第3話 お約束の水浴びと、三番目の転生者
王都の巨大な正門を抜け、南へと続く街道を一台の巨大な馬車が進んでいた。
表向きの目的は「南部国境要塞への第一王子による視察」。そのため、用意された移動手段は王室御用達の特別製だった。
外見こそ八頭立ての大型馬車だが、その真価は内部にある。高度な空間拡張の魔導具が組み込まれた車内は、ちょっとした貴族の応接間よりも広い。ふかふかの特注ソファに、長旅の疲れを癒やすベッド、さらには簡単な料理ができるキッチンまで完備されている。
現代日本で言えば、まさに超高級キャンピングカーといった仕様である。
「すっげー! なにこれキャンピングカーじゃん! 王族の特権パネェ!」
窓から顔を出しそう勢いで外の景色を眺めながら、アリシアは目を輝かせてはしゃいでいた。
「お嬢様、言葉遣いが! ……でも、本当にすごいですね。こんなに広い馬車があるなんて」
同乗しているメイドたちも、初めて乗る王室の馬車に落ち着かない様子でキョロキョロと周囲を見回している。
これまで何百回となくループを繰り返してきたアリシアとレオンだが、実はその行動範囲は「王都と公爵領」という政治的な枠組みから出たことがほとんどなかった。暗殺の危険や、破滅の運命を回避するための情報収集に追われ、のんびりと遠出をする余裕など全くなかったのだ。
向かいの席に座るレオンは、南部の視察資料を読むフリをしながら、そっと視線を上げてアリシアを見た。
窓の外を指さして笑う彼女の横顔は、太陽のように眩しい。
(二年後に死ぬなんて嘘みたいに元気だな……)
もし本当に不治の病が彼女を襲うのだとしたら。その残酷な運命を思うと胸が締め付けられるが、同時に、こうして無邪気に笑う彼女を見ていると、レオンの心は不思議と穏やかになった。
(……あいつが笑ってると、少しだけホッとする)
過酷な運命を一時的に忘れさせてくれる、和やかな旅の風景がそこにあった。
しかし、平和な旅路は南部に差し掛かるとともに様相を変え始めた。
王都よりも緯度が低い南部地方特有の、じっとりとした暑さが馬車の中にも入り込んでくる。氷の魔石を使った簡易クーラーのような魔導具もあるにはあったが、南部の熱気にはやや力不足だった。
「あつーい……溶ける……アイス食べたい……」
ソファにぐったりと寄りかかっていたアリシアが、ふと窓の外を見た時だった。
街道から少し外れた場所に、木々に囲まれた美しい湖が広がっていた。太陽の光を反射してキラキラと輝く水面。そして、その浅瀬では一人の可愛らしい少女が、パシャパシャと気持ちよさそうに水遊びをしているではないか。
年齢は八歳くらいだろうか。麦わら帽子を被った少女の姿に、アリシアはバッと立ち上がった。
「あーっ! 見て! あの子めっちゃ気持ちよさそう! いいなー、ずるい!」
「お嬢様、私たちも入りましょう! もう暑くて限界です!」
アリシアの言葉に、メイドたちも一斉に賛同の声を上げる。
「いけませんお嬢様。野外で水浴びなど、高位の貴族の令嬢としてあまりにはしたない!」
すぐさま御者台の方から、アルフォンスの厳格な声が飛んできた。
「えーっ! ケチ! おじいちゃんのわからずや!」
アリシアとメイドたちがブーイングを飛ばすが、老執事は頑として首を縦に振らない。見かねたレオンも書類から顔を上げ、アリシアをたしなめた。
「アルフォンスの言う通りだ。ここは辺境だぞ、魔物が出たらどうする」
「えー? じゃあ、レオンが護衛としてしっかり『見張ってて』くれればいいじゃん?」
アリシアはニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべ、レオンの顔を覗き込んだ。
「水着持ってないから下着になっちゃうけど、相棒の特権ってことで!」
「――――ッ!!」
前世の距離感のバグに加えて、美しく成長した女性としての破壊力抜群のからかい。
