第三章 その3
空が傾き始め、夕焼けが顔を出す中、赤に照らされて不気味に佇む廃墟を見上げたオフィーリアは、不安げにアイシアを伺う。アイシアは目を鋭くとがらせ、侵入に使う窓をじっと眺めていた。
「来た。……行くよ」
アイシアがバッと立ち上がり、ノータイムで窓を突き破る。大きな音が鳴ったが、騒がしくなっている様子がない。驚いてアイシアを見ると、もう窓枠を乗り越えている。
「この部屋は昔、粗相をしたものの折檻部屋として扱われていたの。だから音が漏れないようになっている」
なるほど、と頷き、ミヨとオフィーリアも窓枠を乗り越える。部屋の扉を開け、頭に叩き込んだ地図を頼りに廊下を走り抜け、書庫に滑り込む。ミヨが魔法でドアノブを叩き落とした。カーペットの上にドアノブが虚しく転がり落ちた。
「すごい数の魔導書ですね」
本棚には所狭しと古いものから新しいものまで魔導書が並んでいる。
「流石はスタラミー家、といったところでしょうか」
ミヨが感心していると、アイシアは一番奥の目立たない本棚から一冊、汚れた本を抜き取った。
「わかりやすい鍵ね」
すぐさま右の本棚が下へ動き、暗い通路が現れた。同時に、扉がガチャガチャと音を立てる。
____あれ? 開かないな?____
____鍵、かけたままなのか____
「来た。急ぎましょう」
ミヨに背中を押され、オフィーリアは通路の中に入る。通路を通り抜け、執務室に入ると、そこにあった本棚の開いた場所に汚れた本を差し込んだ。すると別の本棚がせりあがってきて、通路を塞ぐ。
「ミヨ、扉塞いで」
「ええ」
再びミヨが厨房に繋がるドアノブを叩き落とした。綺麗な装飾なのに勿体ない、とオフィーリアはぼんやり考える。
「オフィーリア、机の上に鍵はある?」
「鍵ですね」
アイシアに聞かれ、オフィーリアはすぐに大きな机の上をひっくり返し始めた。小さな文字でびっしり書き込まれた資料を手に取ると、そのしたに鍵束があるのを見つけた。
「これ!」
「……それだ、鍵。持っていって、行くよ」
オフィーリアが懐に鍵束をしまうと、アイシアが階段に繋がる扉を開いた。禍々しく不気味な石の階段が視界に飛び込んでくる。
「でも、どうしてこの鍵を?」
「クリスティーナから聞いたの。その鍵、持ち手に鳥がデザインされてるでしょ。それ、地下施設の鍵みたい」
オフィーリアは階段を駆け下り、鍵の持ち手をまじまじと見る。銀色の鳥が両翼を広げ、羽ばたいている絵が描かれている。
「オフィーリアさん、行きましょう」
ミヨに急かされ、オフィーリアは目の前の穴に飛び込んだ。さらに続く地下への道を素早く進んでいき、やがて視界が大きく開けてから立ち止まった。眼下に明らかに人でも、動物でもないものが蠢いている。
「これは……魔物?」
「スタラミー家の兵器かしら」
魔物に見つからぬよう静かに、ゆっくりと広場を抜け出す。鼻に腐卵臭がからみ始めた。
「この臭い……鉄扉が近いのかしらね」
「鼻がまがりそうな臭いね」
アイシアとミヨに先導されつつ、オフィーリアは鍵を握りしめ、後ろを振り返りながら走った。やがて腐卵臭が一層強くなったあるスペースに大きな鉄扉を見つける。その前を二人のガタイのいい男が守っていた。
「どう突破するんです?」
「そんなもの、魔法に決まってるでしょ!」
アイシアが勢いよく岩陰から飛び出し、魔法を打った。
「眠らせる魔法」
男たちは騒ぐまもなく、白い煙幕に包まれて倒れる。
「魔法耐性がないならずものね」
「オフィーリアさん、鍵を開けてください」
鼻が曲がるほどの悪臭に耐えながら、一番大きな鍵を鍵穴に差し込む。鍵のかかっていない鉄扉は容易く開いた。中にはいくつもの箱のような牢屋が所狭しと並んでいる。中に入れられた人間は、牢屋を一心不乱に噛んだり、地面に指を突き刺したり、ぶつぶつ何か呟いたりと、明らかに正気を失っている。オフィーリアの髪を腐卵臭の風が撫でた。
「キラはまだ捕らえられて日が浅い。正気を保っている人間を探して」
「二手に別れましょう。オフィーリアさんはこちらに」
ミヨについて、アイシアと別れる。腐卵臭の酷い道を奥まで進む最中、か細く何かが聞こえた気がした。振り向くと、蹲っている一人の男が入った牢屋を見つけた。……他の人間たちと違い、まだ姿が整っている。
「……あなたが、キラさん?」
男はバッと顔を上げた。
「キラ、あなたもすぐに脱出するのよ!」
そう言って逃げ出したクリスティーナを見送り、キラは後ろからやってきた雇われの兵士たちに刃を向ける。
「お嬢様は捕らえさせない」
そう言ってならずものに斬りかかり、結果として数に負け、海を越え、巨大地下施設に詰め込まれ、この粗悪品の牢屋に放り込まれ、何日が経ったか。自分の体についた腐卵臭があまりにも耐え難く、もう鼻は機能をやめている。両隣の牢屋に入っていた女二人は、一昨日に事切れた。体も伸ばせない鳥籠のような牢屋は、キラにはとても耐え難かった。最初こそ自らの持っていた物で脱獄を試みたが、魔法のかけられたこの檻は人間の力で破ることはできない。腐りかけのパンと汚れた水だけで、この不衛生な鳥籠を生きることはできない。もう両手が動かなくなってきた。蹲ったまま、ゆっくりと忍び寄る死を待つ。不意に二人分の静かな足音が聞こえた。今日の飯の時間だろうか。もう顔を上げる気力もなくて、お嬢様、とただ一つだけ呟く。足音が止まった。
