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まっくろまくろなましろくん  作者: しゃーむ
32/42

水鏡杰 Ⅱ

 えー、けふんこほん。

 みなさん初めまして。

 今日、真黒先輩は都合によりお休みです。

 今回はわたし、海賀絵美がお送りします。ちゃっかりとレギュラー出演です。話しべたなのでうまくお伝えすることができるかわかりませんが、精一杯お送りしようと思います。

「えみりぃん、知ってる? 二年に転校してきた人」

 今はお昼休みで、さっちゃんとぺこちゃんと一緒にお昼を食べています。今日のお弁当は学校に来る途中で買った菓子パンです。学校にもパン売りの業者さんが来るのですが、みんな必死に買いあさっているのでわたしは気が引けてしまうのです。特に男子の熱気が半端ないです。あんな中にいたらわたしはもう発狂してしまいます。彫刻刀は胸の内ポケットです。いやいや、刺しませんよ?

 さっちゃんが、お弁当を先に食べ終えてわたしに聞いてきました。本名は秘密です。『さちこ』か『さち』、どちらかお好きな方をお選びください。さっちゃんが言っているのは噂の転校生の話しです。わたしはそれほど興味がなかったので、噂話しも気にしてません。わたしは大空先輩一筋なんです。

「わたしは見てないよ。ぺこちゃんは?」

 私の隣でコミックを読んでいたぺこちゃんに質問を横流しします。ぺこちゃんは可愛くて男子にも人気が出そうなんですけど、とんでもない変態です。今もBLを読んで涎を垂らしています。その趣味は理解できるのですが、人前でもおかまいなく読みふけってしまうので、少し注意が必要です。ぺこちゃんの本名も秘密です。『ぺこたん』か『オレンジペコ』、どちらかお好きな方をお選びください。

 わたしたち三人は、ほぼ共通の趣味を持っている仲良し三人組です。わたしは可愛いイラストや格好良いイラストに目がないので、そのイラストレーターさんがキャラクター原案のアニメや小説をよく読んでいます。さっちゃんはコミックが主に好きで、週刊誌は欠かさず買っています。少年漫画が特に好みのようで、喋り方も少し男勝りになる時があります。ぺこちゃんはさっきも言った通り、今はBLにハマっています。少し前までは、少女漫画ばかりだったのですが。

「……ふへへ……えへ……」

 いけません。ぺこちゃんは完全に世界に入り込んでいます。こうなっては読み終わるまでわたしとさっちゃんの話しなんて聞きません。

「さっちゃんは見たの?」

 質問をさっちゃんにお返しします。さっちゃんは辟易とした目でぺこちゃんを見ていました。気持ちはわかります。けれど人の趣味は否定できません。理解はできないけど、否定はしません。わたしたち三人の掟です。

「うちは見たよ。それでさ、すっごい美人だったから、もうほんとに美人だったから、えみりぃんも見てたら飛びついたかなって」

「わたしを何だと思ってるの? 人前でそんなことしないよ」

 空になったパンの袋を丸めて投げつけます。よけられて遠くに転がってしまったので、自分で拾いに行く羽目になりました。自分の席に戻ったらさっちゃんに悪戯っぽく笑われました。

「人前じゃなかったらするのかよ。でもえみりぃんは大空先輩一筋だもんねぇ。そういえばさ、大空先輩って彼氏できた?」

「…………ああ、あの人ならそのうち消えていなくなるから」

「た、たまに怖いよね、えみりぃん」

「そんなことないよー。今日の放課後は大空先輩に付き合ってもらうんだ」

「ああ、また例の美術部アピール?」

「アピール違くて。さっちゃん美術部入ってよー。何も部活してないし」

「やだよ。週に何冊雑誌が出ると思ってんの? 放課後は忙しいの」

「絵がうまくなったら自分で漫画描けるよ?」

「やだやだめんどくさい。うちは読み専なの。それに自分が描いた漫画なんて、どんな展開なんだろうってドキドキワクワクできないじゃん。あの予想を良い意味で裏切られるのがいいのに」

