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「これなら……これならいけるはずだ……!」
コウタは震える手で、魔導端末の画面を見つめていた。
少子高齢化が進み、若者の価値が金塊よりも高いと謳われるこの異世界。
だが、現実は残酷だ。
上位一割の美男子や英雄が、残りの九割の女を独占する。
残されたのは、コウタのような「健康なだけの在庫」だ。
「魔法修正、最大値……。肌のくすみ消し、瞳のハイライト追加、顎のラインも削って……よし」
画面の中には、自分であって自分ではない、絶世の美青年がいた。
これなら、誰の目にも止まらない「コウタ」ではない。
彼は一縷の望みをかけ、国営マッチングアプリ『エターナル・リンク』の海へ、偽りの自分を放り出した。
「頼む……誰でもいい。返事を……マッチをくれ……!」
コウタは獲物を待つ獣のように、端末の淡い光に顔を照らされながら、画面を凝視し続ける。
一分。
五分。
十分。
通知は来ない。
代わりに、検索画面には「この条件で探す」と設定した女性たちの、冷徹なまでのスペックが並び続けていた。
『28歳・商家の長女。希望条件:年収500万以上、または上位魔法習得者。若さだけが取り柄の方は不要です』
『24歳・元冒険者。希望条件:私より強い方のみ。足跡は結構です』
『31歳・官吏。若くて可愛い子募集。でも、自撮りが加工まみれの男は生理的に無理です』
コウタの心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
見透かされている。
いや、そもそも視界にすら入っていないのか。
彼は必死に、手当たり次第に「いいね」の魔力を送った。
指が痛くなるほど、画面をスワイプし続ける。
「ああ、クソッ……! 誰か、一人くらい、間違いでもいいから引っかかってくれ……!」
その時、端末が短く震えた。
期待で視界が歪む。
慌てて確認した画面には、無機質な魔法文字が浮かんでいた。
『お相手からメッセージが届きました』
コウタは叫びそうになるのを堪え、その開封ボタンを連打した。
相手は「リリ」という名の、可憐な花のアイコン。
だが、そこに綴られていたのは、恋の始まりとは程遠い言葉だった。
「……え?」
「よし……っ、よし! きた、ついにきた……!」
コウタは裏返った声を上げ、狭い部屋で拳を突き上げた。
あまりの興奮に指先が震え、端末を落としそうになる。
心臓の鼓動が耳の奥でうるさいほどに鳴り響いていた。
「ええと、返事、返事だ。……あ、いや、待てよ。あんまり食いつきすぎると引かれるか? いや、でも返さないと忘れられるし……」
数分間、書いては消し、書いては消しを繰り返す。
結局、捻り出したのは、教科書のように誠実で、そして面白みのない挨拶だった。
「はじめまして、よろしくお願いします。コウタって言います」
送信ボタンを押す。
魔力が端末に吸い込まれ、メッセージが「既読」になるのを、コウタは息を止めて見守った。
すると、すぐに返信の振動が手元に伝わる。
『リリ:はじめましてー。コウタさん、写真かっこいいですね! 魔法騎士団の方か何かですか?』
コウタは鼻の下を伸ばし、一気に顔を紅潮させた。
やっぱり加工の成果だ。
嘘はついていない、ただ少しだけ「見栄え」を整えただけだ。
「……騎士団? いや、ただのフリーのハンターだけど……。でもここで正直に言うのもな……」
コウタが次の言葉を迷っている間にも、画面の向こうの「リリ」は饒舌に言葉を重ねてくる。
『リリ:私、強い人って尊敬しちゃうんです。今度、直接会ってお話ししてみたいかも(笑)』
あまりにもトントン拍子。
童貞のコウタの脳内では、すでに彼女とのバラ色の未来が猛スピードで展開され始めていた。
だが、彼は気づかない。
リリのアイコンの背後に、微かな「ノイズ」が混じっていることに。
そして、他のマッチング候補者たちが、まるで見えない力で「排除」されているかのように、彼女以外からの反応が一切消え失せていることに。
「よし……いける。これはいけるぞ……!」
コウタは舞い上がり、ニヤける口元を抑えきれない。
相手から「会ってみたい」なんて言葉が出るなんて、今までの人生で一度もなかったことだ。
彼は必死に、余裕のある男を装って返信を打ち込む。
「フリーでハンターやってます。リリさんは何してますか?」
送信。
既読はすぐについた。
画面の向こうで、リリ――後にコウタの運命を最悪の形で塗り替えることになる「サクラ」――は、冷徹な手つきで端末を操作している。
『リリ:ハンターさんなんですね! 素敵。私、最近ちょっと困ったことがあって……。実は、街の外の魔力溜まりで大切なアクセサリーを落としちゃったんです』
