20話‐5 天上のしずく
「あれ?」
玄関を出てすぐ、きょとんと一声もらして、先頭の梓が足を止めた。すぐ後ろに続いていた俺は胸を梓の背中へ衝突させる。
「なんだよ梓、急に止まって」
「あれ……空が変だ」
直前の「あれ?」とは違う脱力したニュアンスで、梓は人差し指を空へ向ける。とりあえずその背中を小突いて玄関口から追い立てながら、俺も外へ出る。
たった今、アクアマリン上空の異変といえば、死闘を繰り広げる赤と青の不死鳥。そう思いながら見上げると、もうひとつの異変を目の当たりにする。
「変、っていうか、空が青いだけじゃないか。あれだけの業火が休む間もなく羽ばたいてるんだ、気流が変わって雲が流れたんだろ」
ごく当たり前の青空、そう言おうとして、このアクアマリンではそれが普通ではなかったのかもしれないと思い至る。曇天続きだなぁとは思ってたけど、まさか生まれてから十七年をこの地で過ごした梓が、青い空を見たことがないなんて……それがアクアマリンの日常なのだろうか。
「空って、こういう色をしてるものなのか……へぇ~」
おまけのように呟いたのか感嘆と同時、寂然とした響きを帯びていた。目を細め、不死鳥達の炎の向こう側に見える青い空を眺めて。
正直、どう反応したらいいものか戸惑っている俺達に気がついた梓は、
「ごめんごめん、ちょっとぼーっとしちったよ。暑いし明るいしで、アクアマリンにいる感じしなくてさ。調子狂うよなぁ」
などと、下手にも程があるごまかしわらいによって、この場を取り繕うのだった。
「たのもーお!」
訪問の後で交渉に入らなければならないのだから、それらしい謙虚な態度で臨んでくれ。そう俺が拝み倒しても梓は聞く耳を持たなかった。
場所は、俺が初めてハイリアと面通しをした部屋。今はこの部屋にいるのはハイリアだけではない。人と大差ない姿形だったり、上半身など体の一部が獣の形 をしていたり様々だが、おそらくアクアマリンに暮らす魔術に秀でた魔物達が集結しているのだろう。ハイリアを中心に円となって座り込み、会談の最中だった。
「騒々しいぞ。何の用だ、アース。貴様もアクアマリンの一員ならば、危機的状況発生に伴う一体行動を知っているだろう。いつまでも単独でほっつき歩いているものでは……」
人間と同じ位置にある両目だけ穏やかに閉ざされ、全身に無数ある目を見開いて、とある目は俺を、また別の目は同行する俺の仲間達を眺めている―― ハイリアの声には呆れが混じっていたが、基本的には梓への親しみが強くあらわれていた。ああ、彼らは本当に知った仲なんだなぁ、と、ようやく実感を伴う。 アクアマリン盟主として俺を追いつめた相手と、何のお礼も出来ない俺を親切に匿ってくれる梓とでは、わかっていても接点なんか見出せなかったんだ。
「それどころじゃないんだって! ハイリア、江波 聖を出してくれよ」
大人の対応のハイリアに対して、梓は気安く、いたって子供じみた調子で訴えかける。
「何のことだ?」
「だって最近、聖の家の明かりがつかないんだ。だからハイリアのところにいるのかと思ったんだけど……え、違うのか?」
お互いに意表を突かれたのか、見合わせて首を傾げ合う。こんな殺伐とした場に置いて、気の抜けそうになるやり取りだ。
「エイリーンなら、今、この島にはいない。捜し物があるからしばらく空けると出ていったぞ」
「ええ~っ!? どどどーしよう敦!」
「落ち着けよ。ていうか誰の話してるんだかさえわかんないぞ」
「砲撃の式を持ってる友達だよ、この島で俺達に力を貸してくれそうなの、あいつくらいしかいないのに~!」
あわあわと慌てふためくのは、さっきまでの妙な自信を裏付けていた存在が、この島に今はいなかったと判明したからか。
「いないもんはしょーがねえだろ。……何なら、そこのハイリアにでもやってもらえば?」
やれやれと、虚仮にするような口振りとは裏腹に、豊は真っ向からハイリアを睨み据えた。
「秩序を守るためならば、まだ罪を犯してもいない危険因子を裁くのだってやむなしなんだろ? そうやって責任を負っているお立場なら、アクアマリンのために体を張るくらいどってことないんじゃねーの」
突然の珍入者達が、これまた珍妙なことを言い合っているというのに、この場に集う魔物達は奇妙なまでに静かだった。それが、豊の発言を受けてから、ひそひそと囁き合いを始める。なんなんだこれは、そう思い仲間達を振り返ると、彼らの反応も様々だった。
梓は、誰に対してだか知らないが気遣わしげに顔を曇らせ。カリンは、あ~あ、やっちゃったとでも言い出しそうに顔をしかめ。マージャは――実に似つかわしくない、いたって真面目な空気をかもしていた。
「あんたらが何をするつもりだか知らないが、ハイリアは使いものにならないよ。あの両腕はもう、あんまり自由に動かないからね」