「そうかなあ。自分で描いたものを人に読んでもらえるのって楽しいと思うけどなぁ」

「そう言うえみりぃんは描いた絵、うちらに見せたがらないじゃん」

「だ、だって、下手だし」

「今度見せろよー。うちが感想言ってやるよ」

「や、やだ。もっとうまくなったら見せてあげる。それに、今はさっちゃんが好きそうなの描いてないし」

「この前は、えっとー、西方プロジェクトだっけ? その絵を描いてるって言ってたっけ?」

「うん、そう。わたしね、その中の、うどんぜと、ねゐっていうウサギのキャラが好きなの。いろんなイラストレーターさんが描いてるから、今度見せてあげるよ」

「えー、いいよー。うちはストーリーがないと楽しめないから」

「ストーリーはちゃんとあるよ。うどんぜって元々は月にいたウサギでね、それで月で戦争があって――」

「あー、聞かなくていい。コマ割りして出直しな」

「コミックも出てるよ。わたしは持ってないけど」

「じゃあそれ持って出直しな」

「ええ~……」

 でも、無理に理解してもらわないというのもわたしたちのルールです。自分の趣味を押し付けない。これは大事ですね。わかってもらえないのは少し寂しいですけど。というか、話題がいつの間にか全然違う方向に飛び火してしまっていました。わたしたちが話すといつもこうなります。ご了承してください。

 閑話休題。

「あっちはあれ、女の子のキャラクターばっかりだから好きくない」

「……急に話しに入ってくんなよ」

 BLコミックを読み終えたぺこちゃんの最初の発言でした。ぺこちゃんは自分のことを『あっち』と言います。さっちゃんに窘められました。わたしの好きなキャラクターがぺこちゃんにも理解されませんでした。でもぺこちゃんにわかってもらえないのは仕方がないです。

 えっと、閑話休題。

「ぺこちゃん。転校生見た?」

「あっちは見たよ。ありゃ男がむらがるね。その男衆の中からどうカップリングすれば面白くなるか想像するのを楽しみにしてる」

 ぺこちゃんは鼻を鳴らして得意げに言います。

「あ、そう……」

 まあ、二人とも、転校生が美人だってことは言ってる気がしました。

「なーんか、うちらとは住んでる世界が違うって感じだったかなー」

「それは間違い。あっちらが違う世界に住んでる」

「あんたは特にね」

「〝三平方の定理同盟〟はみな、同じ」

「だからそれダサいって。無理矢理学生アピールすんなよ。数学苦手なくせに」

「……ピタゴラスウィッチ同盟」

「あー、あれ面白いよなあ」

「……ふふん」

「だからってその名前はダメ。何の同盟かわかんねーし」

「……ッ!!」

「え、えっと、閑話休題!」

 疲れます。少ししかまともな話題が続きません。

 今日はもう諦めましょう。

 放課後には大空先輩がわたしに付き合ってくれるので、その時にでも聞いてみることにします。同じ学年なのですから、転校生のこともわたしたちよりは詳しいはずです。

 だから、閑話休題と言っておいてあれですけど、私も二人とのお喋りを楽しみたいと思います。

「さっちゃん、今度クフィ描いてみるよ」

「おっ、マジかー。カンジもつけてよ。タバコは絶対入れて」

「その二人の絡みでお願いします!」

「いや、そうゆーのは描かないよ?」

 いろいろと大変ですけど、わたしはこの二人が大好きなのです。

 今回の話しとは関係ないかもしれませんけど、せっかく名前が出ていたので登場してもらいました。これからの二人の活躍に乞うご期待です。多分、ないですけど。



 ということでやってきました。

 放課後です。

 今日は先日に引き続き、大空先輩にモデルをお願いしました。編み物を教える代わりとして、大空先輩にはモデルになってもらっています。これからの時間がわたしは何よりも楽しみなのです。ついつい足早に美術室に向かってしまいます。大空先輩はいつも、どんくさいわたしよりも先に美術室にいて待っていてくれるんです。笑顔でわたしを迎えてくれる瞬間がたまらなく幸せです。

