昼守真也 Ⅷ
「この辺りでいいだろう」
天童真弓のあとを追ってやってきたのは、図書館の非常階段の下だった。近くにあるのは職員用通用口だけで、たしかに人目にはつきにくい。先に席を立って先を行こうとする天童真弓を慌てて追ったけれど、『心配しなくても逃げはしないよ』とこちらのことを見透かしているようなことを言った。誰にでも見透かされる僕だった。
天童真弓は薄く笑って僕たちと向き合う。近くの用水路の水の音とたまに通る車の音が、僕たちの沈黙をしばらく守っていた。
「さて、何を話して欲しい?」
「随分と余裕ですね」
天童真弓は浮かべた笑みは崩さない。いつでも来いよと挑戦的な眼差しも向けられていた。
僕の彼女は隣でうつむいたままだった。犯人が生徒だと知ってショックだったのだろう。先ほど目の前の犯人に向けられていた怒りは見る影もない。
僕は天童真弓に対抗して薄く笑ってみせる。余裕とかそういうものじゃない。やれやれと、仕方なく自称犯人の戯言に付き合ってやろうと、お手並みを拝見したいと思っていた。
「じゃあ、まずは犯行の動機を聞かせてもらえれば」
「動機か。些細なことだが」
「まあ一応」
天童真弓は顎に手を当て考える人を模倣しつつ、何から話してやろうかと考えているようだった。
「私は、こう見えても相談事を持ちかけられることが多くてな」
「そう見えます」
「そうか。ならいい。それで多かった相談事は真也についてのことだった。私が奴の身内ということもあっただろうが」
「あまり恋愛事が得意そうには見えませんけどね」
「キミはなかなかはっきり言うな。そういう奴は嫌いではないが。実際その通りでな、どうも私は武闘派として勘違いされ易いのだ」
「はあ」
「ほとんどが真也を懲らしめてやってくれという相談だった」
「で、実際殺っちゃったと」
「さすがにすぐにそこには到達しなかったよ。さっきも言った通り、私と奴は親戚の集まりで嫌でも顔を合わせる時があってな、最近では盆の時だが、その場で奴を窘めたのだ」
「聞く耳持たなかったってところですか」
「その通りだ。夏休みが明けても、同じ相談事を持ちかけられた。それで今回のことに行きついたわけだ」
天童真弓は淡々と、用意された原稿を読むようによどみなく話していく。いずれは自分の元に誰かが来ると予想していたのだろうか。僕たちが現れたのも想定内のことだったのか。そうだとしたら、大したものだと思う。
何の保証もなかったはずなのに。
「何も殺さなくったって」
「いや、ああいう輩は息の音を止めねば何度も同じことを繰り返す。キミだって害虫は駆除するだろう」
「さっきからひどい言われようですね。ゴミとか。昼守先輩、同情します」
「それは無用だ。私は他にも奴がしてきたことを見聞きして知っている。殺されても文句は言えぬこともな」
「それは何でしょう」
「守秘義務だ。私の口からは言えん」
そこが肝心なところなんだけどなあ。お上手とだけ言っておこう。
「持前の正義感持ち寄って、正義の味方のつもりですか?」
「確かに曲がったことは嫌いだが、誰もやらないから私が殺った。それだけだ。いずれは他の奴に同じ目に遭わされていただろう」
「それで、今あなたは殺人犯という立場なんですけどね」
「そうだな。さすがに心中穏やかではない」
「自首するつもりはないんですか? できればそうして欲しいところですけど。面倒事も少なくて済みますし」
「キミは本当に自分に正直な男だな。自首するのはやぶさかではないが、しかし私には受験がある。まだ捕まるわけにはいかないな」
「あとで捕まっても同じでしょうに」
「まあそう言うな。貴重な高校生活だ。卒業したら自首でもなんでもしてやるさ」
