■1-1 いつも通りと言う訳にはいかない
俺には鉄則が三つある。
一、知らない分かれ道は、必ず右。
二、赤く光るドロップは、絶対に拾わない。
三、扉は、開けたら即、真横に飛び退く。
守ってる理由は単純で、俺がこの世でいちばん運が悪いからだ。左を選べば床が抜ける。赤いのを拾えば手の中で爆ぜる。扉を開ければ、十中八九、向こうから碌でもないものが飛んでくる。これは性格でも気のせいでもなくて、ステータス欄に数字で出てる。ラック、ひとケタ。同期の連中が二桁三桁を当たり前に積んでいく横で、俺だけがずっと、片手で数えられる。
じゃあなんで生きてるのか、って話だが——答えは、俺の不運が「致命的なくせに、徹底して決まりきってる」からだ。左を選べば、必ず床が抜ける。例外なし。赤いのを拾えば、百回拾って百回爆ぜる。運が助けてくれたことなんか、生まれてこのかた一度もない。ただ、何が起きるかは、起きる前から全部わかる。
だから俺は、起きると分かってる災難を、起きる前に避ける。床が抜けると分かってるから左に行かない。爆ぜると分かってるから拾わない。それだけで、なんとか今日まで死なずに済んできた。鉄則ってのは、その予測をルールに落とし込んだだけのものだ。臆病に見えるかもしれないが、臆病こそが、運のない男の唯一の特技なんだから仕方ない。
だから今日も、いつも通り。浅い階層を、いつもの順路で、いつもの安全運転。罠は事前に察知して避けて、敵は出る前に引き返す。誰も死なないし、誰も褒めない、しがない一日。
「……うーん、地味」
顎の横に浮かべたカメラに向かって、俺はぼやく。撮った映像は編集してアップする。生配信は禁止だ——人がリアルタイムで死ぬのを流すわけにいかないから——だから、みんな後から綺麗に切り貼りする。
問題は、俺の映像には切り貼りするほどの中身がない、ということで。
安全第一の探索は、画にならない。今月の再生数も、たぶん俺のラックと同じくらいの数字だ。
「……一回くらい、いいよな」
目の前に、いつも通らない近道があった。崩れかけのアーチをくぐる、ショートカット。半年前にここで人が死んでる。だから俺は、絶対に通らない。鉄則にこそ書いてないが、四つ目の暗黙ルールだ。
でも今日は、誰もいない。見てるのはカメラだけ。ちょっとスリリングな絵が一枚あれば、それでいい。
「鉄則その四、破——る!」
軽い気持ちで、踏み込んだ。
その瞬間だった。
視界が、割れた。
空気がノイズになって、足元の石畳が砂嵐みたいにざらつく。耳鳴り。世界の縁が、ぐにゃりと溶ける。顎の横のカメラが、見たこともないエラー表示を吐いて沈黙した。
「は——え、ちょ、なに、これバグ——」
目の前にステータス欄が勝手に開く。いつもなら見たくもない、惨めなあの数字。
ラック、1。
その1が、0になって。
次の瞬間、0から、さらに1が引かれた。
0 - 1。
あってはならない計算。欄の中で数字が一瞬だけ真っ黒に潰れ——次に表示されたのは、見たこともない桁数の、上限いっぱいまで埋まった9の羅列だった。
ラック、最大。
「……は?」
間の抜けた声が出た。直後、世界が俺を中心にぐるりと回った。足場が、嘘みたいに消える。崩れたアーチの「その先」——本来あるはずのない、ずっと深い縦穴へと、俺は背中から放り込まれた。
落ちる。
風が逆立つ。胃が浮く。眼下は底の見えない闇。壁面からは、折れた鉄筋みたいな突起や、剣山みたいに尖った岩がいくつも突き出している。普段の俺なら、そのどれか一本に串刺しだ。確実に。
なのに、刺さらない。
最初の突起は、髪の毛一本ぶん手前で逸れた。逸れた拍子に体が回って、背中が壁の斜面をこすり、ずるっと滑り落ちる——その斜面が、ちょうど滑り台みたいな角度で、落下の速度をごっそり削いでくれた。滑り終わった先で、今度は壁から垂れた太い蔦に、足首がきれいに引っかかる。びんっ、と一瞬だけ宙吊りになって、減速。蔦は俺の体重を支えきれずに千切れたが、その頃にはもう、落ちる勢いはずいぶん殺がれていた。
千切れた蔦から放り出されて、また落ちる。
今度は斜めに張られた、ボロボロの布——どこかの探索者が残した目印か、古い天幕の残骸か——を、腹から突き破った。ばりっ、と布が裂け、衝撃をまた一段ぶん吸ってくれる。
刺さるはずが逸れ、激突するはずが滑り、頭から落ちるはずが、なぜか毎回うまく受け身の取れる向きへ体が回っている。いつもなら、必死で先を読んで、必死で避けて、それでようやく生き延びる。なのに今は——俺は指一本動かしていない。何も予測していない。何も避けていない。なのに、世界の方が勝手に、俺を助けにくる。
そんな感覚は、生まれて初めてで、俺は落ちながら、ちょっと笑ってしまった。
「——なんだこれ、最高じゃん!」
不運だけが取り柄の男が、人生で一度きりの、最強の運を引き当てた瞬間だった。
そして、最後。
闇の底が、ふいに迫ってくる。覚悟する間もなく——どさっ、と、思ったよりずっと柔らかい音がして、俺はそこへ沈み込んだ。古い苔と、積もりに積もった落ち葉。長い年月をかけて縦穴の底に溜まった、ふかふかの堆積物。あつらえたみたいなクッションの上に、俺は見事に大の字で着地していた。
しばらく、息だけしていた。指も、足も、ちゃんとある。串刺しにも、ぺしゃんこにもなっていない。
「……生きてる。マジか」
そろそろと体を起こす。打ち身はあちこちあるが、それだけだ。あの高さから落ちて、たったそれだけ。
暗闇の底。土と苔の匂いの向こうに、ぽつんと、焚き火が見えた。
その向こうで、着流しの男が、こちらを見ていた。
「——おまんも、運に弾かれて、ここまで来たがか」