 本当に楽しみだったのです。

 それなのに。

「……何でいるんですか?」

「や、やあ。少し心配事があってね。邪魔はしないから、僕もここに居させてもらうよ」

 大空先輩はもちろん来てましたけど、真黒先輩もいました。

 邪魔です。

「とっとと出て行きやがれ」

「すごいね。言葉にしなくても僕には伝わってるけど、言葉の恐ろしさというものを改めて感じるよ」

「何言ってやがるのかわかりませんが、今日はわたしが先約です。待つと言うのなら外で待ちなさい」

 まったく、どうして大空先輩はこんな人を彼氏にしたのでしょうか。それは今でもわかりません。まあ誰が彼氏になってもわたしは嫌ですけど。理解できないけれど、否定はしない。その気持ちは大事ですが、このケースに至っては全力否定です。

「あ、えみりん来た!」

 大空先輩がわたしに気付いて駆け寄ってきてくれます。そのまま抱きしめてくれないかといつも期待しているのですが、なかなかそううまくは行きません。今度、わたしの目の前で転ぶように罠を仕掛けておいてもいいかもしれません。恋の罠です。くふふ。本番は物理的な罠になりますけど。

 大空先輩はわたしの目の前まで来てにっこりと笑います。いつかは独り占めにしたいものです。

「ごめんねえみりん。真黒くん、あたしがヌードモデルやらないか心配で見に来たんだって」

「なっ……ッ!」

 なぜわたしの計画を真黒先輩が知っているのでしょうか。そんなにあからさまに顔に出ていたでしょうか。いーえ、そんなはずはありません。きっと大空先輩と一緒に居たいがための口実に過ぎないでしょう。

「あたしがヌードモデルしてるってからかったら真に受けちゃってさー。そんなことするわけないのにねー。えみりん」

「…………」

 ああ! わたしの夢が儚く潰えてしまいました。

 こうなってしまっては、せっかく今日用意してきた水着も着てもらえそうにありません。大空先輩のスリーサイズは把握済みです。身体測定の時にこっそりと調べておきました。わたしのお古の水着ですが、大空先輩にはぴったりのはずです。わたしには少しきつくなってしまったので。わたしが着ていた水着を大空先輩が着る。くふふ……想像しただけでも涎ものです。

 それなのに。

「……何でいるんですか」

「おやおや、何やら全く同じことを言われた気がするよ。今度はがっかりしているようだけど」

「クエスチョンがないだけで判断しないでください。わたしが抱いているのは単純な殺意です」

「よしてくれ。その言葉には僕も彼女も敏感なんだよ。キミも忘れてはいないだろう?」

 ああ、そうでした。ほんの数週間前にわたしはすごく怖い体験をしてしまったのです。殺人犯は捕まったようなので一安心なのですけど。うっかりわたしも目の前の人を被害者にしてしまいそうなので気をつけないといけません。とりあえず胸元の手を引っ込めないと。今日わたしが手に持つべき物は彫刻刀ではなく筆のはずでした。

 真黒先輩はさほどではないとして、大空先輩は苦しそうに顔を歪めました。どうやらこのお二人にとってもあの事件はとても心を痛めたものだったようです。あのあとに何があったのかはわかりませんけど。

「真黒くんも一緒に。ダメかなー? えみりんお願い」

「うっ……」

 大空先輩からのお願いなんて断れるわけがありません。惜しむらくはそれが真黒先輩に関わっていることですが、今となっては大空先輩も真黒先輩のために、わたしとの約束を反故にすることも考えられますからね、悔しいですが、涙を呑むことにしましょう。今に見てろよこのやろう。おっといけません。口に出てしまいそうでした。

