スマホを守ったら死にました
春。
高校の入学式から、まだ数日しか経っていなかった。
俺――佐藤悠真は、駅のホームで電車を待っていた。
新しい制服。
新しい教科書。
まだ慣れない学校。
そして、手には――。
つい数日前に両親に買ってもらったばかりのスマートフォン。
高校入学祝いだった。
「高校生になったんだから、大事に使えよ」
父さんにそう言われたときは、本当に嬉しかった。
「ありがとう!」
母さんにも何度も礼を言った。
新品の箱を開けたときの嬉しさは、今でも忘れられない。
ピカピカの画面。
傷一つない本体。
自分専用のスマートフォン。
何度も手に取って、意味もなく画面を眺めていた。
二歳下の妹にも見せた。
妹はまだスマートフォンを持っていない。
『いいなぁ、お兄ちゃん』
『高校に入ったからな』
『ちょっと見せて』
『ほら。でも落とすなよ』
『分かってるって』
そんな会話をしたばかりだった。
これから、このスマホでいろんな思い出を作る。
写真を撮って。
友達とメッセージをして。
動画を見て。
これから始まる高校生活を、たくさん記録していく。
そう思うだけで嬉しかった。
「……早く帰りたいな」
俺はスマートフォンを片手に、ホームの一番前で電車を待っていた。
そのときだった。
「――え?」
突然、背中に強い衝撃を受けた。
「うわっ!」
身体が前へよろめく。
その瞬間、手に持っていたスマートフォンが飛んだ。
「あっ!」
新品のスマホが目の前を飛んでいく。
「危なっ!」
反射的に手を伸ばした。
届く。
指先に本体が触れた。
そのまま――。
**パシッ。**
キャッチできた。
「……っ!」
よかった。
本当に、よかった。
思わず胸を撫で下ろす。
これで壊さずに済んだ。
そう思った。
――その瞬間。
「危ない!」
誰かの声が聞こえた。
俺はまだ、ホームの先端にいた。
スマホを落とさないように無意識に強く握り締め、その姿勢のまま身体を戻そうとする。
だが。
ほんの一瞬、身体を支えるのが遅れた。
上半身がホームの外側にはみ出していた。
「――え?」
轟音が聞こえた。
顔を上げる。
目の前に、電車が迫っていた。
通過電車だった。
止まらない。
逃げる時間もない。
「うわ――」
次の瞬間。
強烈な衝撃が身体を襲った。
視界が真っ白になる。
手に握ったスマートフォンだけが、妙にはっきりと分かった。
(スマホ……)
(ちゃんと、持ってる……)
最後にそんなことを考えて。
俺の意識は、途切れた。
◇
――寒い。
最初に感じたのは、それだった。
次に感じたのは、身体の違和感。
身体を動かそうとする。
うまく動かない。
腕を動かそうとしても、思ったように動かせない。
足も同じだった。
(……なんだ、これ)
まるで身体の使い方を忘れてしまったようだ。
それどころか。
(ここ、どこだ?)
頭がぼんやりしている。
事故に遭った記憶はある。
駅。
スマートフォン。
電車。
そして――。
(……俺、死んだんじゃなかったか?)
そう思った瞬間。
――パンッ!
「!?」
尻に強い衝撃が走った。
痛い。
何が起きたのか分からない。
驚いた拍子に、口から声が漏れる。
「ふぎゃああああああっ!」
(……え?)
自分の口から出た声に、思考が止まった。
高い。
細い。
まるで赤ん坊の泣き声だ。
(今の……俺の声?)
混乱している間に、もう一度。
――パンッ!
「ふぎゃああああああっ!」
(痛ぇっ!)
涙が勝手に出てくる。
必死に身体を動かそうとする。
けれど、うまく動かない。
おかしい。
明らかにおかしい。
そして、目を開けてみた。
「……っ」
まぶしい。
強い光が目に入って、反射的に閉じてしまう。
もう一度、ゆっくり開く。
それでも、ほとんど何も見えない。
白っぽい光。
ぼんやりとした影。
何かが動いている。
その程度しか分からない。
(……何も見えない)
自分の身体を見ようとしても、確認できない。
腕を動かしてみる。
すると、どこかがほんの少し動いた。
(……今、何か動いた?)
もう一度動かす。
また同じ感覚が返ってくる。
どうやら自分の身体の一部らしい。
でも、それが腕なのか手なのか、今の俺には目で確かめることができない。
そのとき。
「元気な男の子ですよ!」
「無事に生まれました!」
声が聞こえた。
その言葉は、普通に理解できた。
けれど。
(……生まれた?)
俺はついさっきまで十五歳だった。
高校に入学したばかりだった。
なのに、なぜこんなことを言われている?
身体はまともに動かない。
声は赤ん坊。
目もほとんど見えない。
まるで――。
(……赤ん坊みたいだ)
いや。
みたい、じゃない。
俺は今、本当に赤ん坊なのだろう。
必死に記憶をたどる。
高校入学。
両親に買ってもらったスマートフォン。
一歳下の妹。
駅のホーム。
背中からぶつかられた。
スマホを落としかけた。
空中でキャッチした。
そのまま上半身がホームからはみ出して――。
通過電車。
そして。
死。
(……俺、本当に死んだのか)
そう考えた。
だったら、今ここにいる自分は何なんだ?
なぜ生きている?
答えは出ない。
でも。
状況だけを見れば、一つの考えしか浮かばなかった。
(……生まれ変わったのか?)
信じられない。
それでも、他に説明がつかなかった。
◇
「おぎゃああああっ!」
叫ぼうとしても、口から出るのは泣き声だけだった。
喋れない。
立てない。
まともに身体を動かせない。
目も、まだほとんど見えない。
だから今は、何もできない。
周囲から聞こえてくる声に耳を澄ます。
「大丈夫よ」
「元気そうだ」
「本当に良かった」
会話は普通に理解できる。
そのことを不思議には思わなかった。
ただ、内容だけが気になる。
ここはどこなのか。
この人たちは誰なのか。
そして、自分はなぜここにいるのか。
何も分からない。
そんな中。
女性が俺に話しかけた。
「この子の名前はどうしましょう?」
男性が答える。
「レオンでどうだ?」
「レオン……」
女性が嬉しそうに繰り返す。
「ええ。良い名前です」
(レオン……)
どうやら、それが俺の名前になるらしい。
前世では佐藤悠真。
今世では――レオン。
それ以外は、まだ何も分からない。
ただ。
少なくとも、俺は十五歳の高校生ではない。
今は、生まれたばかりの赤ん坊だ。
(……まずは、生きるしかないか)
今の俺には、それしかできない。
この場所がどこなのかも分からない。
周囲にいる人たちのことも分からない。
何もかもが分からない。
だからこそ。
少しずつ知っていこう。
そう思った。
俺は誰かの腕の中で、静かに目を閉じた。
こうして。
俺の二度目の人生が始まった。