「……あなたが、キラさん?」
顔を上げたキラはオフィーリアを呆然と眺める。
「……なんで、俺のことを……」
か細い声が響く。
「アイシア! 見つけたわ!」
ミヨが鋭く叫んだ。すぐにアイシアが走ってくる。
「あなたがキラね、オフィーリア鍵開けて!」
「はい……!」
オフィーリアはしゃがみ込み、檻の鍵穴に鍵をひとつひとつ差し込み回す。合わない。焦っていると、キラが呟いた。
「……その、一番小さな鍵が、この檻の鍵です」
オフィーリアは言われた通り、一番小さな鍵を穴に差し込む。簡単に鍵は開き、音を立てて檻が開いた。
「出られますか?」
「うっ……はい……」
キラはゆっくりと檻から這い出る。そして唖然とした表情で周囲を見回す。
「動ける? 脱出するよ」
「あ……もう、腕が……」
「足は!」
「動きます……」
キラは疲れ切った表情で、それでも懸命に立っていた。
「よし。行くわよ、キラ。」
「どこに?」
「クリスティーナ様のところに、です」
ミヨがキラの手を引く。
入り口の方がにわかに騒がしくなりはじめた。
「気づかれた!」
「キラ、別の出口はないの?」
「いえ……ここは、袋小路です」
キラの返答にアイシアは大きく舌打ちした。そして、入り口から遠ざかるように走る。
「ミヨ、認識阻害かけて」
「ええ。認識阻害魔法」
ミヨたち四人を魔法陣が包みこんで、認識阻害がかかる。これで正体はバレないはずだ。
「奥! 行くよ」「え?」
オフィーリアは驚いてアイシアを仰ぎ見る。
「これは罠。たぶんどこかに出口があるわ」
「根拠は?」
アイシアが更に奥へ奥へと走る。
「おかしいと思わない? クリスティーナは、スタラミーの本邸から逃げ出してきたのよ」
「! 彼がここにいるのは、たしかに不自然ね」
オフィーリアに支えられるキラを横目に見ながら、ミヨも賛同する。
「いくら愛娘に近しい者だからって、わざわざ自分の手元に置いておく必要はないわ。たぶん、クリスティーナを誘き寄せて捉える算段だったんじゃないかしら」
「なるほど。確かに、ジェッタ・スタラミーがわざわざ簡単に侵入できるルートを残しておくわけがないわ」
「それに、この腐卵臭。気づいてる? こっち、薄くなってる」
「!」
オフィーリアはそこで初めて、鼻につく腐卵臭がやや消えていることに気がついた。周りの檻は段々と増えてきた。
「クリスティーナはキラに大の信頼を寄せている。ならば、キラの言葉を信じてもおかしくはない」
「キラさんに袋小路であると思い込ませて、入り口にクリスティーナ様を?」
「そういうこと!」
やがて積まれていた空の檻もなくなり始めた。薄暗い通路の向こうに、水路が見える。
「ビンゴ」
アイシアはにやりと笑い手のひらを水路にかざした。
「干上がる魔法」
水路の水が見る間に干からびる。その水路に降り立ち、走る。
「でもどうして?」
「風よ」
オフィーリアは先程、自分の髪を風がさらったのを思い出した。
「そよ風ともいえない微風だったけど、風は通り道がないと吹かないもの! どこかに必ず外に繋がる場所があるはず」
水路を走り抜けると、やがて別の部屋に出た。
「上がるわよ」
オフィーリアはキラを引っ張り上げる。キラは肩で息をしながら、走り出した。
「階段! 急いで!」
その声にオフィーリアが前を見ると、あの不気味な石階段が佇んでいる。キラを押し上げ、階段を昇りきると、侍女たちが悲鳴を上げて逃げ出した。
「東階段だったようですね。オフィーリアさん、大丈夫ですか」
「はい!」
キラの体を支える手に力を込める。もう少し。
「……二階の……東側……」
「キラさん?」
「そこに……お嬢様の……」
「そこになにかあるんですね?」
キラは頷く。オフィーリアと視線がかち合った。アイシアが走り出す。扉をいくつも開け放ち、大広間から二階へ駆け上がる。オフィーリアもなんとか上りきり、キラとともに走る。
「その……部屋……」
どんどん騒がしくなる屋敷の中を突き進み、キラが顎で差した部屋の扉を押し開ける。そこに広がる光景に、オフィーリアは息を呑んだ。金色の美しい怪鳥が、オフィーリアたちを見下ろしていた。月光が怪鳥の翼を照らし、きらめく。
「クリスティーナの魔法……! 乗るわよ!」
ぐったりしたキラを背中に乗せて、アイシア、ミヨが乗る。最後にオフィーリアが乗ろうとしたところで不意に、動きをとめた。
「……え?」
「オフィーリア! はやく!」
アイシアに引っ張り上げられ、ミヨに抱き寄せられる。腐卵臭とは違う、静謐な香りが、オフィーリアを動揺させる。怪鳥が翼を広げ、バルコニーから勢いよく飛び立った。
屋敷がどんどん遠くなっていく。
「……」
「オフィーリアさん? どうかなさいましたか?」
怪訝そうにオフィーリアの顔を覗いてくるミヨに、なにも返せなかった。