「仕方ないですね。大人しくしていてくださいね、真黒先輩」

「うん。キミの邪魔はしないよ」

 わざとでしょうか。もう邪魔してるとわかっているはずですがね。真黒先輩には、わたしの気持ちはバレているはずなので。

「じゃあ大空先輩。この前と同じポーズでお願いします」

「うん!」

 描きかけのキャンバスをセットします。大空先輩なら脳内保管できているので、実物を前にしなくても描けますが、はああ~……やっぱり本物はいいですね。

「ぐひゅっ……」

 わたしの目の前でポーズを取っている大空先輩を見て、笑いが込み上げてくるのを必死で抑えます。にやついてしまうのも必死で我慢します。真黒先輩がジト目でこちらを見ている気がしますが無視します。わたしの時間。わたしのターンです。

 大空先輩のしているポーズは、簡単に言えば四つん這いです。ちょっと背中を反ってもらって、首に角度をつけてもらっています。視線はこちらです。今変なことを考えたあなたは負けです。これは芸術なんですよ。

「ぐふぇぅっ」

 いけません。どうしてもにやけてしまいます。いや、あまりにも素晴らしいモデルさんだからですよ。決していやらしい目で見たりはしていません。今日は……スカートが一センチ長いですね。残念です。

「ねーえみり~ん。やっぱりこれ少しきついんだけど、他のじゃダメなのぉ?」

「くひゅぅっ」

 あー……たまりません。反則です。そんな甘えた声出したらダメですよ。襲いたくなるじゃないですか。

「だ、ダメですよ。もう描き始めてしまってますので。休憩はこまめに取りますから、もう少しそのままでお願いします」

「む~~……はぁい」

 むっはぁっ! あの憧れだった大空先輩が、わたしの前で、私の目の前で四つん這いになっています! 可愛いです。すごく可愛いです。先日ももちろん四つん這いだったのですが、今日はよりそそるものがあります。

 といけないいけない。いつまでも進まないのなら大空先輩も変に思ってしまいますからね、じっくりと眺めながらゆっくりと描きましょう。それにしても、こんな格好をした大空先輩の絵は誰にも見せられませんね。自分の描いた絵になりますけど、秘密の宝物にしましょう。

「ねー、えみりーん」

「はい、なんですか?」

 少しだけ苦しそうな顔をしながら大空先輩が呼んでいます。もう疲れてしまったのでしょうか。

「背中かゆいんだけどー」

「あ、じゃ、じゃあわたしが――」

 うほっ。思わぬところでチャンスが巡ってきました。大空先輩の生背中を触れる絶好の機会です。

「真黒くんにかいてもらっていーい?」

 なんと。

「だ、ダメですそんなの!」

「えー。だってあたしは動けないし、えみりんは作業中だし、真黒くんしかいないでしょ? ねっ、真黒くんかいてー。あたしの背中かいてー」

 大空先輩が甘えた声で真黒先輩にお願いします。こんなことが許されていいはずがありません。

「さすがにえみりぃんの前ではできないよ」

 わたしの前以外じゃやってることなんですか!?

 真黒先輩はどこか呆れた様子で大空先輩を見ていました。やる気がないのならわたしがヤリます。

「ねぇ、真黒くぅん。早くぅ」

 あ……なぁんだ。

 大空先輩は面白そうににやけながらせがんでいました。わざとです。本当は背中なんてかゆくないのに、わたしの前で真黒先輩とのプレーを楽しむつもりです。

 急激に気持ちが冷めていきました。やはり真黒先輩は邪魔者以外の何者でもありませんでした。

「じゃあ、もう休憩にします。大空先輩、ポーズ崩してもらっていいですよ」

「ちぇっ」

 やっぱりです。

 もう興が冷めてしまいました。やっぱり二人っきりじゃないとダメです。

「大空先輩。今日はわたしと約束していたんですから、真黒先輩といちゃつくのは他でやってください」

「あ、ご、ごめんねえみりん。つい」

 大空先輩は申し訳なさそうに笑います。くふふ。これでわたしのお願いを聞いてもらいやすくなりましたね。次回のための布石としては、上々だったことで今日はよしとしましょう。

 もう描く気分ではないですし……。

「そうだ大空先輩。転校生が来たって聞いたんですけど」

 大空先輩は一瞬だけ顔をしかめましたが、すぐに笑顔になりました。どうしたのでしょう。何か嫌なことがあったのでしょうか。

「うん。水鏡杰さんっていって、すごく美人だよ」

「わたしの友達もそう言ってました。どんな人なんですか?」

「まだあんまり話してないからわからないけど……いろいろと立派な人かな」

 立派。うーん、あまりぴんと来ない表現の仕方ですね。一言で立派と言っても、それは本当にいろいろあるでしょうし。家柄でしょうか。お嬢様?