軽い口調で、軽々しくそう言う天童真弓。
『黒』が天童真弓を覆い尽くしている。話す度に、新たな『黒』が上乗せさせていくようにも見えた。
僕には正気の沙汰とは思えない。
それほどまでにと思う。その覚悟はどこからやって来ているのだろう。でも、僕にとっての大空翔子がそうであるように、天童真弓もそうなのかもしれない。僕の彼女に限って、そういうことはありえないと思ってはいるけれど。
さて、もうそろそろいいだろうか。あまりお遊びが過ぎても、僕の身も危なくなってくる。
僕の彼女もそろそろ限界を迎えつつあるのだ。
さっきから彼女が黙っているのは、怒りをぐっと堪えているからに他ならない。あまりにも軽く話す、昼守真也を殺したことをイタズラ程度に話している天童真弓に対して、怒りが込み上げているようだった。普通の奴なら、この天童真弓の話しを聞いて、怒るか、呆れるか、恐れるか、そのどれかだろう。烏丸理沙の無念もあることだろうし、僕の彼女の心を支配しているのは怒りだ。
僕の彼女は拳を固く握りしめ、歯を食いしばって震えていたのだ。
後で殴られそうだ。
誰が。
誰って僕が。
早いとこ幕を下ろさないと。
身を潜めて待っている奴もいることだしね。
「じゃあ次は、犯行状況についてお尋ねします。まあ、どうやって殺害したかということですね」
「簡単なことだ。私はナイフを忍ばせて機を窺っていた。あの場所を通った時に、人気もない暗がりでここだと閃いたのだ。そして奴を呼び出して殺害した」
「まるで衝動的にやったみたいですね」
「思い立ったが吉日というやつだ」
「殺人犯して吉日ですか。よかったですね、すぐに来てくれて。それはいい日になったでしょう」
「秘密を握っていると言ったからな。それにしてもキミもなかなかひねくれ者だな」
「その秘密、知りたいですね。でも教えてはくれないのでしょう。守秘義務とやらで。ああそれと、知り合いのおねーさんから凶器は二種類だったと聞いていますけど」
「ああ、それはだな、ナイフと、ハサミだ」
「まずは咽喉元を潰して助けを呼べなくして、それから腹部をナイフで滅多刺し、ですか」
「その通りだ。警察と知り合いというのはどうやら本当のようだな」
「ええまあ」
「言っておくが、証拠品は全て残さずに処分した。返り血を浴びたレインコートも燃やした。私が犯人だと特定できるものは何もないぞ。キミたちが警察に話しても私はしらを切る」
「まあ状況証拠も何もありませんからね。お手上げですよ。重要参考人として連れて行けそうですが」
「知らぬ存ぜぬを通すさ」
「まいったなぁ……」
僕の彼女はすでに目を丸くして戸惑っている。何かに気付いて、どうしたらいいのかわからないといった様子だった。僕だってどうしたらいいのかわからないけれど、僕がしたいことは決まっている。
「もにょたん」
「え?」
僕が彼女に声をかけた、その時だった。
図書館の物陰から人影が飛び出してきた。
僕たちが校門で張っていたことを見て、何をしようとしているのか気付いたのだろう、烏丸理沙だった。まっくろくろの『黒』を宿したそいつは、鈍い光りを放つ包丁を両手で突き出しながら突進してきていた。
こんなこともあろうかと。
僕は鞄に秘密道具を忍ばせてきていたのだ。ご都合主義とでもなんでも言ってくれ。秘密道具、それは某RPGの序盤の装備、ご使用は正しくお願いしますのおなべのふた。現代のおなべのふたは一応ステンレス製だ。僕なら避けられるけれど、驚き戸惑っている天童真弓はそうはいくまいよ。用意周到な僕に感謝して欲しい。
じゃじゃーん、と効果音は口に出さないけれど、僕はおなべのふたを構えて烏丸理沙を迎えうつ。
