7.就職
──この世界に来てすでに1ヶ月が経とうとしていた。道の脇にある桜の木の蕾の先が少しづつ膨らみはじめていた。
あのまま日本に居たらどうなっていたのだろう?
私は浪人し、再度あの大学を受験したのだろうか? それとも私立大を受験したのだろうか?
どちらにしても私の望んだ就職先は政治の世界。その補佐をする官僚になることだった。
だから、今のこの就職先は、私の希望通り? いや、それ以上だ。
私は、手に握った上質な紙に書かれた、均整の取れた美しい文字をもう一度見る。
──右の者を「政務秘書官」に命ず
一等秘書官 官位 「少将」に任ずる
右上に書かれてある名前を確認する。
「政務秘書官ー凛花殿」
少将って他に何人居るんだっけ??
大臣政務官と同等??
嘘でしょ……
ポッと出の新人ですよ? しかも昨日まで飯屋のアルバイトの小娘ですよ?
そんな娘が、政策を考えたり、時には上官にアドバイスしたりするの?
いや、ナイナイナイ。 絶対ナイカラ! ありえないカラ。
再度、紙に書かれている役職と名前を確認する。
「政務秘書官─凛花殿」
自分の置かれている状況になんだか目眩がしてきそうな感じだった。
私、大丈夫かしら?
◇
「おめでとう! 凛花殿! ささ、何突っ立ってるの。早く中に入って。さあさ、ここが今日から君の執務室だよ。後ほど「政務部」の皆にも紹介するから。とりあえずは入って入って」
そう言って、ちょっと早口でそして明るく笑顔で、トイプー、いや、私の上官になる「中将様」に背中を押され部屋の中に入った。
「やぁ。いらっしゃい」
華やかな「シ」の音がする方に顔を向ける。
──菩薩様?
後光が射して見えた。
漆黒の御髪が陽の光を浴びて、紫色に輝き、抜けるような白い肌にすーっとした高い鼻。少しばかり紫かかった綺麗な瞳と、その瞳に覆いかぶさるように伸びた長い睫毛は綺麗な流線を描いている。
艶々の唇はほんの少し紅色に染まっているように見えた。
これが人間?
息を飲むような、まるで絵画のような美人様が、にっこり微笑んだ。
「これから、よろしくね?」
私、息してる? 生きてるよねぇ?
先程とは違う眩暈がしてきた。
帰って良いですか?
とは、流石に言えない。
「今上帝の弟君にあたる、光潤殿下であそばされる。但し、尊顔を直接拝謁出来る者は宮殿内に務める極一部の者だけになる。普段は宮様や、殿下と御呼びするのは控えるように。ましてや御名を御呼び出来る者は皇族と、その御縁者のみであることを忘れなきように」
──「はい」
「失礼ながら、質問をよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
中将様が少し眉尻を上げて私に短く言った。
「では、何と御呼びすれば宜しいのでしょうか?」
確か今「これから」と言ったような……
と言うことは、今後またいつか? お会いすることもあるか? と危惧して恐れ多いとは思いつつも勇気を出してたずねてみた。
だが、暫くの沈黙の後、中将様は少し困ったような顔で、後光が射す方に身体を向けた。
「うーん? 光潤で良いよ?」
おい! 今言ったろ! 皇族かその親戚以外は本名で呼ぶなと!
だから、聞いたんだろ! 殿下も駄目、宮様も駄目! ならどうしろと?
「……殿下」
おい! 殿下は駄目なんじゃないのかよ!
私は、反射的にトイプードルを見た。
「どうしましょうかねぇ? ふふふっ惟光よ? でもこの話をする前、そもそも私が立つ話が出た時に「殿下」の呼び名は使用許可が出ていたと思うがな?」
「左用では御座いますが、では「大公殿下」では如何でしょうか?」
「……長いよ。それじゃあ惟光。 光で良いよもう」
「殿下!!」
そう言って、このやんごとなき高貴な御方は扇子で扇ぎながら、ニコニコとしていた。
その後1時間以上かけて、ああでもない。こうでもない。と三人で話合い「光の君」で落ち着いた。
当の本人は「もう何でも良いよ~~」とケラケラと鈴の音が転がるような声で笑っていた。
──かの有名な美男子物語「光源氏」から拝借したのはナイショだけどね……
かの方みたいに、女性に不仕鱈でなければ良いのだけれど……
ではなく、恋多い気男性?
まぁ、そっちの方は私には関係ないか……




