プロローグ 空っぽという言葉ですら豪華
きっと全部が好きだった。
何故かそんなことを思っていた。
別に懺悔するような罪を犯したわけでもない。
でも今、僕は少し昔のことを思い出していた。
僕が今よりも遥かに小さかった、小学生の頃のあの事件。
なんとも思い出したくない記憶、だけれど脳裏に浮かんでは沈まない。
――――原因はきっと、この扉。
形容することのできない何かがそれにはあるのだ。
誰も通らないような路地裏、道のど真ん中にデカデカと立ててある真っ赤な扉。
金属のドアノブがキラリと光る。
……どう見たって怪しさしかない。
まるでどこでもドアのようなそれは灰色だけの路地裏には全く似合っていない。
だというのに、ドアはそこにあるのがさも当然かのように感じられる。
そこが逆に不気味だった。
「何かある……わけないか」
きっと、これは気の所為だ。
そんな思考で一歩前に踏み出そうとした時。
身体がトンと押された。
倒れないよう無意識に出た片足にズンと体重が乗っかる。
「え?」
思わず振り返るもそこには誰もいない。
じゃあ一体今のはなんだったんだろうか。
そんな疑問に支配されつつ、視線を扉に戻す。
「……何か、あるのか?」
その扉の赤に目がチカチカした。
けれど扉からは視線を外せない。
吸い寄せられるように手がドアノブを握った。
妙にひんやりとしていた。
ただ不思議と不快感はない。
引き返すべきだ、頭ではそう考えているのに身体が言うことを聞かない。
回し、引く。
そしてそのまま部屋の中へと足を入れた。
部屋の中はまるで光がないように感じた。
説明が難しいが、外の光をまるですべて吸収しているかのように視界が黒一色なのだ。
どっちが前か後ろかも、見えてる景色からじゃまるでわからない。
何か、良くない気がする。
そう思い、あわてて後ろを振り返る。
が、そこには扉がなかった。
いや、見えないのだろう。
そう思い、ドアを触ろうと動いてみる。
しかし手は物体を感知しない。
いくら歩けど手に何も触れなかった。
「……誰かいませんか?」
そんな言葉も暗闇に飲まれていく。
黒一色の世界の中、頼れるものはもはや何も無い。
バクバクと心臓の音だけが木霊する。
「……スマホ」
スマホの光で明るくすれば。
そう思い、手を伸ばすもまた感じない。
形容するなら、太もものあたりがまるまる無いのだ。
「……なんで?」
何度かあったはずの場所で空を切る。
何度も、何度もだ。
けれど現実は変わらなかった。
たしかにこの部屋に入ってから体が軽い。
それに――
あんなにドアノブが冷たかったというのに、部屋の中は寒くないのだ。
嫌な予感、それとともに妙な安心感が僕を襲う。
……ひょっとして、僕はもう死んでいるのではないか。
だから、今こうも何も感じないのではないだろうか。
火事か何かが起きていた、だから一瞬で気を失い命を落とした……?
じゃあなぜドアノブが?
それに――
「何なんだ、この感覚」
先程から違和感がずっとあった。
頭の方を引っ張られる感覚だ。
それに加え、周りも何故か暖かくなってきたように感じる。
やはり、火事だったのか?
でもじゃあ何故未だに僕の身体は無いままなんだ。
わからない。
全部が不透明なままだ。
ゆっくりと意識が遠くなっていく最中。
ブオンブオンと機械音が聞こえた。
※※※※
朝の改札、冷たい風に頬を撫でられ、落ちる花びらは春を告げる。
まるで青春を象るかのようなワンシーン。
けれどその中には浮かない顔をした僕がいる。
何人かが僕に足を止め、またその誰もがぎょっとして。
足早に去っていく。
まるで存在してはいけないモノを見たように。
何度、この目を受けただろう。
もう、慣れた。
「定期、定期……あった」
ピッと軽快な音と共に一気に視界は開ける。
けれども途端に視界が人で埋まった。
「……多いな」
凄いのはそれが皆笑顔だということ。
楽しそうに、友人と語らい学校に向かう女子高生、一人でスマホを見ながら歩く男子高生。
全部、僕と違う。
それが酷く苦しい。
ただどうしても僕はその人達から目が離せなかった。
どんな顔をしているのか、美人かイケメンか、鼻の形は、目の輪郭は、声の出し方は、喉仏はあるか、服装は、体つきは……
理由はきっと、羨ましかったから。そうやってずっと見ていた。
人との繋がりも、思いも、性格も何もかもが違う、そんな彼らを。
色々な感情が渦巻く。
黒い靄も、きらめきも、どれも。
生きづらい。
……やめだ、やめだ。今は遅刻しないことを優先しよう。
そう思い一歩を踏み出したときだった。
ほんの少し前を歩いていた女子高生に黒い影が忍び寄った。
「あ――――」
盗られた、と女子高生が言う間もなく男はバッグをひったくるとそのまま裏路地に消えていく。
その瞬間、まるでその映像が切り取られたかのように僕の脳裏に映し出された。
揺れるストラップ、振り乱れる髪、落ちる眼鏡。
崩れて青く変わった顔が――――
――考える前にはもう身体が動いていた。
別に足が早いわけでもなくむしろ遅いのに。
心とちぐはぐな身体を止められなかった。
止めたくなかったのだろうか。
なぎ倒されたゴミ箱、錆びた配管、小石。
気がつけば路地裏で僕は迷子になっていた。
薄暗い中、ぽつんと佇んだ僕。
傍から見たら僕のほうが不審者だろう。
「……どうしよう」
慣れないことなんてするからこうなるんだ。
切れた息に影が重なる。
閑散とした路地裏にはもはや猫すらいなかった。
「……今から、学校間に合うかな」
スマホをいじり時間を確認する。
そしてなんとも言えない時間を無言で歩いた。
「もういっそ行かないって手も、ある……か」
その声には誰も応答しない。
とうに慣れた静寂、響く足音。
スマホの中には途中まで書いていたメモにクレヨンで描かれた家族の絵。
顔の大きさもバラバラだ、けれど独特な温かみがあった。
もう、僕には無いのに。
ゴン、と鈍い痛みが額に広がる。
「痛っ」
視線を上げると、真っ赤に染まった扉がそこにはそびえ立っていた。
※※※※※
「――――――おぎゃああ!《うわ!まぶし!》」
突然の光、まさしくそれは稲妻のようだった。
ぱっと開けた視界、映るは筋骨隆々の若い男性と緑髪の女性。
男はまるで泣きそうな、でも嬉しそうな感じで僕を見つめている。
女は女で恍惚とした表情で汗びっしょり。
どういう状況だ?
いや、まだそれは置いとこう、一番の疑問は
「だ、だぁ?《あ、あれ?》」
漏れ出たはずの言葉が全て赤子の声になっている。
「ああうう」
そして頬を伝う何か。
良く分からない。
良く分からないけど。
明るい何かを灯されたように僕の心は暖かく鼓動を始める。
涙が苦しくなかった。
止めたくなかった。
きっと全部好きだったから。
だから失いたくなかったんだ。
この温かみを。
読んで下さり感謝です。
カクヨムやノベルアップ+にも投稿しているので度々そちらの表記法が出てしまうかも知れませんがその都度治すつもりです。
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