だが現実はそう甘くはなかった。
「ダメーーーーッ!!」
と、僕の彼女が両手を広げて天童真弓をかばうように立ちふさがったのだった。
「ちょっ!?」
今度は僕が戸惑う番だった。彼女が身を挺して天童真弓を守ろうとするのは想定外だった。天童真弓を守ろうとしているのか、烏丸理沙を守ろうとしているのかわからないけれど、そんなしょこたんに気を取られて烏丸理沙の姿を一瞬見失って動揺した僕には、もうおなべのふたを構えて待ち受けることができなかった。身構えているのと、咄嗟に防ぐのとでは勝手が違い過ぎる。
天童真弓も烏丸理沙もどうでもいい。僕が守るべき人は大空翔子ただひとりなのだ。
体が自然に動いた。僕は烏丸理沙の前に入り込むようにして体当たりを仕掛けていた。せっかく用意していた秘密道具も水の泡。
僕は横っ飛びで烏丸理沙に衝突し、烏丸理沙と一緒に倒れ込んだ。
「あつつ……」
「真黒くん!」
すぐに彼女が駆け寄ってくる。そんな彼女に僕は手を上げて笑って応えた。
脛を少しすりむいているのと……ああ~~……痛いわけだ。
上げた手から血がぽたぽたと滴り落ちていた。右手の甲から肘にかけて、ぱっくりとまではいかないけれど、二十センチほどの切り傷が悲鳴を上げていた。
「真黒くん! 真黒くん!」
彼女は泣きそうになりながらハンカチを傷口に押し当てる。それが痛いなんて言わなかった。
「大袈裟大袈裟。血は出てるけど傷はそんなに深くないからさ。それよりも、その殺人未遂の烏丸先輩を取り押さえてくれるかな」
烏丸理沙は体を起こして鋭く僕を睨み付ける。僕が彼女に促すと、しょこたんは烏丸理沙の肩を押さえつけた。
「じゃ、じゃじゃじゃじゃますんなよ!!」
狂気に狂う『黒』を見せられて気を失いそうになる。今回はなんとか踏みとどまることができた。
「あなたが天童先輩を殺しちゃったら彼女が悲しむんですよ」
僕にはこれくらいしかできない。少しくらいはかっこつけられただろうか。まあ、こうなる前に止めろよってところだけど。でも、今飛び出してくれてよかった。天童真弓がひとりになったら絶対止められなかった。
天童真弓は包丁を拾い上げ、遠くに投げ捨てる。そして苦しそうに顔を歪ませていた。荒れ狂う烏丸理沙を見て、もう表情に嘘はつけなかったらしい。
「天童先輩。僕はあなたを警察に突き出すことはできません。証拠がないのは当然なんです。なぜならあなたは昼守真也を殺してはいないから」
僕の彼女は目を伏せて黙り込む。天童真弓が話したおかしい点に気付いているからだ。もっとも、僕は天童真弓が自分が犯人だと言った時の『黒』で察しはついていたけれど。天童真弓の戯言に付き合っていたのも彼女にバレて、あとでどういう仕打ちを受けるだろうか。
どうして嘘をついているのか探るつもりだったけれど、肝心なところは守秘義務でかわされた。
天童真弓があの人のことをこれほどかばうのかがわからない。自分が罪を被ってまで、あの人を守ろうとしているのはどうしてなんだ。
烏丸理沙も呆気に取られている。茫然として事態を飲み込もうとしている。
「私が殺した。そう言っただろう」
天童真弓は、まだ気丈に振る舞っている。
「あなたが昼守真也を殺したと言うのなら、携帯電話が持ち去られていたことはご存じでしょう? あなたが持って行ったのですから」
「もちろんだ。それがどうした。出せと言われてももう処分しているがな」
嘘をつかせているのは、僕だったりするのかな。
「通話記録を調べたらしいのですが、当日の記録はなかったそうです。天童先輩、あなたは秘密を握っていると『言った』と、さっき言いましたよね」
