文化祭6
牙は軽やかに階段を駆け上る。樹は千穂が振り落とされないようにするのに必死だった。樹たちが歩いてきた結界の中だ。匂いは残っている。樹の指示がなくとも牙は体育館に向けて走ることができていた。
「落ちる!」
「落ちないで!」
小柄な二人はそんなことを大声で叫びながら牙にしがみついていた。
ドンドンと、ガラガラと音がする。琉聖が作った結界が壊れる音だ。一か所が壊されても全部が消えることのないその耐久性には目を見張る。
―やっぱり、琉聖はすごいんだな
悲鳴が聞こえる。琉聖の結界が壊れた後方からは、蜘蛛の姿が見えるのだ。おぞましいことだろう。しかし、その悲鳴にかまっている暇はない。琉聖が離脱した今、蜘蛛の行く手を遮るものが無くなってしまった。蜘蛛の足は速まるばかりで、牙も負けじとスピードを上げる。
―兄ちゃんの判断が正しかった
牙に自分たちを預けたのは正解だったのだと樹は啓太に感謝する。
―ケガしてないと良いけど
生きていたらいいと、思う気持ちには目を瞑る。無事だと、思い込もうとする。
―でも、蜘蛛だって足を止めてない。ってことは、兄ちゃんたちを無視した可能性が高い
ぎゅっと牙の首元に顔をうずめ、千穂の手を握る手に力を籠める。その手が少し震えているようで、千穂は樹の手を握り返したかったけれど、腰に回した手を緩める余裕は千穂にはなかった。
牙の体の傾きが変わる。階段が終わり、牙は廊下を駆けていた。
―もう少し
あと少しで体育館の入り口の前だと思った時、蜘蛛の足が牙の後ろ脚を貫いた。牙がバランスを崩し、二人は宙に放り投げられる。
「クルル!」
蜘蛛のスピードに攻撃の隙を見いだせず、頭上を跳んでいたクルルが一つ羽ばたき熱波を蜘蛛に送る。それにわずかに蜘蛛がひるむ。
「っ!!」
二人は床にたたきつけられるも、命への危機感の方が勝った。今の隙にと樹が千穂の手を引っ張る。
「もうそこだから!」
「うん!」
千穂もあきらめるわけにはいかなかった。樹が、皆がこれだけ力を振り絞ってくれているのだ。自分は助からなくてはいけない。その義務感がわいてくる。
くじけそうになる足を叱咤しながら二人は走った。鉄の扉が近くなる。樹はそれに向かって必死に手を伸ばした。手が、かかる。
ぐっと力を込めた。扉の開きは遅い。じりじりと開くそのスピードに気がはやる。遅れて千穂の手が樹のそれに重なる。千穂も扉を開けようと力を込めた。
暗い体育館の中が見えてくる。左右に椅子を並べ、真ん中は通路になっている。そこを駆け抜ければ武尊のいる舞台へとたどり着く。
「も、少し」
膝が笑う。手にうまく力が入らない。それでも扉は開いていた。二人が通れるだけの幅が出来上がった時、背を衝撃が襲う。見れば、足にけがを負った牙が二人に体当たりしていた。二人がいた場所に、鋭利な足が刺さる。樹は牙が自分たちを蜘蛛の足から救うために体を張ってくれたのだと悟る。ゴロゴロと体が転がる。蜘蛛の音に、観客がざわめき始める。それに負けじと樹は叫んだ。
「武尊!」
視界の隅に、確かに黄金が見えた。
※
くるくると回る。二人は周囲がため息をつくほどの優雅さを放ちながら、そのくせ視線を絡ませることなく踊っていた。
―シャラン
剣が鳴る。
―シャンシャンシャン
それは速まったかと思えば緩やかになり、静まったかと思えば高らかに鳴った。千穂が危なくなるたびに、どうにかしのいでいるのだろうと知れた。武尊は歯噛みする。ここから動けないことがこんなにももどかしい。
「どうしたの?」
白藤がわざとらしく話しかけてくる。武尊は白藤の方を見もせずに答えた。
「―千穂はまだ見つからない」
裏側で、千穂がいないと騒ぎになっていた。皆が手分けして探すが、見つかる様子がない。あの後、あかりからも何の情報も来ない。見れば、舞台袖であかりは手もみしていた。まだ見つからないのだ。
すっと、視界の隅に光が入った。見れば、後ろの扉がじりじりと開きつつあった。観客が増えたのだろうかと思ったが、次の瞬間小さな体と大きな狼が飛び込んで来た。同時に爆音が響き、鉄の扉が曲がる。
―来た!