画面に、潤んだ瞳の魔法自撮りが送られてくる。
加工された自分よりも、はるかに「完成された」美少女の姿。
『リリ:コウタさんみたいな強い人なら、きっと見つけてくれますよね? もし見つけてくれたら……お礼に、私の家で手料理をご馳走させてください(笑)』
コウタの脳内で、期待という名の毒が全身に回る。
「家」「手料理」という甘美な響き。
彼はもはや、自分が送った加工写真の嘘も、相手の正体がこの枯れ果てた世界の「システム」の一部である可能性も、完全に忘却していた。
「アクセサリー……! 任せとけって。俺がすぐに見つけてやるから……!」
その時、端末の端に、一瞬だけ赤いノイズが走った。
それは、特定の個体をおびき寄せるための、国営アプリに仕込まれた「罠」が作動した合図だった。
「よかったらまどろみの森で一緒に探しませんか?」
送信ボタンを押す指が、期待で小刻みに震える。
もし「いいですよ」なんて返ってきたら、それは実質、初デートじゃないか。
コウタは鏡の前に立ち、ボサボサの髪を必死に手櫛で整えた。
魔法加工された画面の中の自分と、鏡に映る冴えない自分を交互に見る。
「……いや、大丈夫だ。森の木漏れ日の中なら、多少の差なんてバレやしない」
自分に言い聞かせ、期待に胸を膨らませて返信を待つ。
すぐに端末が震えた。
『リリ:えっ、いいんですか!? 嬉しい……! でも私、足手まといになっちゃうかも。森の奥にある「古い祭壇」の近くで待ってますね。コウタさんに会えるの、楽しみにしてます!』
「やった……!」
コウタは叫び、天を仰いだ。
二十何年間の孤独が、たった数通のやり取りで報われたような気がした。
彼は使い古された革の鎧を急いで身に纏い、錆の浮いた剣を腰に差して、部屋を飛び出した。
街の外へ続く街道を、コウタはほとんど駆け足で進む。
すれ違うのは、腰の曲がった老人や、無気力に杖をつく年寄りばかり。
彼らの濁った瞳が、若さゆえの熱を撒き散らして走るコウタを、まるで供物でも見るかのような目で見送っていることに、彼は全く気づかない。
「まどろみの森……待ってろよ、リリ!」
森の入り口にたどり着くと、そこには不自然なほど静謐な空気が漂っていた。
風に揺れる葉の音が、まるで誰かの囁き声のように重なって聞こえる。
コウタは鼻歌混じりに、彼女が待つという「古い祭壇」を目指して、深く、暗い緑の奥へと足を踏み入れた。
だが、歩けば歩くほど、妙な違和感がコウタを襲う。
森の奥から漂ってくるのは、花の香りではなく、どこか生臭い、泥のような臭い。
そして、茂みの向こう側。
誰かが、コウタの足取りを「記録」しているかのような、硬質な視線を感じていた。
「……嘘、だよな」
コウタは、岩の上に腰を下ろし、冷え切った指で魔導端末を見つめた。
陽はとっくに沈み、まどろみの森は「まどろみ」どころか、捕食者の吐息が満ちる闇へと変貌している。
「リリさん、もう夜です。危ないから、一度戻りませんか?」
メッセージを送ろうとしたが、指が止まった。
最後に届いた『すぐ近くにいます』という言葉から、もう一時間が経過している。
既読はついているのに、返信はない。
暗闇の中で一人、端末の青白い光に照らされる自分の「加工された顔」が、ひどく滑稽で、おぞましいものに見えた。
ふと、画面の隅に表示されている運営広告が目に入る。
『今夜のプレミアム・マッチ! 騎士団長クラスの男性と、リリ様がマッチングしました!』
「あ……」
喉の奥から、乾いた音が漏れた。
リリ。
彼女は、自分を探していたわけじゃない。
自分のような「在庫」を森の奥へとはぐらかし、その間に本命の「資源」を品定めしていたのだ。
自分はただの、システムの穴を埋めるための数合わせ。
サクラ。
その言葉が、泥のような重さで胃の底に沈んだ。
「……帰ろう」
期待が、一気に冷え切った殺意に近い虚脱感へと変わる。
幸い、待ちぼうけを食らっている間に、襲いかかってきた低級の魔物を数匹、無意識に返り討ちにしていた。
その素材を剥ぎ取った袋だけが、今のコウタに残された唯一の現実だった。
「腹減ったな……」
とぼとぼと、重い足取りで来た道を戻り始める。
魔法の輝きを失った森は、ただの暗い牢獄だ。
すると、手元の端末が、弱々しく点滅を始めた。
『警告:魔力が不足しています。魔導通信を遮断します……』
「はは、お前までかよ」
プツン、と光が消えた。
この世界と自分を繋いでいた、唯一の糸が切れた瞬間だった。
真っ暗な森の中、コウタはただ、自分の足音だけを頼りに夜を歩き続けた。
各駅停車の絶望
ガタゴトと、魔導列車の重苦しい振動がコウタの身体を揺らしていた。
深夜の車内には、疲れ切った老人たちと、数少ない若者が数人、互いの距離を不自然に空けて座っている。
コウタは、魔力が数パーセントだけ回復した端末の画面を、取り憑かれたようにスクロールし続けていた。
