9.初仕事は残業なり
「まだやるんですかぁ? これ」
「…………。」
カリカリ、カリカリ。
静まり返った部屋の中で、本来なら聞こえるような音でない小さな音だけが只管聞こえる。
時折それは速くなったり、ゆっくりになったりと。
大きめの机だが、紙の山が幾重も連なっており「白い氷山」のような光景の奥に微かに見える人影。
そんな塊の氷山が二つ。
「何でこんなに溜め込んだんですかぁ。もう」
「………。」
春と言ってもまだ早春。桜が咲くにはもう少しかかるこの時期。夕刻にもなれば少し肌寒さも感じてくる。
「あとどのくらいで終わりそうだ?」
「……終わると、お思いですか?」
「…………。」
そして、また静かな沈黙が続く。それから1時間程たった頃、あの伽羅の薫が何処からともなくほのかに薫って来た。
『来た!』
「おや、思ったより早く進んでいますね? 凛花?」
『来た! 夕餉』
「君達失礼じゃないかい? 皇弟にむかって?」
ニヤニヤしながら光様が少しむくれ面である。
『いったい誰のせいでこんなことになっているとお思いですか?』
うん。息ピッタリだ私達二人
──話は少し前に遡る。
私が「辞令」を受け取る為に初めて登庁した日、案内された執務室で小さな事件が発生した。
ドアを開けた瞬間に、机の上にあった書物の山に雪崩が起きたのだ。
その責任を? 追求され今に至っている。
そもそも、何故私に責任が? 何度も言うが辞令を受け取りに行っただけだ。
トイプー殿の泣きすがるような目を、足蹴りして逃げるわけにもいかず、仕方なく手伝ってやっているのだが、遅すぎやしないか? コイツ。
書類捌くのが。
今行っている作業は、山積みになっている未分類の書類を「重」「中」「軽」「急」の4種類に分けている。「急」は当然至急取り組まねばいけない「急務案件」だ。緊急ではないが、重要な案件を「重」それ以下を段階別に仕分けしている。
たったそれだけの作業だが、この茶髪ときたら紙に書かれている内容を一から全て読んでいる様子だ。
馬鹿か? 何百枚、いやこの量だと何千、これからも日々増えて行くことを考えたら、下手したら何万に上る量だ。それを全て一枚づつ読んでいたら、何時間、何日あっても終わる訳がない。
受験と同じだ。膨大な範囲から出される問題は極一部だ。でもその一部は殆ど満点に近い状態でなければ合格は無理だ。ならばどうすれば良い?
整理整頓だ。その整理整頓が素早く適切にそして綺麗に出来る! が、成績向上の最大条件だと私は思っている。ピースをただバラバラに集めていては、いつまでたってもパズルは完成しないのだ。
惟光様は基本的には賢い。地頭は賢い部類に入る。ただ、少々大雑把で細かいことは苦手なようだ。
まぁ言い方を変えると「脳筋」である。
武官の出であるので、文字の整理整頓は慣れてない様子だ。
「あらあら、惟光さん、君の分はあまり進んでないようだねぇ?」
「私の分は随分減ったようだねぇ?」
『これ全て貴方様の分で御座います!』
皇弟殿下ともなると、毎日優雅にお茶会でも開き、雅な世界で音楽や歌に興じているのかと? 少し思っていたが、実際には、恐ろしい程の仕事量であった。全ての政の決定、優先順位や施工許可等をほぼこの方が下していることに驚いた。その手足となるべく各省庁があるのだが、その長官が如何せん……な者が多いらしく、結局はこの御方が仕切っているそうな。
流石にこのままではもういけない。と二人で話し合った結果、手伝いを雇うことに決めたそうだ。
その白羽の矢が立ったのが私だったと言うことだ。
「光様、そこのお茶を淹れて貰っても良いですか?」
「殿下、濡らさないでくださいよ? 折角仕分けした分を?」
「わかったよ……」
良いのか? これって?
確か、御名を御呼びするだけでも御法度な、やんごとなき御方だったような?
ま、いっか。本人が率先してやってるんだから。
いそいそと二人に茶を淹れるやんごとなき御仁は、嬉しそうに終始ニコニコしていた。
「あ、光様、煎餅そこに置いといて下さい。一段落したら食べるんで」