ちょうど俺達の足下にいた、髪がなく雪のように白くすべやかな髭が目立つ男性が言った。小柄でひきしまった筋肉の、だるまのようなフォルムは、エメラードで出会ったドワーフのオルンによく似ている。
「アクアマリンの盟主は、ここで暮らす魔物達の中で、いっちばん強い奴が選ばれるんじゃないのか」
「ハイリアが盟主に就いた当時はハイリアが最強だった、それだけのことじゃないか」
ここにいる魔物達がうんうんと頷いている素振りを見るに、これはアクアマリンでは周知の事実なのだろうか。だけど、ハイリアが弱体化したのを知りなが ら、つけこもうとする者が誰もいないというのがわからない。盟主の座につけば相応の見返りと権力が手に入る。それらに見合う苦労もついて回るとはいえ、 ハイリアのいる席が欲しい者は少なからずいると思うのだが。
「おまえたちくだらない人間と、おんなじにかんがえるなよ」
ゆるやかでつたない話し口で、憮然とした声がどこからか聞こえてきた。しかしいくら目線を走らせても、口を動かしている者は見あたらない……いや、そんなことよりこの声の主、まるで俺の心境を読んだかのようだった。
「わたしたちは、わたしたちのしんじられるものを盟主にえらぶのだ。おまえたちはひとのこころをみるめにかけているから、ただしき支配者を選べない。民衆がしんからこころあずけられる支配者をえらべたなら、あらそいなどおこるはずもない。それができないから人間は、地位だ権力だとつまらないものをうばいあおうとするのだ」
まぁ、それもそうなのかもしれないけど。現実にそれを実行している魔物達からしたら理想論でもないのかもしれないけど。
正論に反論しなければならないのは言い訳がましくて、心が重たくなる。しんどいため息を吐いてから、
「人間には、あなた達が選べたハイリアみたいに、強くて完璧な人なんてそうそういないよ。ひとりで何もかもを背負わせるには、人間は弱い。だからみんなで力を合わせて生きていくんだ。その中で、多少折り合いの合わないことがあって、それを火種に争いが起こることなんて、止めきれるものじゃないだろう? 人間は、誰かのためじゃなく、自分のために生きているんだ。あなた達魔物のように、今は亡き神々に与えられた使命を守り、世界の安寧を第一に考えて生きていけるなんて、そういう風には生まれてこないんだよ」
「それで当たり、だと思うよ。きみら人間は、源泉竜ソース=アイラの、願いの化身だからね」
そう、感情のない調子で呟いたのは、ハイリアの傍に腰を落ち着かせている、額にハイリアと似た三つ目の瞳を開き、小さな少女の形をした魔物だった。
「神竜として生まれた以上、個人的な願いに生きることは許されない。その使命にそむいてまで、彼は人間を作り出したわけだけど、それはむしろ自分の願いを人間という形に変えることだった。自分のしたいことを制限なく、自由に生きたいという願望をね。
対してぼくら魔物は、源泉竜が死に際して、使命を受け継がせるために生まれた。源泉竜にとって枷であり、うとましいものでしかなかった『使命』の化身。 そんなぼくらが、彼に愛され尽くされたきみら――使命なんてかけらほども負わされない、自由なきみらとわかりあえると思うかい?」
……まぁ、それでわかりあえないっていうなら、ささいなことで争い合う人間をおろかだと糾弾されるいわれはないんじゃないかと思うが――結局、 人間と魔物のいさかいだって、まだまだなくなるようなもんじゃないってことだから――少なくとも今日の俺にとってそれよりももっと大事な主張があるので、この話はここで終わらせようと思った。
「お、俺がやるっ!」
腹を押さえつつ、震える声で叫ぶ声が背後から。ほぼ隣り立つ梓と同時に振り返ると、律儀なことに片手を掲げたマージャがいる。
「ムチャ言うなよ。そんな体で出来っこないだろ」
「ていうかマージャ、砲撃の式なんか持ってたっけ」
梓は存外、厳しい口調でマージャを諫める。彼はひたすらに温い男というわけではなく、自分の認めないことに対してはこういう態度も取ることがある。
俺が気になったのは別のことだった。エメラードに帰ってきたあの日、エリスの指示で体を調べさせるためにマージャは服を脱いだ。途中で退室したけれど、その時に見えた彼の体には魔術式らしきものは刻まれていなかった。
目はゴーグルによって隠されているが、片側だけくっとつり上げた眉と口元によって、マージャは不敵を演出する。とはいえ、やはり傷の苦痛は隠せないのだろう、表情は元より、体の節々が小刻みに震えている。
マージャの返事を待ってそんな様子を眺める俺達の前で、彼は自らの右手首を握りしめ、身に着けているシャツの長袖を二の腕まで引き上げる。紫色の、魔術式と思われる無数の入れ墨が刻まれていた。ほんのひと月前まで、確かにまっさらだったはずのその肌に。
「それは……まさか、ゴブリン族の祝福か?」