「いや、そうだったかな。すまないが記憶が定かではない。そういえばメールだったか」
「そもそも、あなたが犯人なら思い立ったが吉日なんて言いません。あの場所を見て閃いて呼び出したと言ってましたけど、あれは計画的な犯行なんです。前もってあの場所に昼守真也が来るように話しをつけておいて、そこで待ち伏せておいた犯人が彼を殺した。それが本当の犯人です」
捲し立てられて、ついに頭が追いつかなくなったのか、天童真弓は僕の追撃を振り切るように叫ぶ。
「う、うるさい!! 私が殺したんだ!! さっき言ったことはキミたちを欺くための嘘だ! それくらい殺人犯ならやるだろう!」
「まあ……」
そこで僕はしょこたんと烏丸理沙を見る。僕の彼女は烏丸理沙を押さえつけるのも忘れて、うつむいていた。烏丸理沙はただ茫然としている。まだ理解が追いついていないのだろうか。
「もにょたん」
烏丸理沙に邪魔をされた、さっきの続きだ。
「あ、何?」
「少し、天童先輩と二人で話しをさせて欲しいんだ。ダメかな?」
僕の彼女は戸惑いを隠せないようで、何かを言いたそうにしているけれども、うまく言葉にできない様子だった。
「あ、あたしが居ちゃ、邪魔?」
「キミにあまり聞かせたくないんだ。あとで僕からは話すけれど」
「……うん。わかった」
「その人が変なことしないように見張っててくれたら助かるよ」
彼女は小さく頷いた。烏丸理沙は少し抵抗したけれど、思ったよりも僕の彼女は頑張ってくれた。
「気持ちはわかりますけど、真黒くんに怪我させたのは許せませんから」
怪我の功名、とでも言っておこう。少し意味は違うけれど。実際に怪我したし。
僕は彼女から借りたままのハンカチを傷口に当て、天童真弓を連れて距離を置いた。
意外にも素直に着いてきたのは、僕に嘘が通用しないと薄々感づいているからかもしれない。
「さて、天童真弓先輩」
「…………」
意気消沈。
「もう回りくどいことはしません。単刀直入にお尋ねします」
僕の声に黙って耳を傾けている。違っていてくれとでも思っているのだろうか。自分の人生をふいにしてでも守ろうとした彼女の名前が出ないことを祈っているのだろうか。
「昼守真也を殺したのは、彼の妹の昼守星美ですね?」
天童真弓の顔が青ざめると同時に、『黒』が漆黒へと変わる。
それが証明した。
僕が犯人を昼守星美と断定したのは、ただの勘。昼守星美の『黒』を見て思った直感をそのまま口に出しただけだった。天童真弓が違ったのなら、昼守星美。ただそれだけだ。でも、僕だけにしかできない、消去法。天童真弓にたどり着くことができなかったら、犯人として昼守星美の名前も出てこなかった。
「キ、キミは、なんだ? 何者なんだ?」
「ちょっと人の嘘が見破れちゃう高校生です」
あれだけ凛々しく、気丈に振る舞っていた天童真弓が、泣きそうな顔をして訴えていた。ような気がした。微かに見えるその表情は、全てを失ってしまったように、絶望に支配されていた。
「……………………………………頼みが、ある」
「無理です」
「お、お願いだ! あいつは悪くないんだ! 悪いのは奴なんだ! 助けて欲しい!」
「……聞かせてもらえますか?」
「…………………………わかった。だが約束して欲しい。あの二人には話さないと」
「それは約束できません。でも、隠すところは隠します。僕も彼女にあまり嫌な思いはさせたくありませんので」
いまさらかよって話しだけど。
まあ、だからしょこたんをあちらに置いてきたわけだけど。
「……それでいい」
それから僕は、昼守真也とその妹、そして天童真弓の関係について聞いた。
烏丸理沙には話すべきだと思ったけれど、僕の彼女にはあまり話したくない内容だった。




