明くる日を変えられたなら
姉が見せてくれたスマホの画面には、確かに昨日の日付である八月二日が映し出されていた。
「騙すために、スマホの日付変えてんのか?」
「そんな訳ないじゃない。」
姉はそう言うと、リモコンを持って、テレビを点けた。
「今日、八月二日は、お菓子の日と言うことで、これから流行るであろう最新お菓子を先取りチェック!」
姉が点けたテレビでは、朝の情報番組のキャスターが、元気よくその番組のワンコーナーを始めていた。
「へえー、今日ってお菓子の日なんだ。……ね?分かったでしょ。今日は八月二日、それで朝陽の学校の登校日は今日でしょ。昨日、朝陽が七時半までに起きなかったら、起こしてくれって言ってたでしょ。」
確かにそんなことを言ったが、それは一昨日の八月一日のはずだ。今日は八月三日じゃないのか?
姉も、姉のスマホも、テレビまでも、昨日の日付を言っている。これはどういうことだ。本当に今日は八月二日なのか。まさか、時間が巻き戻ったとでもいうのか?
そんなことありえるはずがない。僕は夢でも見ているのだろうか?僕は右頬をつねってみるが、確かに痛みはあるし、目は覚めることはない。
現実なのか?
僕は二回目の八月二日を生きているということだろうか。俗に言うタイムリープと言う奴だろうか。現在の状況を推測すると、八月三日を迎えようとしていた自身の記憶だけが時空を超えて、八月二日の朝に戻ったということになるのだろう。
「早く制服に着替えて、学校に行く準備をしなさい。遅刻するわよ。」
「本当に飛び降り自殺とか、最近、病院に僕を迎えに行った記憶はないんだよな?」
「飛び降り?病院?全く身にお覚えがないわね。」
姉は首を傾げた。姉が最初の八月二日の記憶を持っていないことを確認し、ほっとした気持ちになる。これでいつも通りの日常に戻ったということだ。これから起きることを避けることができれば、今日は何も起こることもなかったただの一日になる。
少し早く家を出て、登校することができれば、あの飛び降りに遭遇することはなくなる。パンを焼かずに、このコーンフレークを食べて、通学路を走り抜ければ、きっと大丈夫だ。
僕はそう思うと、姉が用意したコーンフレークの皿を持って、中のものを飲み干した。フニャフニャのコーンフレークの食感は気持ち悪かったが、皿のものをすべて飲み干した。
「今日は、急ぐんだった。コーンフレークありがとう。」
「……ど、どうも。」
僕は一生変わらないと思っていたものを、そのままにできると分かって、嬉しくなってきた。
僕は急いで、自分の部屋に戻って、制服に着替え、家をすぐに出ようとした。
「朝陽、折り畳み傘を持っていきなさい。」
姉は急いで家を出ようとする僕に、折り畳み傘を投げてきた。僕はその傘を右手で掴んだ。確かに、前回もこんなことがあったな。
「じゃあ、行ってくる。」
「いってらっしゃい。」
「いってきます。」
僕は右手に持った折り畳み傘をカバンに入れると、玄関を閉めて、家を出かけた。
僕は通学路を走っていった。急がなくてはならないという理由もあるが、ゆっくりと通学路の風景を眺めていれば、あの光景が頭をよぎってしまうという理由もあった。
全く死ぬなら、もっと人のいないところで死んでくれよ。あんな道路の真ん中で死なれたら、嫌な気持ちになる。マイ枠をかけず死んでいってほしいよな。
僕は走っている足を止める。
これでいいのか?
今からあのマンションの屋上に向かえば、自殺を止めることができるかもしれない。なのに、知らない人間の自殺だからって知らないふりをしてもいいのか。
このまま飛び降りを知らないふりをして、いつも通りの明日を迎えることはできるのか。もし、このまま自殺をそのままにすれば、僕は救わなかった罪を抱えながら、一生を過ごすことになる。僕はその罪を耐え続けることができるのだろうか。
……助けに行こう。たとえ結果が変わらなくても、助けようとせずに明日を迎えるよりも助けようとして明日を迎えたい。
僕は止めた足を再び動かし、走り出した。
僕はしばらく走ると、あのマンションの下に着いた。僕はあの飛び降り死体が転がっていた場所を見て、再び、人が地面に強く叩きつけられる音や足に付いた血の感覚、鼻をつんざく血の匂いを思い出し、激しい吐き気に襲われる。
僕はなんとかその吐き気に耐えながらも、マンションの屋上を見上げると、眩い太陽の光の中に黒い人影が見える。きっとあの時の人影と同じものだろう。多分、ずっとあそこで飛び降りようか飛び降りまいか悩んでいるのだろう。
僕はその人影を確認すると、屋上への通路を探した。そのマンションの玄関から中に入ると、そのマンションには、エレベーターがあったが、故障しており、階段を上って、屋上を目指すしかなかった。
マンションは十二階あり、屋上はさらにその上となっていた。朝早くでた分飛び降りるまでまだ時間があると思うが、息を切らしながら階段を急いで上った。
ゼーハーと呼吸を乱し、制服に大量の汗を吸い込ませながら、屋上の扉の前に着いた。頭から滴る汗を手の甲で拭き取り、屋上の扉のドアノブに手をかけた。
しかし、ドアノブをひねろうとしたところで手が止まる。
今から飛び降りようとする人間になんていう言葉をかければいいのだろう。
様々な葛藤した結果、飛び降りて、死を選ぶことを決断した人間に、なんていう言葉をかければ、自殺を辞めさせることができるのだろうか。
僕はそんなことを一瞬思ったが、とりあえず飛び降りを引き留めようと、握ったドアノブをひねり、屋上の扉を開いた。
扉を開くと、広く何もない屋上に、僕と同じ高校の制服を着た長い黒髪の女性が鉄の柵に手をかけ空を眺めていた。
あの時は気に留める余裕がなかったが、そう言えば、同じ高校の制服を着ていた。
「ちょっと待って、そう言うのは、辞めといたほうがいいんじゃないかな。」
僕は一応、自殺しようとしているか確認するように、彼女に言葉をかける。彼女はそれに驚いたように、体をびくつかせて、ゆっくりとこちらの方を見る。彼女の顔は、あの時の飛び降り死体と同じ顔をしていた。ただ、こちらの方は生きているので、ちゃんと血色のいい色をしているし、目も座っている。
「いやー、なんか飛び降り自殺なんじゃないかなーなんて思っちゃって。」
僕はさらに確認するように、言葉をつなげ、彼女の様子をうかがう。彼女は依然驚いている様子で、目を見開いている。そして、僕のことをまじまじと見てくる。僕の観察が終わると、彼女は何か考えている様子だった。
「あなたは私を止めてくれるの?」
彼女はそのように聞いてきた。
「そうかな。目の前で死なれるのは、ちょっと辞めてほしいしね。」
僕は本心も混ぜながら、彼女の飛び降りを止めようとした。だが、このような言葉で、彼女は簡単に飛び降りることは止めないだろう。もし、彼女が突然飛び降りても、止めることができるように、僕はゆっくりと彼女に近づいていった。
「じゃあ、一回、飛び降りるのやめてみる。」
そう言うと、彼女は鉄の柵から手を放し、こちらに笑いかけてきた。




