先生が口を滑らせました
そして。
次の授業の日がやってきた。
「おはようございます、エレナ先生」
「……おはようございます、レオン様」
俺はいつものように勉強部屋へ入った。
エレナ先生も、いつもと同じように挨拶を返してくれる。
それだけなら、何もおかしくない。
問題は。
「…………」
「…………」
空気だった。
ものすごく気まずい。
部屋に入った瞬間に分かるくらい、妙な緊張感が漂っている。
(うわ……)
俺は心の中で顔を引きつらせた。
絶対、先日の魔法の話が原因だ。
「では、今日の授業を始めましょう」
エレナ先生が口を開いた。
「はい」
俺も席につく。
先生は何事もなかったかのように教材を広げ、俺も何事もなかったかのように机に向かった。
そして。
授業は普通に始まった。
◇
「では、前回の復習です」
「はい」
エレナ先生が一枚の紙を置いた。
「この文章を読んでください」
俺は紙に目を落とす。
最近、かなり読めるようになってきた文字だ。
「……はい」
声に出して読む。
「正解です」
「ありがとうございます」
次の問題。
その次の問題。
授業の内容は、いつもと変わらない。
少し前まで感じていた気まずさも、勉強に集中しているうちに薄れていった。
先生も普通に教えてくれる。
俺も普通に答える。
先日の件は、授業とは別の話。
お互い、そうやって割り切っているのだろう。
◇
授業が進むにつれて、俺はふと先日のことを思い出した。
エレナ先生は、魔法を教えること自体が嫌なわけではないと言っていた。
ただ、家庭教師としての契約には含まれていない。
教えてもらうには、正式な依頼が必要だった。
父さんと母さんも依頼について話し合ってくれたものの、条件が合わず、結局は断念することになった。
「…………」
俺は先生を見る。
別に先生が悪いわけじゃない。
父さんや母さんが悪いわけでもない。
ただ。
俺が魔法を習いたいと言ったせいで、先生には余計な話し合いまでしてもらった。
しばらくして。
「では、ここまでにしましょう」
エレナ先生が筆を置いた。
少し休憩するらしい。
俺は椅子に座ったまま、先生を見た。
「…………」
どうする?
魔法のことは、まだ気になる。
ものすごく気になる。
でも。
もう一度「魔法を教えてください」と頼むのは無理だ。
それは一度、きちんと断られている。
なら。
「質問するだけなら……」
俺はそう考えた。
正式に教えてもらうのとは違う。
ちょっとした疑問に答えてもらうだけ。
それくらいなら、先生も答えてくれるかもしれない。
それに、先日のことで、先生も多少は申し訳なく思っているかもしれない。
俺の希望に応えられなかったことを。
だから。
少しくらいなら。
(……聞いてみよう)
そう決めた。
「先生」
「はい?」
「ちょっと聞いてもいいですか?」
「もちろんですよ」
先生は普段と変わらない様子で答えた。
よし。
思ったより大丈夫そうだ。
「魔法を使える人って……どのくらいいるんですか?」
「魔法を使える人、ですか?」
「はい」
エレナ先生は少し考えた。
「珍しいですよ。誰でも使えるものではありません」
「やっぱりそうなんですね」
「はい」
「じゃあ、魔法の才能があるかどうかって、どうやって分かるんですか?」
先生は少し考えてから答えた。
「実際に試してみるんです」
「生まれたときには分からないんですか?」
「普通は――」
そこで。
「まあ、普通の人もステータスを確認できればねぇ」
エレナ先生が、ぽろっと呟いた。
「…………え?」
俺は固まった。
先生も。
「…………」
「ステータスって?」
「…………」
先生の顔が固まった。
俺は何気ない顔を作る。
でも、内心は。
(やっぱり!)
大混乱だった。
俺のステータス。
そこに表示されている言葉。
【名前】
【年齢】
【性別】
【種族】
そして。
【スキル】召喚魔法。
俺は今まで、この「ステータス」という言葉を、この世界で誰かが使うのを聞いたことがなかった。
それなのに。
先生は、あまりにも自然に言ったのだ。
「ステータスを確認できれば」と。
「えっと……」
先生が再び口を開いた。
「その言葉は……」
そこで言葉が止まる。
「……昔の言い方というか」
「昔の?」
「そう!」
先生は必死に頷いた。
「魔術師の間で使われる、古い表現なんです!」
「へえ」
「ですから、別に珍しい言葉ではなくてですね!」
「…………」
「いえ、珍しいんですけど!」
「…………」
「あ、違います!」
先生が自分で慌てている。
「一般的には使わないというだけで、その……!」
どんどん苦しい言い訳になっていく。
(先生……)
俺は心の中で少し驚いた。
これ。
絶対、何かある。
「普通の人には分からないような能力や状態を確認するものを、昔の魔術師が比喩的にそう呼んでいたんです!」
「そうなんですか?」
「ええ、そうです!」
先生はものすごい勢いで頷いた。
「ですから、今の話は忘れてください!」
「はい」
「本当に忘れてくださいね?」
「……はい」
先生は、ほっと息を吐いた。
そして。
「それで、魔法の適性についてですが――」
ものすごい勢いで話を戻した。
明らかだ。
明らかすぎる。
(ステータスって言った……)
俺は先生の話を聞きながら考える。
偶然かもしれない。
本当に、この世界にもそういう言葉があるのかもしれない。
でも。
あの慌て方。
あの誤魔化し方。
どう考えても、ただの言い間違いには見えなかった。
◇
「レオン様、聞いていますか?」
「はい!」
慌てて返事をする。
「それでは、この問題を解いてみてください」
授業は続く。
俺もいつもどおり問題を解く。
先生もいつもどおり教える。
表面上は、何も変わっていない。
でも。
俺の頭の中では、さっきの一言が何度も繰り返されていた。
(ステータス……)
俺だけが知っていると思っていた。
そんなものを。
先生は知っている。
(……エレナ先生)
いったい。
何者なんだ?