 なぜか真黒先輩がそわそわし始めました。大空先輩の様子を気にしているようですが、トイレなら行って二度と帰って来なくていいのに。

「気になるの? えみりん」

「いえ、わたしはそれほどでも。ただ、みんながあまりに美人美人って言うから」

「じゃあ、休憩も兼ねて、飲み物買いに行くついでに二年生の教室覗いてみる? まだ水鏡さんいるかもしれないよ。あたしたちが一緒なら、えみりんだって二年生の教室に来やすいでしょ?」

「でも……」

「いいからいいから、行こ。あたし喉乾いたし。そしてえみりんも自分に絶望すればいいよ。あたしに勝ったくらいじゃ全然お話しにならないからね」

 な、何のことでしょう。何を言っているのかよくわかりませんが、大空先輩から誘われるということもあまりないので、この流れに身を任せることにします。

「ほら、真黒くんも行くよ」

 ちっ、やっぱりですか。

「いや、僕は遠慮しておくよ。なぜか八つ当たりで振りまくったコーラを開けさせられる自分が想像できたからね」

 こちらも意味不明な発言です。しかしながら、行かないというのはそれは殊勝な心がけですね。そこでおとなしく待っているがいいです。誰も帰って来ない美術室で夜まで待っていればいいです。

「あはは、やだなぁ真黒くん。あたしに真黒くんを背負って行けって言ってるの?」

 バキバキと、大空先輩が指を鳴らして真黒先輩を威嚇しています。なんでしょうなんでしょう。もしかして、水鏡先輩という方はお二人の爆弾なのでしょうか。それならばぜひとも一度拝んでおかなければなりませんね。そしてあわよくば真黒先輩と大空先輩を引き離すお手伝いをしてもらいましょう。そのためには話せるようにならないといけないという高度なミッションがありますけれど。

 真黒先輩は満面の笑みを浮かべて頷きました。気持ち悪いです。

 そして三人で美術室をあとにして、階段を一つ下ります。

 あー、真黒先輩と一緒にここを通るのは何だか変な感じがしますね。わたしが真黒先輩を突き落とした場所ですから。なんなら今一度ここで事故に見せかけて……。いやいや、それでは大空先輩が真黒先輩と一緒に病院に行ってしまいますので本末転倒です。故意だとわかればわたしもさすがに嫌われてしまうかもしれません。

 二年生の教室がある二階に着きました。緊張します。このお二人以外に誰も知っている人がいないのです。人見知りのわたしには少し難度が高い冒険です。お二人が一緒でも、できれば二度と来たくはないと思いました。

「あっ、多分あれそうだ」

 大空先輩が前を歩く女子生徒二人を指差して言いました。わたしにはもちろん前を歩くどちらが水鏡先輩なのかはわかりません。ただ、ゆるふわな髪をしている方の人は、何か特別な雰囲気を感じました。

「水鏡さーん!」

 大空先輩が手を上げて大声で呼びます。わたしはそれに驚いて目を伏せました。まだ心の準備が何もできていません。初対面の人と顔を合わせる勇気は持ち合わせていないのです。緊張します。ドッキドキです。やぶぁいです。握った手の中がギットギトです。

 前から足音が近づいてきます。

 ああー、自分の心音が聞こえます。バックンバックン鳴ってます。バッ君バッ君あなたいらないです。どこか消えて。変な汗かいてる。顔が熱いです。わたしはさりげなく大空先輩の後ろに隠れました。緊急避難です。

