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30秒後にまた殺されるので、女友達と婚約することにした  作者: 品川太朗
第5章:執事の正体と、家族の再生

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第5話 光輪の舞と、支配される老執事

グランベル公爵邸の奥深く、静寂に包まれた瀟洒なお茶室。


そこは、以前のループでアリシアが冷たい毒牙に倒れ、レオンが血を吐くような絶望を味わわされた、因縁とトラウマの場所だった。


磨き上げられたアンティークのテーブルの前にアリシアが腰を下ろし、その背後でアルフォンスが淀みない、完璧な所作で香り高いダージリンを淹れている。陶器が触れ合う微かな音だけが響くその空間に、重厚な扉を開けて堂々とした足取りでレオンが入室してきた。


(……ああ。また、この男が来た)


アルフォンスの胸の奥底で、ドロドロとした黒い感情がとぐろを巻いた。


脳裏に焼き付いているのは、先日の庭園で見た「光輪蹴鞠」の光景だ。言葉すら交わさず、視線だけで互いの思考を完全に同調させていた二人の姿。自分には決して踏み入ることのできない、不可侵の領域。


あの一体感を見た瞬間から、アルフォンスの精神は限界を迎えていた。自分が何十年もかけて築き上げた「お嬢様を完璧に守護する箱庭」が、この第一王子によって根底から破壊されようとしている。


(私が排除しなければ、お嬢様が完全にこの男に奪われてしまう。私から、遠く離れた場所へ……っ!)


強迫観念が、ついに決壊の時を迎えた。


レオンがアリシアの隣の席へ悠然と腰を下ろそうとした、まさにその無防備な瞬間。


アルフォンスの細められた瞳に、底知れぬ狂気が宿った。白手袋に包まれた手からティーポットが離れたのと同時、彼の袖口から音もなく滑り出た魔力を帯びた銀のナイフが、必殺の速度でレオンの首筋へと放たれた。


――しかし。


これまでのループであれば、レオンは為す術もなく一瞬で命を刈り取られるか、力任せに剣で弾き返すしかできなかったはずだ。


だが、今回の二人は次元が違った。


レオンは、腰の剣を抜くことすら急がなかった。


彼がナイフの軌道を読み、ほんのわずかに上体を逸らした、その『同時』。座っていたアリシアが、悲鳴一つ上げず、椅子を滑らせるように蹴って半歩だけ後ろへ退いたのだ。


アリシアが退いたことで生まれた僅かな空間。そこへレオンの身体が流れるように滑り込み、必要最小限の動きだけで、死の刃が空を切り裂いていく。


アリシアは一言も発さない。怯えもしない。ただレオンの呼吸に完全に身を委ね、滑らかなステップを踏むように移動を続けている。


(……なんだ?)


確実に仕留めたはずの奇襲が、まるで「最初からそこに二人が存在していなかった」かのように幻のごとく躱された。アルフォンスの背筋に、微かな悪寒が走る。


(今、お嬢様は……殿下が攻撃を避けるより“先”に動いたぞ……?)


殿下が避けたからお嬢様が動いたのではない。二人の思考が完全に連結しており、攻撃が来ることを前提とした『回避の陣形』が、言葉なしに一瞬で構築されたのだ。


「……ッ!」


アルフォンスは動揺を強靭な精神力で押し殺し、即座に次の行動に移った。懐から無数の暗器を取り出し、極限まで圧縮された風の魔刃を織り交ぜながら、苛烈な連撃を繰り出す。


しかし、盤上の支配権はすでにひっくり返っていた。


アルフォンスの剣筋や魔術の軌道は、どんなに苛烈であっても一つの絶対的な法則に縛られている。それは「アリシアに破片や血の一滴も飛ばさない」という、無意識下に刻み込まれた360度の安全圏の維持だ。


その法則を、二人は逆手に取った。


アリシアが、あえてアルフォンスの死角や、「そこに入られると庇いづらい」という危険な位置へと、流れるようなツーステップで移動する。


するとアルフォンスは、長年の強迫観念とも言える防衛本能により、「反射的」にお嬢様をカバーしようと自らの立ち位置を崩して移動させられてしまうのだ。


そして、その『アルフォンスが移動させられた先』には。


ギィィィンッ!!


あらかじめ完璧なタイミングで待ち構えていたレオンの剣が、アルフォンスの暗器を重い一撃と共に弾き飛ばした。


「くっ……!」


激しい攻防の末、無敵の怪物を誇っていたアルフォンスの息が、初めて微かに上がった。


額に滲んだ汗。乱れた燕尾服。


アルフォンスは、ここでようやく決定的な事実に気がつき、驚愕に目を見開いた。


(私が殿下を追い詰めているのではない。……この二人が、私を盤上の駒のように誘導しているのだ)


光輪蹴鞠の狂気的な特訓で培われた、言葉のない完璧な同調。


アリシアが進めばレオンが下がり、レオンが踏み込めばアリシアが回る。二人が描く円舞のような動きの中で、アルフォンスの絶対的な暴力は完全に空転させられていた。


いつしかアルフォンスは、自分が一番安心できるはずの場所――「お嬢様の絶対的な盾となる位置」に、どうしても立つことができなくなっていた。


彼がそこへ行こうとすれば、アリシア自身がその射線を外し、レオンの背中へと回ってしまうからだ。


(ば、かな……。私がお嬢様を、守れない……?)


アルフォンスの視界が、絶望に揺らいだ。


彼が何十年も人生を捧げ、自身の魂をすり減らしてまで執着してきた「過保護な守護」。それが、若い二人の圧倒的な絆の前に完全に無効化されている。


(いや、違う。お嬢様ご自身が、私を拒絶する位置へ動いておられる……!)


自分の存在意義が、音を立てて崩れ去っていく。


暴力で打ち負かされるよりも遥かに残酷な心理的敗北。


その一瞬の致命的な動揺を、レオンが見逃すはずもなかった。


踏み込み、閃刃が走る。


暗器を弾き飛ばされたアルフォンスの喉元に、レオンの冷たい剣先がピタリと突きつけられた。


完全に追い詰められた、チェックメイトの瞬間。静まり返ったお茶室に、アルフォンスの荒い呼吸音だけが響く。


しかし、狂気と長年のプライドを捨てきれない老執事は、喉元に刃を突きつけられながらも、わざとらしく口角を吊り上げて冷笑を浮かべた。


「……なるほど。お二人の動きはもはや一心同体。見事な連帯です、殿下」


白手袋の下で手が微かに震えているのを必死に隠し、アルフォンスは強がるように言葉を絞り出す。


「だが……死の淵にあるお嬢様を導き、あらゆる悪意から守り抜くには、殿下はまだあまりにも未熟だ。私がいなければ、お嬢様は……っ」


それは、ただの哀れな老人の叫びだった。


まだ「自分がいなければダメだ」と、己の存在意義にすがりつく、どうしようもなく孤独で不器用な怪物。


その痛ましくも悲しい強がりを聞いて。


レオンとアリシアは、静かに、優しく視線を交わした。


そしてレオンは、アルフォンスの喉元に突きつけていた死の刃を、ゆっくりと、一切の殺意を収めて鞘へと下ろしたのだった。

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