レオンの顔が、ボンッと音を立てんばかりに真っ赤に染まった。王族としての威厳も何もあったものではない。
「ばっ、ふざけんな! かっ、勝手に水浴びでも何でもしてろ!!」
真っ赤になった顔を隠すように、レオンは逃げるように馬車を飛び出していった。
「やったー! 許可出た! 行くぞー!」
こうして、アリシアたちの強引な水浴びが決行されることとなったのである。
「冷たーい! 最高ー!」
純白の下着(水着の代わり)姿になったアリシアとメイドたちは、歓声を上げながら湖に飛び込んだ。
突然の見知らぬ集団の乱入に、先客だった少女――エリオットの妹であるリリアは、驚いて目を丸くしていた。
「あ、ごめんね驚かしちゃって。おチビちゃん、一人? 一緒に遊ぼうぜ!」
アリシアが気さくに声をかけ、軽く水を掛ける。リリアもすぐに緊張を解き、キャッキャと笑いながら水を掛け返し始めた。
「お姉ちゃんたち、王都から来たの? すっぐ綺麗!」
「えへへ、でしょー? お姉さんたちね、これからお城を造りに行くんだよ」
年齢差など全く感じさせない様子で、彼女たちはあっという間に仲良くなった。
一方、そこから少し離れた茂みの陰では。
レオンとアルフォンス、そして数名の近衛兵たちが、絶対に湖の方を見ないように背中を向け、円陣を組むようにして周辺を警戒していた。
レオンの耳まで真っ赤になった顔からは、まだ熱が引いていない。
「……絶対に振り返るなよ。もし少しでも目を向けた奴がいたら、極刑だ」
「は、ははっ!」
近衛兵たちが冷や汗を流しながら敬礼する。
そんな、ある種の極限状態にあった彼らの背後に、のんきな足音が近づいてきた。
「リリアー、そろそろ帰らないと母さんが怒る……って、え?」
カゴを手に持った地味な身なりの青年――エリオットは、妹しかいないはずの湖の光景を見て、完全にフリーズした。
そこには、水に濡れて透けかけた下着姿の、見目麗しい美女たちが群れていたのだから。
「きゃあああああああっ!?」
いち早くエリオットの存在に気づいたメイドたちが、悲鳴を上げる。
「うわっ、男!?」
アリシアは咄嗟に自らの胸元を隠すと、近くにいたリリアの腕を引っ張って物陰へと逃げ込んだ。
少女たちの悲鳴が、静かな湖畔に響き渡った。
「何者だ!!」
悲鳴を聞いた瞬間、レオンの頭に血が上った。
茂みを突き破り、水着(下着)姿のアリシアたちから必死に目を逸らしつつ、彼は不審者である青年へ向かって一直線に踏み込んだ。
腰の剣を抜き放ち、一切の躊躇なく振り下ろす。王室で鍛え上げられた、必殺の一撃。
「わっ!? 違う、これは偶然! 何かの間違いで――」
慌てて両手を振るエリオットだったが、レオンは聞く耳を持たない。
(殺す気か!?)
エリオットは内心で毒づきながらも、全く動揺することなく軽く身をこなした。
レオンの鋭い剣閃を紙一重でかわすと同時に、足元の湖の水を操る微弱な魔法を発動させる。ほんの僅かな水流が、レオンの踏み込みの力を利用して、その足を的確に掬い上げた。
「なっ――!?」
レオンの体は盛大に空を舞い、そのまま湖の浅瀬へと頭から突っ込んだ。
「ぶくぶくぶく……ッ!」
水しぶきを上げてもがく第一王子。
しかし、エリオットが安堵する暇はなかった。
王子の無様な敗北を見た瞬間、茂みに控えていたアルフォンスの空気が【温厚な老執事】から【最強の暗殺者】のものへと劇的に変わったのだ。
「……貴様、お嬢様の裸体を覗いた上に、殿下を愚弄するか」
地を這うような低い声。
次の瞬間、アルフォンスの姿がブレて消えた。
音もなくエリオットの完全な死角へ回り込み、袖口から滑り出させた必殺の暗器(毒の塗られた短剣)を、首筋へと放つ。
常人であれば、自分が殺されたことすら気づかずに絶命するであろう神速の刃。
しかし、エリオットは振り返りもしなかった。
彼の周囲の空気が僅かに歪み、見えない「水の膜」が展開される。
カキィィンッ!!