この場に集まっていた魔物達のひとりが立ち上がりのぞき込むと、不快を隠すことなくそう口にする。ざわざわ、にわかに魔物達が嫌な感じにざわめきだす。
「その通り!」
そんな中、やけに快活で、自信にあふれた魔物の声が響く。男声を、歌劇役者が歌う時のように甲高くした、鼓膜に痛いその声の方を見る。またしてもそれらしい姿は見えない。
「メディ、あなた……今度は彼に何をしたのよ」
カリンのぼやき声は、咎めると同時に呆れ果てた調子だった。そんな彼女が目線をやる方向にも、声の主らしい姿はない……ないのだが、俺自身、耳にした声を頼りに見定めた方向と一致するのだから、よくわからない。
困惑する俺に気がついたのか、カリンは俺の耳元へ口を寄せ、囁く。
「メディはね、透明人間なの。確かにあそこにいるのよ」
「私の新たなる発明は、そこな彼の身を持って実験し、確かに完成された! それは前世において肉体へ刻んだ魔術式を今を生きるこの体に復元することさ! こうして彼の体には、ゴブリン族の生きたかの時代、彼らの暴虐を助けた伝統の魔術式が復元されたのだ!」
高笑いまでして得意げなメディ。彼が透明人間に生まれたことが救いとなる者は少なくないだろう。正直、彼の発明やら実験やらは有益なのかもしれないが、その成果はおろか人柄も、この上なく不愉快でしかない。
「おまえな、あんな胸くそ悪い野郎に体をいいようにさせるなよ」
「いやぁ、梓が払ってくれた俺の治療代、半分返してくれるっていうから、つい」
「うぅ、そんなん別にどうでもいいのに」
心底嫌そうにジト目を流しマージャを責めるのは豊だ。その回答の思いがけない真実と、それに対するマージャのかる~い態度に、さめざめとうめきながら梓は頭を抱える。
「そんで、ゴブリンだった頃に会得していた砲撃の式をまた使えるようになったってことだな?」
後付けのような展開にちょっと抵抗を覚えるも、さっさと先に進めたい一心で投げやりに肯定する。
「て、いうか、ゴブリン族が成人の祝いに刻む決まった式があるんだけどさ。肉弾戦に頻度の高い魔術式を組み合わせたようなやつ。それに砲撃の式が含まれてるんだ」
「だけど、よりによってマージャが、ゴブリンの能力なんかに頼っていいのか?」
ゴブリン族のまじないから解放され、人間の姿になったもなお体を蝕む苦痛。そしてゴブリン族の本性が目覚めるのではないかというおそれと戦うマージャには、この状況は決して快いものではないだろうに。
「俺だって、今のまんまでいたら、いつかは足手まといになるのが目に見えてるだろ? 仮にもゴブリンは戦闘種族なんだから、使えるものは使うに限る」
ははは、なんて、力なく笑うものだから。それが本音でないことは明らかだった。
「砲撃の式のことはわかったよ、だけどさ。学は今も立ってるだけでやっとじゃないか」
梓は口を曲げつつ食い下がる。
「手間のかかる奴だなぁ……しょうがねぇからその時だけ、俺がおまえの足やってやるよ」
「うぇ?」
マージャの方へ一瞬だけ目をやった豊の、思いがけない提案。理解の追いつかない梓が奇声を発する。
「足腰支えてやるってこと! そうするのが一番手っとり早いだろ。あんま考えたくないけど、俺は敦達の計画が失敗した時にシュゼットとの約束を果たす以外の役目がまだないんだ。だから別におまえのためなんかじゃなくて、都合がいいだけなんだ。勘違いすんなよな」
そこは弁解するポイントなんだろうか、その上なぜだか不機嫌そうに豊は吐き捨ててそっぽを向いてしまう。普段仲違い……いや、あれは豊の一方的 な苦手意識だが、ともかく。あまり仲良くしていない相手に尽力するのが不本意なんだろう。
「いやぁ~、ユイノはいざって時は話がわかる奴だと思ってたよ! よろしく頼むぜ相棒! 期間限定だけどなー」
「だからっ、俺はおまえのそういう軽~い態度が気に入らねぇって何度言ったら」
そうは言っても、貧血によって顔色悪く、豊の肩へしのばせた手もいまだに震えが止まらない。そういう様子のマージャに言い募る気力はさすがに豊もないらしく、無駄な抵抗はそこまでだった。
「う~……敦は? 無茶だと思うだろ、こんなの」
最後の頼りとばかり、すがるように俺へ話を振る梓だが、悪いがその期待には応えられそうにない。
「無茶かどうかはともかく、やれるっていうんならそれもありだな。俺にもその方がずっと、『都合がいい』」
豊の言い方を勝手に拝借させてもらったが、当人は、おそらくそれとは全く関係なく怪訝に首を傾げた。
「え~と……みんなには、先に謝っとくな。俺ひとりでやることでもないのに」
多少は強引だとしても……そして、シュゼットとツヴァイク、仲間にとって重大な局面だとしても。
利用できるものは、何だってする。いや、前向きに言い換えれば、一石二鳥ということじゃないか。




