわけでもないのに、何やら自然な連携が成功した。豊が締めを担ってくれたのは少し意外だった。
梓はぽかーんと間抜けに口を開いて、しかし俺達の意図を察したのか、朗らかに笑みこぼした。
「ありがとみんな、励ましてくれて。なんか照れるなぁ」
「おまえが言うな。やってるこっちはもっと微妙な気分なんだから」
俺は安心と、ちょっぴりの心労をため息にして吐き出す。その性格からして豊の気恥ずかしさは相当なものだろう、言ってる内から梓のいない方へ顔を向けていた。
「なんだなんだ、これっくらいで恥ずかしいとか、おまえらシャイだなぁ」
「おまえはその、うざったいキャラで場を和ませようとするのやめてくれ」
「そうは言われても、これは俺のアイデンティティであるからしてどうにも変えようがないなぁ」
うん、実にうっとおしい発言だ。豊だって奴の思う壺だとわかりそうなものだが、心底嫌そうな顔をしてかえってマージャを楽しませるのだった。