第三章 その2
アイシアの指が内部図の上を滑る。細長い爪がなぞっていくたび、小さな跡が残る。
「侵入経路はもう割り出してある。日没、この窓がある部屋の警備が手薄になるから、そこを狙って侵入。その後、ここの廊下を通って書庫。」
名前のつかない部屋から指が通り抜け、書庫にたどり着く。不自然な赤い丸が書庫の角につけられていて、アイシアはその丸をトントンと叩いた。
「ここに当主の脱出用の通路があるはず。ここを通ってジェッタ・スタラミーの執務室に出る」
「随分作り込まれている。ここは地下施設のカムフラージュのための建物ではないの?」
「先々代の国王が隠居の際に住処として建てたものみたいよ。彼が亡くなった後、ジェッタ・スタラミーの父親が買い取ったみたい」
アイシアとミヨがそんな話をしながら、見取り図を隅から隅まで眺め尽くす。オフィーリアはアイシアの顔色を伺いながら躊躇いがちに口を開く。
「あの、何故執務室に行くんですか?」
「地下施設までの通路に、見張りがいないから」
「見張りが……いない?」
アイシアは目を細め、呆れた、というふうに肩を落とし首を振る。オフィーリアはその態度に眉を顰めつつも、顔を取り繕った。
「ジェッタ・スタラミーは姿を見られることを嫌います。故に雇う人間も身寄りのないならず者ばかり。」
ミヨが補足する。改めてオフィーリアが見取り図を目でなぞっていくと、赤で囲まれた執務室から地下施設へ続く西側の階段への廊下に、人間が入れる扉はない。当主の部屋を経由する以外に、見張りの目をくぐる方法があるとは到底思えなかった。
「確かに、西側の階段を使うには、厨房から執務室に入ってそこからこの廊下を渡らなければいけないんですね」
「そう。人と鉢合わせる可能性の低いルートってわけ。次に地下施設に入ってからだけど、これは見取り図がないからわからない」
「でしょうね」
ミヨが眉根を寄せる。
「ただクリスティーナは、『鉄扉で閉められた腐卵臭のする部屋』だと言っている」
「それはまた、入るのが大変そうな」
「だからそれを逆手に取る」
アイシアの意図を読み取ろうとオフィーリアは目線を上げる。アイシアはそんなオフィーリアには気が付かず、ソファに勢いよく腰を投げ出した。
「その鉄扉が開かないのを前提に魔法でぶち壊す」
ぐっ、と掌をきつく握りしめたアイシアは、瞳に闘志を燃やした。
「キラを救出したら、オフィーリア。貴方が残って宣戦布告して」
「っえ?」
「ちょっと、アイシア。それは」
突然のことにオフィーリアは唖然とし、ミヨは勢いよくアイシアに詰め寄る。
「仕方ないじゃない。顔が割れてないのは貴方だけなのよ」
「けれど、オフィーリアさんは戦えないわ。私が認識阻害をかけて残る」
「駄目に決まってる」
鋭い声がミヨを刺す。アイシアは悪魔のような顔でオフィーリアをゆっくりと仰ぎ見た。その仕草ひとつひとつが芝居じみていて、オフィーリアは居心地の悪さを覚える。
「ね、オフィーリア。ミヨはこの先、計画に必要なの。だから貴方が死んで?」
「……………」「……………」
ミヨとオフィーリアは顔を合わせて黙りこくる。ミヨは静かに首を左右に振った。話していない、というサイン。密かに二人で決めたものだった。
「……っい、意図をお伺いしてもよろしいですか」
声が裏返りそうになるのを叱咤し、アイシアを見下ろす。アイシアは鼻でふっと笑った。
「ヴァイオレット様の側近なのにそんなこともわからないの? この計画が誰かの命が失われるなら、最も失われてはならないのが私、失われても対して変わらないのが貴方じゃない?」
「アイシア、それは違う。オフィーリアさんはヴァイオレット様の精神的支柱に成ろうとしている。今彼女を失うのは痛いの」
「……随分この側近を庇う。そんなに大事?」
「ええ」
ミヨがきっぱりと言う。アイシアとミヨは暫し睨み合った後、互いに立ち上がり、息のかかる距離まで顔を近づけた。先に折れたのは、アイシアだった。
「……わかった。じゃあ、魔法で破るのはやめよ。執務室を荒らして帰りましょう」
「荒らす!?」
思わずオフィーリアは素っ頓狂な声を出した。アイシアはなに、と胡乱な目を向ける。その冷たい瞳にオフィーリアは慌てて居住まいを正した。
「いえ、なんでも」
「ん、いい子。さて、行くよ。今から走れば日没までには間に合うんだから」
そう言ってすたすたとアイシアは出ていった。残されたオフィーリアは大きくため息を付く。その場にへたり込んだのをミヨが支えた。
「……あの子は昔からああなのです。利益主義、といいますか」
「……なんとなく、わかります、」
その返答をするのが精一杯だった。ミヨはさみしげにアイシアが出ていった扉を見つめた。
「目的のために、手段を選ばない人間なんです」