「あら、あなたは大空さんでしたよね? それと、真黒さん」

 透き通る、耳に優しい声が聞こえました。この人の声、誰かに似てる。あれ、あれだ、ああー、どれだ、ダメだ、何のアニメか思い出せない。

「水鏡さん、今帰り?」

「はい。あちらのクラスメイトの方に、書店を紹介してもらうことになりましたので案内してもらうことに。私はまだこの辺りの地理に疎いので」

「そうなんだ。引き留めて悪かったかな。ちょうど見かけたから」

「いえいえ。私がここに転校してきて初めて会話をしたのがあなた方でしたので、ぜひ仲良くしてもらえたらと思ってます」

「あははー。それは水鏡さん次第かなー」

 えっ。大空先輩がそういうこと言うのは珍しいです。やはり何かあるのでしょうか。気になります。わたし、気になります。ついつい言っちゃいました。内緒でお願いします。目は輝いていないので許してください。

「うふふ。それでは、今度私が菓子を作ってお持ちしますので、一緒にお茶していただけませんか?」

「くっ、家庭的乙女アピールか。あ、あたしだってお菓子くらい作れるもん!」

「まあ。それでは、お互いに持ち寄ってお話ししましょう」

「真黒くぅん!」

「あー、はいはい。いい子いい子。水鏡さんごめんね。僕の彼女口下手だから。それで、僕の彼女の友達がさ、彼女に隠れてる後輩なんだけど、水鏡さんってどんな人だろうって言ってたから紹介させてもらいたいと思ってさ」

 うわー、ダイレクト。隠れてるなんて言わないでくれますか。わたしは一目見るだけでよかったのに。わたしのことなんて空気でよかったのに。余計なことをしてくれますねマクロン。お菓子とかけてみました。説明不要ですか、失礼しました。

「後輩さん? こちらの学校では私よりも先輩ですね。初めまして、水鏡杰です」

 これは明らかにわたしに向けて言っていますね。どうしよう。自己紹介されたなら、自己紹介しなきゃ。事故紹介になりそうで怖いよ。

 わたしは、恐る恐る伏せていた顔を上げました。

 そして、目の前の転校生を拝みます。

「ふおぉ……!!」

 思わず口からこぼれてしまいました。

 思わず本当に拝んでしまいそうでした。

 見惚れました。見蕩れました。

 触りたい触りたい触りたいぃ。

 すごい造形美がそこにいました。人間どうしたらこうなってしまうのでしょう。何者ですかあなた。うわ、ちょー……美人やんけ。肌きれー……。ナイスバディですし。

 そして、雰囲気がとても優しいです。とても優しそうな目をしています。その目がにっこりとわたしを見ています。見られています。恥ずかしいのに、それでも、不思議と目を逸らせませんでした。

「んっ?」

 水鏡先輩は優しく笑って首を傾げました。わたしからの自己紹介を待っているようでした。口ごもっている自分が恥ずかしそうで泣きそうです。

「は、初めまして! い、いち、一年生! 海賀絵美! です!」

 はぁう~……。恥ずかしいです。慌てまくりです。変な子だと思われていないでしょうか。

「海賀絵美さんですね。初めまして。とても可愛らしい子ですね。あなたも、私と仲良くしてくれたらとても嬉しいです。私が一つ年上になりますけど、そんなことは気にせずに気軽に接してくださいね」