硬質な音を立てて、アルフォンスの暗器が弾き飛ばされた。
「……!」
アルフォンスが驚愕に目を見開く。
エリオットは、内心で滝のような冷や汗を流していた。
(なんだこの老執事!? 殺気が尋常じゃないし、動きが完全にプロの暗殺者だ!)
次々と放たれるアルフォンスの暗器や体術による猛攻を、エリオットは最小限の水の盾とステップで防ぎ続ける。
(しかしお爺さん強すぎる手加減して、無力化するのはかなりキツイな!?)
そう、エリオットの焦りは「負けるかもしれない」という類のものではない。
「少しでも加減を間違えれば、この暗殺者のお爺さんも、後ろにいる妹も、まとめて挽肉にしてしまう」という、次元の違う強者ゆえの縛りプレイの焦りだった。
一方のアルフォンスもまた、尋常ではない焦燥感と戦慄を抱いていた。
(私の初撃を完全に読み切っただと……? いや、それだけではない。防御魔法を展開しているはずなのに、魔力の揺らぎが全く感じられない。息をするように、無意識で高位の魔法を操っているというのか!?)
流れるような連続攻撃を全て「紙一重」かつ「最小限の動き」で防がれ、アルフォンスは冷たい汗を背中に伝わせた。
(こいつ、化け物か。……これ以上は危険すぎる。殿下には申し訳ないが見捨てて、お嬢様だけでも抱えて撤退するべきか……!)
池から這い上がってきたずぶ濡れのレオンが剣を構え直し、近衛兵たちがジリジリと間合いを詰める。アルフォンスは次なる必殺の機を窺い、エリオットは『どうやって彼らを傷つけずに制圧するか』の魔法式を脳内で高速で組み上げていた。
一触即発。誰かがほんの少し動けば、血の雨が降る極限の緊張状態。
エリオットが意を決して強大な非殺傷の防御魔法を展開しようとし、アルフォンスがお嬢様を逃がすために命を捨てる覚悟の特攻を仕掛けようとした、まさにその瞬間だった。
「ちょぉぉぉっと待ったぁぁぁぁっ!!」
茂みの奥から、そんな緊迫した空気をぶち壊すような大声が響いた。
濡れた髪をタオルでワシャワシャと拭きながら、大急ぎで着たであろう着崩れたドレス姿のアリシアが、両手を大きく広げて飛び出してきたのだ。
「ストップ! タイムタイム! 全員ストップ!」
「お嬢様! 危険です、下がって……!」
「違うってばアルフォンス! この人、この子の『お兄ちゃん』だって!」
アリシアの背後から、リリアがトコトコと歩み出てきて、エリオットの腰に抱き着いた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんたちいじめちゃダメー!」
「いや、僕はいじめられてる側なんだけど!?」
エリオットは悲痛な声を上げながら、ようやく張り詰めていた魔力を解いた。
アリシアの「タイム」という前世のノリ全開の鶴の一声により、両陣営の動きがピタリと止まる。
頭から水草を被ったずぶ濡れの王子、いまだに警戒を解ききれず殺気立つ老執事、そして強すぎるがゆえに手加減に困り果てていた大賢者。
そんなあまりにもカオスな構図の中心で、アリシアは呆れたように腰に手を当てて、盛大な溜息をついたのだった。




