1・橘沙織
ザアアアアアア…。
大雨の降る山道を一台の車が走って行く。
キイイイイイ… ガッシャ―ン。
両親と幼い息子が乗っていた車が雨でスリップして崖下に落ちた。
「うああああん…」子供の泣き声があたりに響く。
「あ…う…」即死だと思われた両親のうちの母親が目を開けて
息子を見ると「ママぁ…」と子供が手を伸ばしてきた。
母親はその小さな手を取った。
*
*
*
洋風の屋敷の奥深く、暗闇で声がする。
「人間を…」 暗闇で声がする。
「人間を連れてくるの。わたしに合う人間を。見ればわかるから早く。
命を懸けてもやり抜くの」
「はい。母さま。」
一人の若者が屋敷の座敷から立ち去って行った。
*
「穂積美和さーん。ねえねえ、バイト代入った?ちょっと来て」
バイトの帰りに声をかけてきたのは同級生の嵯峨野あゆみと
その友人2人だった。
3人に手を取られて公園に連れていかれた。
「何?」
嵯峨野は美和のリュックに手を入れて、バイト代を取り出した。
「ちょ…やめてよ、返して」
「お小遣いゲットー。妖怪・ぬりかべにお金はいらないから
貰ってあげるねー」
「返してっ」 取り返そうとした美和は「ウザいよ」と蹴られてしまった。
もちろん鍛えている美和は蹴られたくらいではビクともしないが
「ごめんなさい」と嵯峨野の後ろにいた老人が
土下座して謝るのを視たら何も言えなくなってしまった。
美和はアヤカシ・比十族の末裔。
比十は死者が視え、死者と話し、時には傷を癒すアヤカシ。
今でいう霊能者の祖にあたる。
他にも鬼、烏天狗、狐、狸、河童など、末裔の自覚はないが
スポーツや技術や芸術や頭脳で秀でた才能を発揮している者たちがいる。
同時に末裔ではないものの、影響を受けてそうなっている者もいる。
*
「はあ…新しい登山靴を買いたかったのに。
あの老人は嵯峨野さんのおばあちゃんかな」
ため息をつく美和だが、去って行く嵯峨野の前に橘沙織が
両手を広げて立ちふさがるのが見えた。
「今盗ったのを穂積さんに返しなさいよ」
「はあ?何よあんた。あ、分けてほしいの?でも4人で分けるには少ないのよね」
「返せって言ってるの」
嵯峨野の手を握って、持っている封筒を取り上げた。
「いたたたたた…痛いぃぃぃ。わああああん」
「何なの?こいつ」と嵯峨野の友人が掴みかかってくるが、
橘は軽く投げ飛ばした。
「消えなよ」の橘の言葉に、嵯峨野たちは泣きながら帰って行く。
「はあ?」何がなにやら理解不能といった顔で橘を見ると、
「やられっぱなしとか、それでいいの?」と言われてしまった。
「なんでここに?橘さんが付けた『ぬりかべ』って
あだ名が原因でもあるんじゃないの?
すっかりバカにされてますけど。」
そう言われて、橘は恥ずかしそうに俯いてTシャツの裾を握った。
ふわふわのウェーブがかかった髪が揺れる。
「わたしも…バイトだったから。来たのは、たまたまだから…これ」
バイト代を取り返してくれた橘に「ありがとう。助かった」と
礼を言うと、橘は嬉しそうに笑った。
*
*
忘れもしない、小学校4年生の時だった。
「うあ、穂積さんってなんで壁に話してるの?」
橘の声が廊下に響く。
学校で、廊下の隅にいる霊に声をかけられて話していたのを
同級生の橘に見られてしまった。
「壁に話しかけていてキモい。穂積さんって変!」と
あっと言う間にクラスに広がった。
霊と話さないように気を付けていても、生者と死者の区別がつかなくて
壁に話している状態を数回見られて、さらに5年生の時の歴史の授業で
「日本の先住民族は縄文人とアヤカシです」と言って、
クラス中から笑われた。
中学で橘とは別の学校になってほっとしたものの、高校で再会してしまった。
おまけに2年生の今は同じクラスというダブルパンチをくらっている。
そして橘は少し前に、クラス中に『穂積さんのあだ名はぬりかべ』と広げた。
*
「帰ろう」橘に言われたが「いや、一人で帰れます」と、先を行こうとしたら
「だって暗いじゃん」と言ってきた。
「?だから?」 「暗くて危ないから…」 「おかまいなく」
と、引きつった笑いを見せて逃げるように走って帰った。
どういう事?いきなり何だろう。危ないって?
送ってくれようとしたの?まさかね?
人が変わったような橘に、不気味さを感じてしまった。
でも橘に憑いているモノは視えなかった。
と、いう事は悪いコトは考えていないっていうこと?
あれ?いつも一緒にいた黒部さんは?さすがにバイトは一緒じゃないか。
そういえば、最近黒部さんは休みがちだなぁ。
…まあ、いいか。
読んでくださってありがとうございました。
次回もよろしくお願いいたします。