「は、はい! ぜひとも気軽に接しさせてください!」

「うふふ。本当に可愛いですね。それでは、あまり待たせても悪いので、私はこれで」

 ぺこりと、丁寧にお辞儀をします。決して優雅とかではなくて、それがとても自然に見えました。それが水鏡先輩にとって当たり前に見えたのです。

「ああ、そうそう。真黒さん。あなたとは一度ゆっくりお話しをさせてもらいたいと思っていますので、いずれお時間を作ってもらえればありがたいのですが」

 また真黒先輩ですか。どうしてこの人はこんな可愛い、美人に目をつけられるのでしょう。チートですか。

 真黒先輩は一つ頷いて、ニヒルに笑って言います。

「僕もそのつもりだったから、近いうちに。でも、僕の彼女も一緒にいいかな。彼女にはいつも相談に乗ってもらってるんだ」

 大空先輩が真黒先輩を見て微笑みます。なんでしょう。分かり合ってる感じが伝わってきて悔しいです。真黒先輩の秘密なら、わたしも握ってみたいものですが。

「……ええ、もちろん。あなたは羨ましいですね」

「キミは今までひとりだったのかい?」

「……それはまた後程。それでは、失礼します」

 そして、水鏡先輩は先で待っていたクラスメイトの方へ向かって行きました。

 ふあぁ……。

 びっくりしたぁ。予想以上でした。これは、直接お話ししたことがさっちゃんとぺこちゃんへの自慢話になりそうですね。

 気軽に接して欲しいと言っていましたので、そうしたい気持ちはあるのですが、やっぱり緊張しそうです。まだまだ時間はかかりそうです。

「どうだった? えみりん」

「うぇ? あ、ああ、すっげー美人ですねありゃ」

「ああ、うん? うん。それはそうなんだけど、ほら、もっと別にあったでしょ?」

 大空先輩は、すっごい笑顔でした。

「じゃあ、僕は先に美術室に戻ってるから」

「待って」

 大空先輩が真黒先輩の首根っこを掴んで放しません。真黒先輩はもう諦めたようにうなだれていました。

 うう、うん? もっと別に何があったのでしょう。……あれあれ? もしかして? ふむふむ。ほうほう。そうなのでしょうか。

「わたしなんか比べものにならないくらいに、おっきかったですね」

「そ、そう。それで? どう思った?」

「いいなぁとは思いましたけど、わたしもまだ大きくなってるので、あれに近いものにまではなるのかなぁって」

「真黒くん!!」

「えみりぃん! キミはなんてことを!!」

 あひゃひゃ。いい気味です。大空先輩の八つ当たりとやらを存分にご堪能くださいませ。本気で暴れた大空先輩はちょっとやそっとじゃ止められないでしょう。

「行くよ真黒くん! 揉んで!」

「えっ?」

「はぇ?」

 い、今にゃんと?

 あ、ああ、ちょっと待ってください。真黒先輩が連れて行かれてしまいます。秘密の園に連れて行かれてしまいます。わたしも連れて行ってください。わたしに揉ませてください。

「ま、待ってくれ! キミが考えてるのは都市伝説だしどこを揉めって言うんだよ! 揉むところなんてどこも……いや、ちがっ……!」

「~~~~~~むあああああああああああ!!」

 なんとびっくりです。大空先輩は真黒先輩の首根っこを掴んだまま投げ飛ばしてしまいました。

「あひゃひゃひゃひゃひゃっ!」

 わたしはそれを見て大声で笑ってしまいました。自業自得です。焦っていたのでしょうか、それともこういう仕打ちが真黒先輩の好みなんでしょうか。理解はできなくても、否定はしないでおいてあげます。 そして、大空先輩は真黒先輩と一緒にいるのが生き生きしてるなぁと、わたしは思わされるのでした。 こんな二人を見て笑ってしまったわたしがいて、楽しいと思ってしまいました。

 不覚でした。

 水鏡先輩も素敵ですけれど、私は気軽に『えみりん』と呼んでくれる大空先輩が好きです。

 でも、水鏡先輩に絵のモデルをお願いしてみるのはいいかもしれません。でも、真面目に描かないと怒られそうなので、今しばらくは大空先輩を眺めて楽しむことにしましょう。

「揉めよ」

 倒れている真黒先輩に容赦なくせまる大空先輩がおかしくてたまりません。真黒先輩は必死に首を横に振って抵抗しています。泣きそうなのがざまーみろです。

「あひゃひゃひゃっ!」

 それを見てまた笑ってしまいました。

 少しくらいは、二人のことを認めてあげてもいいかなと思う、わたし海賀絵美がお送りしました。

 また出番があるかもわからないので、私のことはお忘れなく。

 それではまた。

 

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