昼守真也 Ⅵ
「真黒くん! 真黒くん!!」
あたしは、横たわる真黒くんのそばへ駆け寄った。何が起こったのか理解できていなかった。思考が追いつかない。ただ、息を荒くして真黒くんを見下ろす烏丸先輩と、その手から血がしたたり落ちているのを見て、あたし自身の血の気が引いた。
放課後、烏丸先輩を見つけて話しをすることになった。まずは真黒くんが話しを聞くと言ってしばらく話していたら、烏丸先輩の様子が豹変して、気が付けば真黒くんが倒れていた。人目につかない場所にいたのが、幸いだったのか、不幸だったのか。
真黒くんを背中から抱き起こす。目立った外傷は見られないけれど、意識朦朧としていて、小さく震えていた。
「なに……ッ! 真黒くんに何したんですか!!」
「は、はぁぁあ、あ? あた、あたアタシは別に何も、しししてないわよ。そ、そそそいつが勝手に倒れただけでしょ。へへ変な言いがかりはややめてくれるかしらららああ」
ロレツが回っていないというか、もはやまともに喋れていない。綺麗な顔立ちは見る目もなくなっている。
「じゃ、邪魔するならら、ころこr、こrs殺してあげるから」
あたしは初めて、人が怖いと思った。明らかに精神に異常をきたしている。視線だって、どこを見ているのかわからない。ただ、怒り狂っていることだけはわかった。そしてよく見れば、血がしたたり落ちている右手にはカッターナイフの刃だけが握られていた。
「真黒くんごめん!」
真黒くんの制服を剥ぎ取る。丁寧にボタンを外している余裕はなかった。
「あ……これ……」
やっぱり、傷は見当たらない。でも、体の至る所に古傷のようなものがあった。真黒くんの過去に何があったのか想像してしまう。想像して、今すぐに抱きしめたくなって、ぐっと堪えた。今はそんなことをしている場合じゃない。
「な、なにぃ? アタシの、ま前で、見せつけてるんだよ!」
烏丸先輩がカッターの刃を振り回す。それで血しぶきが飛び、あたしと真黒くんにかかる。ものすごい嫌悪感に襲われ、制服の袖口で慌てて拭った。
「ふざけんなうふふざけんなああふざけんなふざけんなよおお……」
烏丸先輩は何度も何度も、カッターを振り回す。その度に恐怖と嫌悪感に襲われ、泣き出しそうになった。
あたしは、自分でも知らないうちにポケットの中のスマホを握りしめていた。冥土の土産に昨日撮ったツーショットを眺めようと思ったわけじゃない。すぐに頭に思い浮かんだのは、先日知り合った刑事さんだった。でも、何か下手なことをすると取り返しのつかない事態になるような気がして、あたしはスマホを取り出すことができなかった。
あたしが何もできずに震えていると、烏丸先輩は突然、首をだらりと下げ、カッターを振り回すのをやめた。そして、呻くように何かを呟き始めた。
「…………」
収まった?
ううん、安心はできない。真黒くんを抱えてなんて逃げ切れないし、どうにかして帰ってもらわないと。
「……烏丸先輩? あの、とりあえず落ち着いてください。血が出てるからまずは手当しないと」
「…………………………知ってるんでしょ」
「え?」
「真也を殺した奴よ! 知ってんでしょ教えなさいよ!!」
烏丸先輩は、泣いていた。声にもならないような嗚咽を漏らしながら、止めどなく流れる涙を何度も拭って。その涙を拭う度に、烏丸先輩の顔に血化粧が塗られていく。
あたしは見ていられなくて、視線を逸らしたままハンカチを差し出した。
「顔、すごいことになってますから拭いてください」
烏丸先輩は無言で受け取って、目元に当てた。
「なんで……」
小さな呟きをかろうじて拾う。
「なんで死んじゃったのぉ……。しんやぁ……」
「…………」
好きだったんだな。
あたしは泣きじゃくる烏丸先輩を見てそんなことを思っていた。そして、昼守先輩を殺した犯人を絶対に許せないと思った。少しでも早く解決しないといけない。そんな使命感に駆られていた。
「教えて……」
「…………」
「あの人を殺した人をアタシに教えて……」
「ごめんなさい。知らないんです」
「嘘つくんじゃないわよ!! さっさと教えろ!!」
何かにすがるように、乞うように、烏丸先輩はうつむいたままで叫んだ。あたしが本当に知らない事をわかってて、それでも叫びをぶつけたいように見えた。
「……本当です。あたしたちは、先輩を疑っていました」
「あたしがそんなこと………………するわけないじゃない……」
「…………そうですね。すみませんでした」
「いいから…………教えなさいよぅ……」
「本当に知らないんです。それに知っていても教えません。烏丸先輩、それで何する気なんですか?」
答えは聞かなくてもわかってる。そうであって欲しくないと思っているあたしがいたのだ。
「そんなの……決まってるじゃない。アタシが真也の仇を取ってあげるのよ。絶対滅茶苦茶にして……殺してあげるわ」