『リリ:ごめんね、急に用事ができちゃって! また今度、絶対会おうね(ハート)』
読み返すたびに、胃の奥から酸っぱいものが込み上げてくる。
今度なんて来ない。
あの後、彼女のタイムラインには、豪華なレストランで「誰か」と食事をする写真がアップされていた。
背景に映り込んだ男の腕には、騎士団の紋章。
「結局、これかよ……」
コウタは自嘲気味に呟き、画面を閉じる。
だが、数秒後にはまた、無意識にアプリの「マッチング履歴」を開いていた。
消せないのだ。
自分が「選ばれた」という、あの数分間の高揚感という毒が、まだ血の中に残っている。
コウタのすぐ隣。
肘が触れそうなほどの距離に、一人の少女が座っていた。
使い古されたハンター用のジャケットを羽織り、深く被ったフードの隙間から、冷徹な光を湛えた瞳が端末を見つめている。
彼女の画面には、コウタとは正反対の、吐き気がするほどの「通知」が溢れ返っていた。
『今から会える? 場所指定してくれたら魔導馬車で迎えに行くよ』
『君の顔、マジでタイプ。一晩だけでいいから、俺の「愛」を受け取ってくれない? 金は払う』
『結婚とか面倒なのは抜きでさ。若いうちに楽しもうよ』
カナは、それらのメッセージを一つ一つ、ゴミを処理するかのような無機質な手つきで「ブロック」に放り込んでいく。
彼女が求めているのは、生存のための契約でも、一時の快楽でもない。
この枯れ果てた世界で、自分を「資源」としてではなく、一人の「個」として、歪んだ執着とともに見つめる対象だ。
二人の視線は、それぞれの端末に吸い込まれたままだ。
コウタは、存在しない「愛」の残骸を追い。
カナは、溢れかえる「欲望」の泥を掃く。
列車のブレーキが耳障りな音を立てる。
二人の身体が、慣性でわずかに同じ方向へと傾く。
だが、まだ彼らは、隣に座る人間が、自分と同じ「飢え」を抱えていることにすら気づいていない。
「……これも、サクラか」
コウタは暗い車内で、乾いた声を漏らした。
画面を埋め尽くす、可憐な少女たちからの「いいね」の嵐。
かつての彼なら、狂喜乱舞して飛びついていただろう。
だが、今のコウタには見える。
あまりにも返信が早すぎる、あまりにも話が出来すぎている。
プロフィール文の行間から滲み出す、機械的な「おびき寄せ」の匂いが、鼻をつく泥のように感じられた。
「結局、俺みたいなハンターに寄ってくるのは、運営のシステムか、俺の装備を剥ごうとするカモリストだけなんだな」
彼は、届いたばかりの『寂しいから今すぐ会いたいな』というメッセージを、吐き捨てるように削除した。
期待という機能が、自分の中で死んでいくのを感じる。
それでも、指は止まらない。
何か、自分を決定的に破壊してくれるような、本物の「毒」を求めて、彼は画面をスワイプし続けた。
隣の席で、カナが小さく舌打ちをした。
彼女は、自分に向けられた、下品で剥き出しの「種子への渇望」を、憎しみを込めてスクロールしている。
二人の間には、一言の会話もない。
だが、二人が見つめる魔導端末の光だけが、同じ青白さで、二人の横顔を等しく残酷に照らしていた。
「……どうせ、全部嘘なんだろ」
家に戻ったコウタは、明かりもつけずにベッドへ倒れ込んだ。
泥のついた装備を脱ぐ気力さえない。
手元に残ったのは、微かな魔力を放つ端末と、そこから溢れ出す偽造された愛の残骸だけだ。
画面をスクロールする。
煌びやかな自撮り、甘ったるい誘い文句、騎士団員に群がるサクラたち。
それらすべてが、今のコウタには不快なノイズでしかなかった。
「だったら、もう……これでいいよ」
コウタの指が、検索条件の最底辺を叩く。
顔写真なし。
自己紹介文、未記入。
登録したばかりか、あるいは世界に絶望して放置されたかのような、空白のプロフィール。
そこには、もはや「誘惑」の意図すら感じられない、無機質な黒いアイコンが並んでいた。
「お前も、俺と同じで何もないんだろ……?」
コウタは自嘲気味に笑いながら、その中の一人、「カナ」という名のアカウントに指を置いた。
期待なんてしていない。
返事が来るはずがない。
ただ、この虚無感を誰かにぶつけずにはいられなかった。
「いいね」を連打する。
一回、二回、三回。
魔導端末が、その執拗なタップに悲鳴を上げるように細かく振動する。
「こいよ。サクラでも、システムでも、なんでもいい。俺を、もっと惨めにさせてくれよ……!」
返信を待つためではない。
自分を拒絶し、無視し続けるこの「空白」こそが、今の自分にはお似合いだ。
コウタは画面を睨みつけたまま、狂ったように親指を動かし続けた。
その時。
死んでいたはずの端末が、かつてないほど激しく、心臓を抉るような不快な音を立てて震えた。
『通知:マッチングが成立しました』