武尊は白藤から体を離すと、舞台から飛び降りた。それを見計らったように扉が吹き飛び、観客が悲鳴を上げる。浮き上がった扉は、宙で姿を消した。追いついた琉聖が結界を張り中に取り込んだのだが、それには誰も気づかない。巨大な蜘蛛が、体育館に体を押し込んでいたからだ。ぐいぐいと、体の形を湾曲させながら徐々に入り込んでくる。それに後ろから切りかかろうと啓太が構える。その行為を琉聖が止めた。
「武尊に任せよう」
それが一番丸く収まるのだ。
武尊は、叫んだ。
「オデット!」
それにいたたと体を起こしていた千穂は、どうにか武尊の考えを読み込んで手を伸ばした。
「ジークフリート!」
手が、届く。大きく強い手だ。千穂は今度こそ涙を流した。
「みんなが!みんなが!」
「もう大丈夫」
武尊はぎゅっと千穂の震える体を抱きしめた。それだけで安堵が広がる。冷たくなっていた体に温かな血が巡り始める。
武尊は千穂からそっと離れると、その手に黄金の剣を召喚した。
―シャラン
その音が、空気を飲む。
「悪魔よ、今この剣で退治してくれる」
体育館に入ることに成功した蜘蛛が、武尊の静かな声に咆哮した。びりびりと空気が揺れるが、武尊は躊躇なく蜘蛛に向かって走り出した。蜘蛛も武尊に向かって八本の足を動かす。真ん中にできている通路だけでは蜘蛛には狭すぎる。観客たちは悲鳴を上げながら隅に逃げて行った。
武尊が横殴りに剣を払う。それをみえない刃となり、蜘蛛の足を切り落とした。ずどんと大きな図体が床に落ちる。それにとどめを刺そうと武尊が剣を振り上げたとき、澄んだ声が轟音に突き刺さった。
「やめて!」
ぴくりと、武尊は動きを止めた。その隙をつくように、白藤が蜘蛛と武尊の間に割り込んだ。
「ごめんなさい!」
白藤は泣いていた。
「ごめんなさい」
白藤は力なく、膝をつく。ヒックとすすり泣きながら、大粒の涙をこぼしていた。それでも、蜘蛛の前からどかなかった。
「もうしないから。お願い、許して」
「ジークフリート―」
千穂はふらふらと武尊の背に歩み寄る。ついとマントを引っ張った。武尊が振り向く。またかと顔をしかめる。
「大丈夫。嘘はついてない」
武尊も、剣がもう鳴っていないことに気が付く。
「―オデットは甘い」
「いいの」
強い瞳に、武尊はため息をついて剣をしまった。まだ肩を揺らして泣いている白藤に向き直る。
「去れ」
白藤は頷くと、蜘蛛に呼び掛けた。
「八雲―」
その呼びかけに応じるように、蜘蛛は小さくなり人の手こぶし大に姿を変えた。それを両手ですくいあげると、白藤は胸に抱きかかえ走って体育館から出て行った。琉聖と啓太の横を、見もしないで走り去る。
観客が、これは何なのかと、まだ劇の中なのかと戸惑っている。武尊はため息一つ千穂に手を差し出した。
「私と踊ってくれますか?オデット姫」
「はい」
千穂は泣き笑いで武尊の手を取った。あかりが慌てて音響に指示を出し曲を流させる。最後のダンスだ。
曲に合わせて二人は踊った。ゆっくりと通路の中心を通り、階段を上り舞台へと戻る。その様子に、どうやら劇らしいと観客は思い始める。
千穂はどうなったのだろう、劇はどうなるのだろうと沈鬱な気持ちで壱華も新たな観客を連れて体育館に戻ってくる。すると、二人は何ごともなかったかのように舞台でダンスを踊っていた。
「あらー素敵ね」
「遠くて王子様見えないよー」
「前行ってみよ!前」
それぞれがそれぞれに反応を示す。壱華はどうにかなったらしいと息をつく。見れば、歪んだ体育館の入り口の脇に啓太と琉聖が立っていた。壱華は疲れた顔で二人に歩み寄る。
「―疲れたわ」
「どうにか収まってよかった」
「みんな劇だと思ってくれたみたい」
啓太と琉聖がこそこそと小声で話しかけてくる。壱華は頷いた。
「外でも、やりすぎた客引きってことになってるから」
「やりすぎもやりすぎだぜ」
啓太が悪態をつく。それに仕方ないと壱華と琉聖は苦笑いを浮かべるのだった。そして舞台へと視線を戻す。千穂はちゃんと踊れていて、練習を頑張ったかいがあったなと面々は思う。
二人は最後に観客へとお辞儀して、舞台袖へと帰っていた。会場が拍手で満ちる。気づけば、壱華の隣には樹が立っていた。
「俺、真ん中で転げて恥ずかしかったんだけど」
「―よく頑張ったわね。ありがとう」
「頑張ったのは牙だよ」
またケガさせちゃった、と樹は顔を曇らせる。その頭をよしよしと壱華は撫でた。
「大丈夫よ。樹のためなら、許してくれるわ」
「―うん」
力なく最年少は頷いた。
「僕たちも戻ろう。片づけないと」
「そうね」
じゃ、またあとで、と琉聖と壱華は舞台裏へと戻っていく。
「なんか買って帰るか」
「うん」
「隣のクラスが焼きそばやってたぜ」
「俺はお好み焼きの方がいい」
「じゃあ、そうするか」
兄弟はそう会話を交わして、文化祭の喧騒の中へ姿を消した