凄惨な顔で笑う。誰が見ても危険だと思う表情だった。
でも、あたしは、
「もう……もう二度と言わないでください。でないと、あたしは先輩のことを警察に言わないといけなくなるから」
烏丸先輩の気持ちは、わからなくもない。あたしだって、烏丸先輩が真黒くんを傷つけていたら、何をしていたかわからないから。
烏丸先輩は顔を起こして、冷ややかな目であたしを睨む。そして渡したハンカチで乱暴に顔を拭いて立ち上がり、ハンカチをあたしに投げ返した。ゴミ箱行き決定だった。
「あんたたち、なんなの」
何だ、なんなんだろう。
「……刑事さんに頼まれて事件を調べてます」
「あっそう。じゃあ、アタシを止めないとそのうち犯人殺すわよ」
「……………………」
烏丸先輩は黙っているあたしを見て、鼻で笑った。
「何も言えないのね。お遊びで探偵の真似事なんてやってんじゃないわよ。邪魔するなら、あんたたちから殺すから」
「……昼守先輩だって、烏丸先輩に犯罪者になんかなって欲しくないはずです」
聞いたことがあるような台詞しか思い浮かばない。真黒くんとは違って、あたしにはこれがせいいっぱいだった。
「そんなことないわ。真也は喜ぶわよ。そういう人だもの」
「そんな……」
「そうなのよ。アタシは真也と付き合ってたけど、真也は別にアタシのことを特別だなんて思ってなかったわ。他の子と遊んでたのも知ってるしね」
烏丸先輩は自嘲気味に笑う。あたしには理解できないことだらけで、烏丸先輩が正気かどうか疑ってしまった。
「それでも好きだったの。彼にとって遊びだとわかってても好きだったのよ。初めはね、ただ格好良いくらいにしか思ってなかったのよ。でも、彼に声をかけられるのが一種のステータスみたいなところがあったの、アタシたちの学年ではね。だからあの人に声をかけられようと必死で自分を磨いた。声をかけられて、自分が認められた気がしたのよ。認めてもらったから、真也が好きだった。顔も良かったしね。アタシはあんたみたいにちやほやされたことなんてなかったのよ」
「あたしのこと……」
「いい子ちゃんでしょ。知ってるわ。飛び降りたことももちろんね。あんたのこと知らない奴なんていないわよ」
いい子ちゃんと、そう言われてしまったから、烏丸先輩が昼守先輩を好きだと言った理由を変だとは思わなかった。真黒くんはあたしのことをわかってくれる人だったから。初めはそれで惹かれていったんだ。今はもちろんそれが理由で一緒にいるわけじゃない。一緒にいて安心するし、落ち着くし、楽しいし、何よりも、好き。いつだって一緒にいたいと思ってる。真黒くんがいなくなるのは、今は考えられない。
「あたしも、彼があたしのことを理解してくれてるから。だから、烏丸先輩の気持ち、少しわかります」
「あんたとアタシは違うわよ。真也はただアタシの見た目が気に入ったってだけ。あんたたちは気持ちの方なんでしょ。ふんっ、羨ましいわね」
「わかるんですか?」
「わかんないわよ、ちっとも」
そう言って、烏丸先輩は背を向けた。
そして、手に持っていたカッターを投げ捨てる。
「そんなものじゃ、生ぬるいわ」
最後にあたしを睨むように一瞥して、烏丸先輩は去って行った。
烏丸先輩の姿が見えなくなるまで見届けて、
「……っはぁ~~~~……」
大きな溜息が出る。緊張が解かれて出た、安堵の溜息だった。
抱いていた真黒くんの様子を窺う。今は完全に意識を失っているようで、小さな寝息を立てていた。
「大変だったよ」
真黒くんの頬を撫でる。気に入らなかったのか、少しだけ顔をしかめた。
起こさなきゃ。
そう思ってはいるんだけど、どうにも体が拒否反応を起こす。真黒くんの頭を抱きしめて、真黒くんの匂いを吸い込む。変態か、あたし。本当、そろそろ起こさないと歯止めが効かなくなりそう。
まだ起こさないようにして、真黒くんのはだけた制服をもとに戻す。特に鍛え抜かれたわけでも、引き締まっているわけでもない真黒くんの身体。制服のボタンを留める前に、少しだけ身体に触れた。この古傷のことも、聞かせてくれるのかな。あたしはちゃんと受け止めてあげられるのかな。
「あなたには、何が見えてるの?」
一抹の不安に駆られながら、あたしは真黒くんをぎゅぎゅぎゅっと抱きしめるのだった。
「いったぁっ!!」
起きたかナイト様。
お姫様を守ってくれなかったお仕置きだぞ。
「あ、頭がゴツゴツする」
「ちゃんとあるわボケェ!」
うふふ、たまたまあばら骨に当たっただけよ。日々成長してるんだから。多分、ね!
これであたしの役目は終わり。
また真黒くんにバトンタッチだ。
真黒くんなら、今回の件はどうにかしてくれそうな気がする。
烏丸先輩のことも、事件のことも。
何の根拠もなく、そんな気がしていた。




